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※掲載の肩書は取材当時のものです。

協調か従属か?―対米自主外交の条件を考える―

井上 寿一 (学習院大学長)

 先の安保法制をめぐる議論に関連して、古くかつ新しい問題が示された。日本の対米外交は協調か従属か?安保法制を整備してアメリカと協調しながら国際安全保障に協力するのか、それともアメリカの世界軍事戦略を補完するにすぎないのか。ここでは安保法制の是非を論じるのではなく、日本の対米自主外交の条件を考えてみたい。

 歴史を約70年さかのぼると、日米関係は敗戦国と戦勝国の関係から再出発したことがわかる。戦勝国アメリカからの敗戦国日本の自立はむずかしかった。占領下の新憲法は押し付けられたのか、自主的に選択したのか、評価はわかれる。今も対米自立をめざして、「右」からはもとより、「左」からの憲法改正論(加藤典洋『戦後入門』ちくま新書)も読書界の話題となっている。憲法改正の手続きに従って、もう一度、現行の憲法とまったく同じ条文の憲法を選びなおすというのは、問題点の原理的な指摘になっている。しかしここで議論しようとしているのは、具体的な日本外交の問題である。

 敗戦国の歴史を引き摺る戦後日本外交は対米従属だったのか。たとえば試みに1970年代初頭の第一次石油危機の時のことを振り返る。石油危機の発生によって、資源小国の日本は、パレスチナ問題をめぐってアメリカとアラブ諸国の間で板挟みとなる。石油を求めてアラブ諸国に接近し、日本は対米自主外交へ転換したのか?このような外交転換は「自主」に値するのか?白鳥潤一郎『「経済大国」日本の外交』(千倉書房)が考える手がかりを与えてくれる。

 本書は1960年代のエネルギー資源外交から説き起こす。通説では日本は、第一次石油危機に直面して、対米協調外交から「油乞い外交」へ、なりふり構わず転換したことになっている。本書はこの通説を批判する。すでに1967年の段階で、外務省は次のような予測を公表していたからである。「アラブ諸国は石油を武器として考えており、今後これがどのように利用されるか予断を許さない」。日本外交は1970年代の第一次石油危機の勃発によって右往左往したというよりも、1960年代における石炭から石油へのエネルギー革命のなかで、日本外交は危機に対する備えを始めていたようである。

 さらに本書は石油危機によって日米関係が対立するようになったとの常識に疑問を呈する。著者は主張する。日本外交は石油消費国間協調への積極的な参画によって、アメリカかアラブ諸国かの二者択一ではない第三の政策を選択した。

 このような1970年代の日本の石油外交こそ自主外交と呼ぶに値する。本書が示唆するように、重要なのは多国間協調のなかに日米関係を埋め込むことである。多国間協調のなかに日米関係を埋め込むことができれば、日本は真の対米自主外交を展開できるだろう。

[2016.01.12]
プロフィール

井上 寿一 (学習院大学長)

井上 寿一 (学習院大学長)
1956年東京都出身。81年一橋大学社会学部卒業。86年一橋大学大学院法学研究科博士課程単位取得。89年・法学博士(一橋大学)、同年学習院大学法学部助教授。93年より同教授。研究テーマは近現代日本政治外交史。95年『危機のなかの協調外交』(山川出版社)で吉田茂賞、政治研究櫻田会奨励賞受賞。近著に『第一次世界大戦と日本』(講談社現代新書)がある。2014年4月に学習院大学長に就任。

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