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小木曽 綾

小木曽 綾【略歴

合羽坂と伝聞法則

小木曽 綾/中央大学法務研究科長
専門分野 刑事法

合羽坂

 右の写真は、中央大学法科大学院のある市ヶ谷キャンパス正面の合羽坂下交差点横断歩道脇に鎮座する河童のモニュメントである。 この坂の上にある坂標には、「交差点付近にその昔『蓮池』といわれる池があり、そこにカワウソが生息していて、これを見た人々が『河童が出る』と言い伝えたことが坂の名の由来」という趣旨の説明がある。字は後世何らかの理由で「合羽」になったものだろう。数年前、ひどいゲリラ豪雨の折、この交差点付近の靖国通りが冠水するのを目の当たりにしたが、この由来を知って「なるほど」と膝を打ったのだった。

伝聞法則

 さて、筆者が専門とする刑事訴訟法学というのは、犯罪捜査や刑事裁判を扱う法分野だが、この中に「伝聞法則」という難解なルールがある。英米法に由来するこの法則は平たく言えば、裁判官や裁判員の面前で尋問を通じてその信憑性を吟味することのできない証人の証言等を裁判の証拠としてはならない、というものである。たとえば、A氏がB氏から覚せい剤を買って持っていたとして覚せい剤所持罪で逮捕・起訴されたとしよう。検察官は、A氏の覚せい剤所持を証明するため、その覚せい剤を売ったとされるB氏を裁判に呼んで「A氏に覚せい剤を売りました」と証言してもらう。このとき、A氏側が無罪を主張しようとすれば、いつどこで、いくらで売ったのかといったことをB氏に問い質し 、B氏の言う日時場所にA氏は別の場所にいたとか、 B氏とA氏には接点がないなどと主張して、B氏の証言の信憑性を争う。裁判所は、面前で展開するそのようなやりとから事実を認定するのである。このやりとりが証人尋問であり、被告人には証人審問権が憲法第37条2項で保障されている。

 さらに、A氏は有名人で、B氏は自慢したくてバーで仲間のC氏に「この間A氏に薬を売った。彼は俺の上得意だ」などと吹聴したとしよう。そのC氏を裁判に呼んで、A氏がB氏から薬を買ったかどうかについて尋ねようと思っても、C氏は、A氏がB氏から薬を買うところを見たわけではないので、C氏が証言できるのは「B氏は、『A氏に薬を売った』と言っていました。」ということだけで、AB間の覚せい剤売買の事実についてC氏にいくら尋ねても埒が明かない。このC氏の証言中の「A氏に薬を売った」というB発言部分が伝聞証拠に当たるもので、このようなC証言によってAB間の売買を証明することを許さないのが伝聞法則である。C氏に対してはAB間の売買についての証人尋問が意味をなさないからである。

認知の原理

 なぜ証人尋問がさほどに重要なのか。
私たちは、日常生活のなかで自分を取り巻く様々なものごとを見聞きしている。梅が咲き、桜が咲き、桜の下で酔客が騒いでいる・・・私たちは、それが真実の現象であると「思って」いる。しかし、それは本当に梅であり桜なのだろうか。「われ思う、故にわれあり」とは、デカルトの認識に関する卓見だが、実は人がなんらかのものごとを見た、認知したと思っているのは、ものごとそのものではなく、それを見た人の認知のコードを通して「解釈された」ものごとなのである。これでは抽象的でわかりにくいので、右の絵を見ていただきたい。※※

 皆さんには、これが何に見えるだろうか。筆者は、すぐに山を思い浮かべた。黒い点々は雲、しかし、ウサギの耳のような半楕円は・・・。授業でこれを見せた学生の中には、人の顔(鼻)と言う者もいた。なるほど。では、「スキーのジャンプ台の上から見た下界」ではどうだろうか。台形はジャンパーから見たジャンプ台、ウサギの耳はスキー板の先、黒い点は観衆、というわけである。そう言われると、そのように見えてくるではないか。実は、この「見え方」こそが、人が「見たと思っているもの」なのであり、同じ「絵」を見ても、それを何と認知するかは、それを見た人があらかじめもっている絵解きのルール(コード)に依存するのである。

 このように、知覚の段階ですでにして人が見たと思うものごとは異なっている。ある人にとっては富士山でも、他の人にとってはジャンプ台なのかもしれない。人が認知した情報が法廷にもたらされるには、知覚、記憶、記憶再生というプロセスを経るが、人の認知に影響を与える要素には、ものごとを目撃した人の年齢、属性や経験、期待、目撃現場の明るさや目撃時間のほか、できごとの凶暴性などさまざまなものがある。さらに、人みな経験のある記憶の減退についてはエビングハウスの忘却曲線がよく知られているし、知覚から記憶再生までの間に不当な誘因が与えられると証言内容が変化することも実験によって証明されている。こうした知覚と記憶、その再生の過程に入り込む誤り、さらには意図的にされる記憶と異なる証言内容を暴いて、証言の信憑性を吟味するのが証人尋問である。

なぜカワウソが河童なのか

 ここまでお読みいただければ「合羽坂と伝聞法則」というタイトルの訳はお判りいただけようが、蓮池の生き物=河童というコードをもった人々には、それはカワウソではなく河童なのであって、そのような人は、「私は河童を見ました」と証言することになる。人の知覚や記憶とは、存外あてにならないものなのである。

 さて、しかし。河童とカワウソの姿かたちをご存知の皆さんには、ある疑問がわくのではないだろうか。カワウソというのはイタチ科で、仲間にはラッコもいる愛嬌のある動物だが、河童は、写真のモニュメントはともかく、どちらかと言えば伝統的に愛らしい生き物として描かれてはいない。なぜカワウソが河童なのか。※※※

 日本カワウソは絶滅したとされているが、世界中にはいろいろな種が生息しているようで、疑問を解消すべく検索してみると、思いもよらないカワウソの写真が見つかった。ここに転載するには著作権の問題もあり、また、いささかショッキングでもあるので差し控えることにするが、昔の人々の連想はまんざら荒唐無稽ではなかったようにも思われるのである。

 法が生まれるには、その背景にある歴史的、社会的、科学的な背景、根拠がある。そうしたことを豊かに伝えることのできる場こそが法科大学院であり、それが実学を支えるのだと筆者は考えている。

 筆者撮影
※※ 法と心理学会・目撃ガイドライン作成委員会『目撃供述・識別手続に関するガイドライン』 現代人文社(2005年)175頁に掲載の原典より転載
※※※ 河童の由来には別の説もあるようで、筆者にはそちらの方が本当らしく思われるのだが、 ここには記さないでおく。

小木曽 綾(おぎそ・りょう)/中央大学法務研究科長
専門分野 刑事法
中央大学法科大学院教授、法務研究科長。中央大学理事。長野県出身。1984年中央大学法学部法律学科卒業、1991年同大学院法学研究科博士課程後期満期退学。駒澤大学法学部専任講師、中央大学法科大学院助教授を経て現職。新旧司法試験考査委員、法制審議会臨時委員(性犯罪の罰則関係部会等)、刑法学会理事。研究テーマは、英米仏日の比較刑事法制。著書に『条文で学ぶ刑事訴訟法』法学書院(2015年)など。