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宮崎 伸一

宮崎 伸一【略歴

教養講座

ワインとメンタルヘルスと醸造精神医学
(Brewing Psychiatry)

宮崎 伸一/中央大学法学部教授
専門分野 精神医学

 日本のワイン消費量は漸増傾向にある。そのきっかけとなった出来事は2つある。一つは1991年11月に米国CBSの「60min」という番組で、のちに「フレンチパラドックス」と呼ばれる赤ワインの健康への効用が放送されたことによる。そして、もう一つは1995年の世界最優秀ソムリエコンクールで田崎真也氏が優勝したことによる。これらの出来事の前後のワイン消費量は前者では1.5ℓ(1989年から1994年の変化)で変わらないものの、後者では1.5ℓから2.8ℓへと約2倍に伸びている(1995年から1999年の変化)。ただ、この量はフランスと比べると約20分の1であることを付け加えておく。

 ここでは「フレンチパラドックス」について述べてみる。乳脂肪の摂取は心疾患に悪影響を与えるが、乳脂肪の摂取量と虚血性心疾患による死亡率を調べてみると、乳脂肪摂取量がほぼ等しいデンマーク、ドイツ、オランダ、ベルギー、スイス、フランスの中で、死亡率はフランスが一番低く、それは、乳脂肪の摂取量がフランスの3分の1程度であるポルトガル、スペインに匹敵することがわかった。そこで、乳脂肪摂取量にワイン消費量を加味した計算式、すなわち、乳脂肪摂取量×0.138+145-ワイン消費量×0.917、という式で計算される値と虚血性心疾患による死亡率が見事に相関を示していることが、有名な医学誌Lancetに報告されたのである(Renaudら1992)。つまり、フランス人が乳脂肪を多く摂取しているにもかかわらず虚血性心疾患による死亡率が低いのは、ワインを(大量に)摂取しているからだということである。

 虚血性心疾患の原因となる動脈硬化の発症メカニズムは次のように考えられている。高血圧、喫煙等なんらかの原因で血管壁を構成する内皮細胞が傷つくと、血液中のLDLコレステロール(いわゆる悪玉コレステロール)が血液中から血管内皮に入り込み、この過程で活性酸素により酸化型のLDLコレステロールとなり、これをマクロファージと呼ばれる血球の一種が貪食し、やがて巨大な塊に成長して内皮細胞を押し上げて、血管内腔が狭くなったり、塞がれたりする。この状態が動脈硬化といわれるもので、これが心臓を栄養する重要な血管である冠動脈で起こって血管の内腔が狭くなったり、他所でできた塊が血管内を血流に乗って飛んできて冠動脈を塞ぎ、心筋梗塞などの重篤な虚血性心疾患を引き起こすのである。この発症機序に対して、ワインは活性酸素を除去してLDLコレステロールの酸化を防ぐ役割がある。

 Maxwellらは、健康な学生10名(男女各5名、平均体重67.3㎏)に昼食時ボルドーの赤ワインを体重1㎏あたり5.7ml摂取させ(体重67.3㎏の者は383.6mlのボルドーワインを摂取することになり、これはハーフボトルの容量にほぼ匹敵する)、飲酒後に採血をして血液中の抗酸化活性を測定し、摂取しない場合のそれと比較した。摂取しない場合は食事後の抗酸化活性はほとんど変化しなかったが、飲酒した場合の抗酸化活性は、摂取後1時間で飲酒しない場合と比べて1.25倍となり、4時間後でも1.09倍であることがわかった(Lancet 1994)。日本でも、赤ワイン500mlを食事中に2週間摂取させると、抗酸化活性が上昇することが報告されている(近藤ら、Lancet 1994)。

 ワイン中の抗酸化物質はポリフェノールである。佐藤は、ワインのポリフェノール量と抗酸化作用が相関のあることを示し、年代の古いワインほど抗酸化能が高いことから、熟成により重合したポリフェノールの抗酸化能が高いことを示唆した(J. Agric. Food Chem, 1996)。すなわち、ブドウでいえば、カベルネソービニオン、ネッビオーロなどの長熟型の品種から造られたワインの抗酸化能が、その価格とともに高いことになる。また、Corderらは、エンドセリン(血管の収縮作用があり、高血圧の原因となる生体内物質の1つ)の合成を阻害するプロアントシアニジン(ポリフェノールの一種)が多く含まれるワインの産地、すわなち、フランスのボルドーの南にある南西地方、イタリアのサルディーニャ島にあるヌオロ県に住む男性に血管性疾患が少なく、その結果として寿命が長いとしている(Nature 2006)。

 認知症に関して、Orgogozoらは、フランスのボルドー地方に住む65歳以上の3777名について、飲酒量(実際は赤ワイン摂取量)と認知症の発症リスクを3年間に渡り追跡調査をした結果、毎日赤ワインを375~500ml飲んでいる群は、非飲酒群に比べて認知症の発症リスクが5分の1になったと報告した(Rev. Neurol. 1997)。スウェーデンでは、1968年に成人年齢に達成している1462名について、34年間追跡調査が行われ、ワイン摂取群は、認知症になるリスクが非飲酒群に比べて4割ほど低い結果となったが、ワイン以外の蒸留酒では非飲酒群に比べて逆に5割ほどリスクが高い結果となったため、認知症の予防にアルコール以外の要因があることが示唆された(Mehligら、Am J Epidemiol 2008)。

