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※掲載の肩書は取材当時のものです。

【世界の今】 トランプ大統領の通商政策

伊藤 匡(学習院大学 国際社会科学部 教授)

 大統領選挙で、中国を筆頭に日本や韓国との貿易赤字をやり玉に挙げたトランプ大統領。大統領選挙の結果から約一年が経過した2017年11月の日本・韓国・中国初訪問においては、選挙の際の過激とも言える主張は影を潜めた。寧ろ、中国においては中国の通商政策を是認するかのように中国の経済運営を称賛した。2018年1月に参加したスイスでのダボス会議でも、過激な主張はなされず「世界と共に歩むアメリカ」との発言もしている。明らかに、選挙の際の主張から軟化してきている。その背景には、以下に述べるような政治経済の論理が働いている。

 経済について考察する時に多くの人が労働者側としての立場だけを考える傾向がある。しかし私達は労働者である一方で、労働から得られた所得を使って物やサービスを消費する消費者でもある。稼いだお金でどれだけの量と種類の物やサービスを享受できるかが重要なわけだ。給料が上がっても、それ以上に物やサービスの値段が上がったら、消費できる量は減ってしまう。

 アメリカのトランプ大統領は、経済のIT化とグローバル化の中で相対的に割を食う形となった所謂ブルーカラーの労働者(工場労働者など単純労働に従事する労働者)に訴えて当選した。すなわち、デトロイトに代表されるような、産業が衰退してしまった地域の労働者に対し、反グローバリゼーションを掲げて「アメリカのブルーカラー労働者の職を守る」ことを公約として掲げた。それ故に、北米自由貿易協定(NAFTA)からの離脱もしくは大幅な条件改訂、米韓自由貿易協定(米韓FTA)の破棄、中国製品に対する高関税、などの通商政策を打ち出したのだ。

 ここで注意すべきは、トランプ大統領が労働者側としての立場のみを訴えている点である。例えば、化学産業で働く労働者は、グローバル化の進展により中国から安い衣料品が輸入されるようになると、自分の得る賃金は変わらない一方で、衣料品への支出はより少ない金額で済むことになる。すなわち、グローバル化は消費の観点で、全ての消費者に薄いけれども広く便益を生むわけだ。便益を受ける消費者の数は殆どの国民なので、国全体としては大きな便益を享受することになる。一方で、この例でいえば、アメリカの衣料産業は中国との価格競争に勝てず衰退することになる。事実、著名な経済学者による最近の研究結果によれば、中国からの輸入増加が1999年から2011年の間に200万人近くの米国人の雇用を奪った一方で、2000年から2006年の間に米国の消費者物価指数を7.6%押し下げている。

 政治家の当選に影響を与えるのは、消費者としての意見ではなく労働者としての意見である。何故なら、消費者一人一人にとっては安い衣料品から受ける便益は微々たるものでしかないため集団として政治的に働きかける動機に欠けるが、一方で中国からの安い衣料品の輸入により職を失う衣料産業労働者は貿易自由化に反対して集団として政治的に働きかけるわけだ。

 また実は、労働者を含めた生産者側の総体的な観点からも保護貿易はアメリカにとって決して得策ではない。アメリカの企業は、メキシコやアジア諸国などとの間にサプライチェーン網を構築しており、メキシコから安価で良質な中間部品を輸入することはアメリカ企業の生産性を高めることになり、それにより企業は好業績を挙げ、その一部は労働者に賃金として還元される。保護主義によりサプライチェーン網を断つことは、アメリカ企業の生産性に負の影響を与えるであろうことは、多くの国際経済学者によって議論されている。

 当選を果たしたトランプ大統領は、選挙のための主張とは別に現実的に動き始めている。2020年の大統領選挙前には、改めて自分の支持層であるブルーカラー労働者の支持を得るための保護主義的な強い主張がなされるであろうが、少なくとも暫くは2016年大統領選挙の際の主張からは軟化した政策が進められるであろう。もちろん、世界自由貿易を牽引してきたアメリカの姿からはほど遠い「アメリカ第一主義」に基づく自己の利益を最大化するような政策を進めていくことは間違いない。北米自由貿易協定の再交渉は、農産物に対するアンチダンピング課税を容易にするなどのメキシコ側にとっては受け入れがたい提案がアメリカ側からなされているが、同交渉の今後の展開がトランプ政権の今後1~2年の通商政策を占うことになろう。

[2018.2.13]
プロフィール

伊藤 匡 (学習院大学 国際社会科学部)

伊藤 匡(学習院大学 国際社会科学部 教授)
1991年三井物産株式会社 基礎化学品原料部 課員。1997年三井物産アルゼンチン支店化学品課 課長代理。2003年London School of Economics and Political Science 経済学修士号取得。2004年国際協力銀行開発 第四部 アフリカ班、ラテンアメリカ班 課員。2006年Graduate Institute(ジュネーブ)助手。2009年Graduate Institute(ジュネーブ) 博士号取得。2009年沖縄大学法経学部 教授。2012年ジェトロアジ ア経済研究所新領域研究センター 主任研究員。2016年より現職。
専門領域は、国際貿易論、外国直接投資、産業連関分析。

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