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横山 彰

横山 彰 【略歴

「より良い社会」をめざして:政策と価値判断

横山 彰/中央大学総合政策学部教授
専門分野 経済政策、財政学、公共選択

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1.はじめに

 中央大学総合政策学部が1993年4月に創立され、間もなく20年になる。総合政策は、総合的に政策を研究する学問である。政策は、「より良い社会」をめざして実現しようとする人間の営みである。だから、総合政策は現実の社会を「より良い社会」に変えようとする人間の営みを総合的に研究する。では、「より良い社会」をどう判断するのか。その価値判断が重要になる。

2.1円1票と1人1票

 社会の構成員の何人をも悪化させることなしに誰かを良化できることを、経済学ではパレート改善という。この改善を良いこととする価値判断がパレート基準である。しかし、皆が良くなるような政策は現実にはほとんどない。実際の政策の多くは、賛成する人もいれば反対する人もいる。すなわち政策実施で、利得を得る人びともいれば、損失を被る人びとがいる。このときに、賛成する人びとの利得合計が反対する人びとの損失合計を上回れば、政策実施により「より良い社会」になると判断するのが補償原理である。損失を被る人びとの損失合計を補償しても補償を上回るだけの利得合計があるならば、補償をしたとすれば何人をも悪化させることなしに誰かを良化できるという意味でパレート改善になる。

 この補償原理は、1円1票による点数投票ともいえる。実際の政治決定は、1人1票による投票の多数決で決着をつける。政策実施に過半数の賛成が得られれば実施後の社会の方が「より良い社会」と判断される。過半数の賛成が得られなくとも、相対多数決では、賛成票が反対票を上回れば実施後の社会の方が「より良い社会」と判断される。

 いま3人から成る社会で、ある政策を実施すると2人には各々10の損失を他の1人には25の利得をもたらすとする。この政策の実施は、補償原理によれば「是」で、多数決では「非」となる。どちらの価値判断で政策実施の是非を考えればよいのか。数値例の3人は3地域の代表者であるとすれば、地域の人口規模を考慮せず代表者3人の多数決で判断することは正しいのか。これは、1票の格差の問題でもある1)

3.何が公平なのか

 個々人の所得などについて不平等でない社会の方が、「より良い社会」と判断されることが多い。政策実施でジニ係数などの不平等指標が低下すれば、実施後の社会の方が「より良い社会」と判断する。これは、公平基準の一つである。何に関する不公平・公平を問題にするのかで、多様な公平基準が考えられる。1票の格差の問題は、1票の実質的価値の不公平を問題にしている。所得(豊かになること)・消費(豊かに暮らすこと)・資産(豊かであること)のいずれの不公平・公平が、「より良い社会」の判定で問題になるのか。さらに、事前的公平・事後的公平・手続的公平のいずれを求めるかで、「より良い社会」も違ってくる。

 こうした全体的な分配状態ではなく、最悪の状況に置かれる人の経済状態に着目して、「より良い社会」を判断するロールズ流のマクシミン基準がある。これは、政策実施前の社会で最悪の状況に置かれる人の満足水準(経済状態)よりも、政策実施後の社会で最悪の状況に置かれる人の満足水準(経済状態)の方が高い(良い)とき、政策実施後の社会を「より良い社会」と判断する。

4.理論の選択問題

 政策実施後の社会を評価しようとするときの難しさは、価値判断の選択問題だけではなく、政策を実施したときどのような利害得失をもたらすかを予測する理論の選択問題にも関係する。上述の政策実施による利害得失は、どのような理論に基づく帰結なのか。政策を実施すると2人には各々10の損失を他の1人には25の利得をもたらすという帰結を導く理論は、本当に正しいのだろうか。別の理論に基づけば、この帰結とは異なる帰結になるかもしれない。すると、価値判断だけでなく帰結を導く理論によって、政策実施後の社会の評価が異なる可能性もある。