 うつ病では、55歳から80歳までの5505人を対象として7年の追跡調査を行ったスペインでの研究がある(Geoら、BMC Medicine 2013)。これは純アルコールに換算して1日5~15gのワインを摂取する群は、非飲酒群に比べて有意にうつ病に罹患する確率が低いというものであり、これは6日から18日間にワインのボトルを1本空ける計算になるが、この量を多いと思うか、あるいは少ないとdepressiveに思うかは個人差があろう。

 以上、主に赤ワイン、特にポリフェノールの心疾患、及び精神疾患に対する予防効果について述べてきた。ここで話は大きく飛躍するが、「ワインを飲む」という行為がメンタルヘルスによい影響を与えることはないのだろうか。

 酒類からは話が逸れるが、そのヒントとなるのが森林浴である。我々は森林環境のもとでしばらく過ごすと、リラックス効果や疲労回復効果を実感するが、1982年に林野庁は「森林浴」という言葉を使って健康・保養に森林を活用することを提唱した。日本医科大学の李らは、森林浴の生体免疫機能への効果を測定するため、東京都内に勤務する健常な男女計25名に対し、2泊3日の日程で長野県の散策路2.5㎞を2時間半かけて3回(初日の午後、2日目の午前、午後)散策させた。その結果、免疫能に関係する血液中のナチュラルキラー活性は、森林浴前の都内で測定した時と比べて有意に増加していた。さらには、旅行後被験者は通常の生活を送っていたのであるが、30日後のナチュラルキラー活性も森林浴前に比べて有意に高値を維持しており、少なくとも1か月間は森林浴の効果が持続したことを報告している(LiらInt. J. Immnopathol. Pharmacol 2008、Liら J Biol Regul Homeost Agents 2008)。ところで李らは、森林浴前の採血時を含め、実験中は禁酒をさせて飲酒の影響を排除したとしている。その一方で、運動の影響を排除するためとして、森林中の散策時間を通常の運動量に相当する時間に設定している。このことを敷衍すれば、通常の飲酒量と同じ量を森林浴時に飲酒させても同様に飲酒の影響を排除したことになるであろう。

 そこで筆者は、たとえばワイナリーツアーが及ぼす精神機能を化学物質としてのアルコールが及ぼす影響から分離して測定できるのではないかと考えた。すなわち、学内の研究室でワインを摂取した場合と、ワイナリーに出かけて行ってワインを摂取した場合の精神状態を比較評価するのである。これが筆者が提案しようとしている「醸造精神医学」につながる。以下、本学のFLP(Faculty-Linkage Program)にて「醸造精神医学」ゼミを立ち上げるべく履修学生を募集した際の説明文を転記する。「醸造は数千年の歴史を持つ人類の技術である。醸造の産物である酒類の功罪はさまざまに語られてきたが、功罪という判断の前に、醸造という生命現象を理解すること、醸造所の自然環境を探索すること、醸造家と語らうこと、官能検査(テースティング)にて嗅覚・味覚を動員し、記憶と関連付け、言葉により表現すること、などの諸活動が、ヒトの精神の健康にどのような影響を与えているかを研究する必要があろう。『精神の健康』という切り口からあたらしい科学を創生することを大きな目標としたい」(引用終わり)として募集したところ、残念ながら応募者はゼロであった。これは、本ゼミは新2年生を対象として募集しているので、飲酒年齢に達していない彼らの興味を引くまでには至らなかったものと思われた。

 そこで、最後に宣伝になるが、「醸造精神医学」を進めるにあたって、研究に協力してくれるボランティアを募集する予定である。具体的には、学内およびワイナリーでワイン摂取をしてもらうことになるのであるが、中央大学多摩キャンパスの教職員、飲酒年齢に達している学生の中で、日常的にワインを飲んでいる方、よろしくお願いします。

宮崎 伸一(みやざき しんいち)/中央大学法学部教授
専門分野 精神医学
1957年神奈川県生まれ。1981年東京大学農学部農芸化学科卒業、同年サントリー株式会社に入社し、酒類研究所に勤務。在職中の1983年から1986年の間、国税庁醸造試験所に出向。1989年サントリー株式会社を退職し、横浜市立大学医学部に入学。1995年卒業し医師免許を取得。東京都立松沢病院、東京愛成会高月病院に精神科医として勤務した後、2012年より中央大学法学部に赴任し現在に至る。医学博士。大学での教育の傍ら、知的障がい者スポーツの研究・支援活動を続けている。最近では、酒類の精神機能への影響に関して興味を持ち、研究準備中。日本ソムリエ協会ワインエキスパートの資格も有する。