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※掲載の肩書は取材当時のものです。

多彩なフィールドで活躍する卒業生 ~学習院女子大学から社会へ世界へ~

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1998年の開学以来、日本で、そして世界で活躍できる人材の育成を掲げる学習院女子大学は、多様化しグローバル化する社会の第一線で活躍する数々の卒業生を輩出してきた。既に社会の第一線へと踏み出し、邁進を続ける若き卒業生が、後輩たちに向けてメッセージを語った。そのインタビューの模様をお伝えする。

厳しい状況下にある人に光を当て続ける記者でありたい

――学習院女子大学を志望した理由について教えてください。また当時はどのような学生生活を送られていたのでしょうか。

藤田 日向子 氏(NHK仙台放送局 放送部 記者)

 私は8歳から15歳までの時期をアメリカのハワイ州やニュージャージー州で過ごし、いつしか母国である日本への憧れ、好奇心を強く持つようになりました。日本の高校に入学してからもそうした思いは薄れず、グローバル社会での活躍を念頭に置きながらも日本の伝統文化についても学べる学習院女子大学に進学を決めました。

 私は国際コミュニケーション学科の所属でしたが、自分の関心に合わせて共通科目や他学科の専門科目からも履修ができるようになっており、履修科目を決めるのがとても楽しかったのを覚えています。例えば、香道などの伝統文化を学ぶ授業、染色など生活文化に関する授業、十二単の着装を学ぶ演習、民俗学の授業、さらにはエアロビクスに至るまで、多彩な授業を通じて知識と興味の幅を広げることができたと思います。一方、習熟度別のクラス編成で行われる英語教育など、語学教育が非常に充実しているのも特長です。おかげで海外生活で身につけた語学力を保つこともでき、これも学習院女子大学を選んでよかったと思える理由の一つです。

 学業以外ではアルバイトに明け暮れた学生生活でした。塾講師や喫茶店の店員、スタジアムでのビールの売り子など色々とやりましたが、これらのアルバイトを通じて人と会うことが好きな自分に気づくことができました。就職活動にあたっても、“人と出会う”中で自分の好奇心を活かしていけたらと考え、記者になりたいという思いを強めていきました。

――職場でのご経歴と現在のお仕事についてお聞かせください。

 2010年4月にNHKに入局し、5月に自らの希望が叶って秋田放送局に配属されました。東北を希望したのは、よく知らない地域だからというのが一番の理由。とにかく、私は好奇心が強い性分のようです。記者1年目は、いわゆる“夜回り・朝駆け”といわれる警察の事件担当を任されるのが通例なのですが、深夜にヘトヘトになって帰宅するのが当たり前の毎日でした。実はこの年、秋田では大きな事件・災害が多くあり、新人記者として貴重な現場と数多く向き合うことができました。そして翌年、3月11日には東日本大震災が起きます。その1週間後に現場に入って、被災地の取材を始めました。

 被災地の取材を通じて目にした傷跡はとても痛ましいものでしたが、時間が経つにつれて、目に見えないところで深い傷を負っている人たちに気づくようになりました。それは子供であったり、高齢者であったり、障害者であったり――1人でこの大きな災害に立ち向かうことが困難な方達です。そうした見えない傷跡にこそしっかりと光を当てて、埋もれないようにしなければ、記者として被災地に赴く意味がありません。私は震災を通じて生きる意味そのものについて考えさせられ、同時にこのときの経験が私の記者としての進むべき道を決定づけたのだと思っています。

 その後、2013年に仙台放送局へ異動になりましたが、現在も震災取材担当の遊軍として日々取材に追われる毎日です。記者として様々な現場と向き合う一方、取材テーマを提案して番組制作そのものに携わることもあり、仕事の幅は広がっています。今後も「子供」「教育」「災害」などをテーマに、社会的に厳しい立場にいる方々に光を当てた取材や番組制作に関わり、より多くの人と出会う中で、人として記者として成長してきたいと思っています。

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