 マクシミン基準は、すべての個人が自らの置かれている状況について全く分からない「無知のヴェール」のもとで危険回避的なリスク選好を有するという前提に基づいている。しかし、「無知のヴェール」のもとで共通の理論(一般知識)を持っていたとしても、危険中立的や危険愛好的なリスク選好を有する個人が存在することを認めれば、異なる帰結をもたらす政策やルールが望ましくなるだろう。また、政策の実施前と実施後の関係を結びつける理論についても、すべての個人が持っているとは限らない。理論を身につけるには、時間などの資源を投下する必要がある。そうした資源を投下する個人と投下しない個人とでは、政策決定過程での選択行動も異なってくる2)

5.帰結と非帰結

 上述した価値判断は、政策実施による利害得失や政策実施後の社会における個人の置かれる状況で「より良い社会」を判断する、帰結に基づく判断基準である。これに対して、帰結として出現する個人の利害得失や状況を問題にするのではなく、その状況をもたらす過程や手続きそのものを評価対象にするのが非帰結主義である3)。各人の権利・義務や意思決定ルールなどを規定する社会の基本ルールや手続きがどのような帰結をもたらすかとは関係なく、その基本ルールや手続きそのものの善悪で、「より良い社会」の判断がなされる。手続的公平は非帰結主義の一つであるが、どのような手続きが「善」なのかは個人によって異なる。そこで、個人一人ひとりが、基本ルールや手続きそのものの善悪を決める自分自身の価値判断を考える必要がある。

6.おわりに

 さらに政策と価値判断を考え総合政策を実践するうえで重要になるのが、社会をできるだけ客観的にみる観察者としてだけではなく社会の一員として責任ある当事者として政策に関与することである。新聞紙上で現実の政策課題を論じる私は、私自身の理論と価値判断をもって、観察者であると同時に当事者として政策に関与し、「より良い社会」をめざして実現しようとする営みを行っているのである4)

 今日晴れて卒業式を迎える皆さんだけでなく、私たち一人ひとりが、各々の理論と価値判断をもって、大切だと考える社会においてその社会の一員として責任ある当事者として政策に関与し、「より良い社会」をめざして実現しようとする営みを行うことにこそ、総合政策の意義がある。日々是好日、日々是政策。

[注]

1) 1票の格差の問題は私のゼミ生たちが全力で2012年度に取り組んだ研究課題でもあり、彼らの研究成果は本学ホームページに掲載されているので、是非ともご一読願いたい。(http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/news/contents_j.html?suffix=k&topics=19158&start=30
2) こうした「無知のヴェール」のもとでの考察は、Akira Yokoyama, “The Calculus of Consent at fifty: the development of public choice in Japan," Public Choice 152: 345-349, 2012を参照されたい。(http://link.springer.com/article/10.1007/s11127-012-9979-z
3) 非帰結主義については、鈴村興太郎『厚生経済学の基礎 ―合理的選択と社会的評価』第5部,岩波書店,2009年を参照されたい。
4) 例えば、横山彰「日本財政 危機回避の条件(上)」日本経済新聞『経済教室』2012年10月17日をご覧願いたい。

横山 彰(よこやま・あきら)/中央大学総合政策学部教授
専門分野 経済政策、財政学、公共選択
1949年横浜市生まれ。1992年博士(経済学)慶應義塾大学。1972年慶應義塾大学経済学部卒業、1979年同大学大学院経済学研究科博士課程満期退学後、城西大学経済学部 専任講師、助教授、教授を経て、1993年より現職。公共選択学会理事(1996年~)、日本経済政策学会会長(2001年~2004年)、内閣府・税制調査会委員(2007年~2009年)、日本財政学会理事(2008年~)、財務省・財務総合政策研究所特別研究官(2008年~)、環境省・中央環境審議会臨時委員(2009年~) 東京都・税制調査会会長(2009年~)など歴任。主要著書に、『税制と税政―改革かくあるべし』(共著、読売新聞社、1994年)、『財政の公共選択分析』(東洋経済新報社、1995年)、『公共経済学』(共著、東洋経済新報社、1998年)、『環境経済学』(共著、有斐閣、2007年)、『分権化財政の新展開』(共編著、中央大学出版部、2007年)、『温暖化対策と経済成長の制度設計』(共編、勁草書房、2008年)、『現代財政学』(共著、有斐閣、2009年)、『グローバル化財政の新展開』(共編著、中央大学出版部、2010年)などがある。