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改めて、大学のグローバル化とは――世界の大学マーケットという視点から

石澤 靖治 (学習院女子大学長)

 この3月末で筆者の学長職が、2期6年の任期満了を迎え退任する。そのため主として日本と国際社会の状況について述べてきたこのコラムも今回が最後になる。そこでこれまでのご愛読を感謝しつつ、最終回にあたって自分の職場である日本の大学とグローバル化について少しだけ記しておきたい。

 「教育のグローバル化」「大学のグローバル化」「グローバル人材」などという言葉は、ここ数年の間にどこでも聞かれる一般的なものになった。そして大学も高校も、「グローバル化」に向けてそれぞれに積極的なアプローチを行っている。もちろん本学もである。そうした中で、筆者がずっと思ってきたことがある。

 日本で「グローバル化」という場合に、たぶん次の3つのことが想定されているのだと思う。一つは英語力の向上あるいは従来の英語教育の見直し、もう一つは日本の学生の海外留学の促進、そして海外の留学生の受け入れ促進である。

 グローバル化=英語化ではないという指摘を聞く。それはそのとおりだが、アカデミアとビジネス界で英語が世界共通語となる中で、英語力を持っていることが必須であるのは自明のことである。したがって英語力の向上が課題となるのは当然である。そうした中で、すでにある程度の英語力を獲得した日本の高校生の中には、日本の大学に入ってから1、2年間留学するのではなく、海外の大学に直接入学しようという事例が出始めてきている。ある意味で当然の成り行きだし、それらは好ましいこととして受け止められているようだ。もちろんそれに反対するわけではない。だが、その事例が稀有なものではなく、大きな流れとして進展したらどうなるのだろうか。

 現在、日本の大学が直面しているのは、国内の少子化であることは言うまでもない。2018年以降、18歳人口は減少していく。したがって現在50%強の大学進学率が大きく伸びなければ、国内の大学受験マーケットは縮小していくことになる。そうなれば供給が需要を上回り、大学の整理・統合などの淘汰の動きに発展していくだろう。そのようなところに、現在は極めて少ない数であるものの、日本の英語教育が充実していく中で、日本の大学ではなく海外の大学に直接進学することが急増すれば、日本の大学の窮状はさらに深刻なものになる。そうした高校生(受験生)の数は限定的かもしれない。しかし彼ら・彼女らは英語力もあり、学力も積極性もある若者であろう。そんな有望な人たちが海外の大学に流出し、それ以外の人たちが日本の大学で学ぶという構図が出来上がってしまわないだろうか。断っておくが、これは日本の大学側からの視点である。

 人口の減少に直面しているのは、もちろん大学だけではなく全ての分野に及ぶ。日本企業はすでに輸出と海外での現地生産にその活路を見出している。しかし大学「産業」は、輸出や現地生産という手段に訴えることはできない(海外に分校を出すということは可能だが、それが難しい理由は後述する)。それに代わるものが、海外からより多くの留学生を獲得するということであろう。それが可能であるならば、国内の大学受験マーケットの縮小も、日本の高校生が直接海外の大学に流出することも心配することはない。しかし問題は、どれほどの海外留学生が日本に来るか、あるいは日本の大学で何を学ぼうとするかである。

 彼ら・彼女らが日本の大学に行こうとする動機は、純粋に日本という国や文化が好きだということ、あるいは、日本の大学でなければ学べないことがあることであろう。前者については、アニメの世界的なブームなどが後押しになり、ある程度の数は見込めるが、それだけで爆発的な数の留学生が日本に来るとは思えず、一定数にとどまるだろう。では日本の大学でなければ学べないことだが、前述の日本文化以外では、日本の強みであるエンジニアリングなどが挙げられるだろう。その分野でも一定数の留学生は確保できる。一方、かつて世界的に注目を集めた「日本的経営」は、バブル崩壊後の日本経済に元気がないことから、それを学ぼうとする動機は薄れつつある。そんな中で、例えば社会科学の分野などで、日本を東アジアあるいはアジア、環太平洋の主要国と位置づけ、この地域における政治・ビジネス・経済関係・文化交流などの科目を充実させれば、この地域の学生はもちろん、域外でも興味をもつ学生が日本の大学で学ぶ意義はあろう。

 そして重要なのは、これらの分野を英語で教えるということである。日本文化に強く興味を持ち、すでにある程度の日本語力を有して留学してくる学生には、日本語でかまわないかもしれない。しかし興味を持ちはじめて留学してきた学生には英語で教えてあげなければ理解を深めさせることは困難である。エンジニアリングやビジネスなどの分野はもちろん英語であろう。ところが、一部の大学や学部を除けば、日本の大学において英語で教えられている科目は極めて限定的である。したがって、海外に分校を出すという選択肢もほとんどない。

 大学のグローバル化あるいはグローバル戦略とは、日本の教育機関だけが積極的に取り組んでいることではない。大学教育で高い水準を保っている主要先進国では、移民を除けば多くが少子化に悩んでおり、アメリカはもちろん、世界の大学が学生を奪い合う世界規模での競争が進展している。そのため英語圏以外の大学でも、英語による講義を増やしている。欧州連合(EU)域内で大学の卒業資格は同等に扱われているが、東南アジア諸国連合(ASEAN)でも、域内で一定の基準を満たした大学で単位の交換が行われている。そしてその種の大学での講義はほとんどが英語である。世界の大学マーケットは英語による教育で同じ競争条件になっている。その中で日本の大学は戦っていかなければならない。それが日本の大学にとってのグローバル化の最も大きなインパクトである。

 そうした中で日本の大学をみた場合、英語化のみならず、設備の面でも劣る部分が少なくない。そのためには潤沢な資金が必要だが、日本の大学の財務状況を考えると一気に設備投資を拡大できる環境にはない。そこで世界の大学とどのように戦うのか。もちろん、日本国内でドメスティックな研究・教育機関に特化するという考え方もある。そこでどのような選択をするかを含めて、大学は世界市場を見据えたマネジメント力と財務・マーケティング力が問われる新たな世界に入ったのである。

 ご愛読ありがとうございました。

[2017.2.27]
プロフィール

石澤 靖治(学習院女子大学長)

石澤 靖治(学習院女子大学長)
1957年生まれ。立教大学社会学部社会学科卒業。フルブライト奨学生として留学。ハーバード大学ケネディ行政大学院修了(MPA)後、「ワシントンポスト」極東総局記者、ニューズウィーク日本版副編集長などを経て、2000年より学習院女子大学助教授、02年より同大学教授、2011年より現職。博士(政治学)。「日本はどう報じられているか」(編著、新潮社)、「大統領とメディア」(文芸春秋)、「戦争とマスメディア」(ミネルヴァ書房)、「テキスト現代ジャーナリズム論」(ミネルヴァ書房)など著書多数。

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