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農村の現場で学んだ“自己決定”の大切さ

失恋を機に本来の自分に立ち戻った

水柿 大地(みずがき だいち)

田中 水柿さんは、法政大学現代福祉学部3年時に2年間休学。総務省主管の「地域おこし協力隊」に参加し、岡山県美作市の上山地区で地域おこし活動に取り組まれました。その経験をまとめた本『21歳男子、過疎の山村に住むことにしました』(岩波ジュニア新書)を読ませていただきましたが、大学からフィールドに出ようと思ったきっかけが「彼女にふられたこと」(笑)と書かれていたのには興味をひかれました。

水柿 実際、そうなんです。漠然といつかは農村に行きたいとは思っていましたが、本当に行くことを決意したのは、彼女にふられたことがきっかけでした。精神的に大きな衝撃を受け、自分の生き方を振り返らざるを得なかったんです。当時の僕は、農村の研究という目的を持って大学に入ったものの、アルバイトやバンド活動、福祉サークルの活動に明け暮れ、勉強はあまりしていなくて。失恋を機に、本来の目的を見失っていた自分に気づかされたんです。

田中 衝撃を受けた時には、「自分は何だろう?」と考えることが大事。ただ落ち込むだけでは駄目ですよね。私も何度もそういう経験をしているからよくわかります。つらい経験をマイナスにとらえるのではなく、「自分とは何か」に立ち戻って行動できたのは、すごいことですよ。今の学生たちにも伝えたい。
 でも、農村のことを知りたかった本来の自分に気づいて、「じゃあ、大学で勉強しよう!」ではなく、いきなり休学して「農村に行こう!」となったのはどうしてですか。

水柿 法政大学現代福祉学部が、「現場」が常に身近にある環境だったことが大きかったと思います。カリキュラムでも現場に出る機会が多くありましたし、介護施設や農村での経験が豊富な仲間も多く、大きな刺激を受けました。一方で、2年生のゼミで長野県の農村を訪れた際、期間が5日間と短かったこともあり「お客さん」のようにもてなされるだけで帰ってきてしまった。戻ってから、「これで果たして現場に行ったことになるのか」と自問自答しました。そんな経験もあり、今度は「お客さん」ではなく農村の一員として地域に関わりたいという思いが強くなったんです。

田中 確かに、フィールドワークが盛んな社会学部でも、滞在期間はせいぜい1週間。例えば、私のゼミでは佐渡に行って地元のお祭りにも参加させてもらい、衝撃的な体験をする。でも、しばらくしたら忘れてしまうのかもしれないですね。

水柿 当時は先生も手探りだったと思いますが、今では2年生から卒業まで現場と関わり続けるカリキュラムに変わったと聞いています。より実りの多い学びになっているのではないでしょうか。

「土の人」でもあり「風の人」でもありたい

田中優子

田中 最初は地域の中に入っていくのは大変だったのではないでしょうか。

水柿 現在は昔の農村のイメージとは違ってきていて、地元住民だけでは成り立たなくなっている中で移住者やNPOなどの外部組織との協働も行われており、「ヨソモノでもいいから担ってほしい」といったように農村に人が入り込める環境があると感じました。
 例えば上山地区では2007年より、「NPO法人英田上山棚田団」が水路の掃除など地域を根底から支えているような住民の仕事をお手伝いするところから棚田の再生を始めていて、その流れに乗って僕も活動をスタートしました。住民にとって大事なポイントを抑えて地域に入っていくことはもちろん欠かせないことだと思います。

田中 なるほど。農村の歴史から考えてみるとそういう見方ができるのですね。今回、本を書かれるなかで、長い歴史から見て自分が何をしているのかを考えられたことはとても意義深いことだと思います。

水柿 実は、文章を書くのは苦手だったのですが、自分の伝えたいことを形にできるのはかえがたいことだと気づきました。

田中 書くことによって経験が深い体験になります。是非続けていってください。
 初めての土地で最初に取り組んだことは何ですか。

水柿 耕作放棄地だった棚田の再生です。雑草が生えていた田畑を整備して米や野菜を育てました。最初の草刈りからしてあまりに大変でびっくりしましたが、今では地域の方から「プロじゃな」と言われるレベルにまでなりました。こうした小さな成功体験から喜びを感じる日々でした。一方、田んぼの管理をした際には「ミミズの穴を埋めておけ」と言われていたのに特段気にもとめなかった結果、本当に水が漏れてしまった。失敗から身をもって学びました。

田中 知識や技術は、自分で失敗しながら身につけて行くことが大事。本当の知識ってそれですよ。そういうことを考えると大学でやっている教育って何だろうと思いませんか。復学する気がなくなってしまったのでは。

水柿 いいえ。逆にすぐに大学に戻らなくちゃと思いました。学術的に歴史や農政を学ぶことが必要だと現場で強く感じました。結局、現場だけでも駄目で、机上の勉強の大切さも痛感しました。もちろん、それに気づけたのは現場に出たからです。そのまま退学しちゃう人もいるかもしれませんが、僕はやりきることを大事にしたいと思いました。地域の人も、「こいつはやりきる人間かどうか」を見ています。実際、地域の方にも「中退したら面倒みてやらんからな」と言われました。
 今では法政大学で学んできちんと卒業して本当によかったと思っていますし、これからも先生方ともつながりながら学術的な関心を持ち続けていきたいです。

田中 地域には土地に根付いている「土の人」と、土地に新しい視点をもたらす「風の人」がいると言われますが、その両方に関わりたいということですか。

水柿 はい、まさに研究と現場の両方やりたいと思っています。「土の人」としての立場をベースに、「風の人」をやると強いのではないかと。

ローカルを突き詰めたら地球の裏側に出る

田中 卒業後、また岡山に戻られました。現在は、たくさんの仕事に関わっているそうですね。

水柿 はい。今は棚田の再生の他に、ニンニクと米を作る農業、椎茸の原木栽培などの林業、キャンプ場の運営や高齢者の日常の困りごと解決に取り組む「みんなの孫プロジェクト」を企画・実施しています。最近ではトヨタモビリティ基金からのご支援もいただき、上山地区住民の日常生活支援や農業・観光の再興を目指す「みんなのモビリティプロジェクト」にも従事して、9種類の仕事に関わっている他、地区のお宮の世話をする宮総代や消防団にも入り活動しています。

田中 仕事を複数持つというのはなるほどと思いました。一つ失ってもなんとか生活できますからね。

水柿 どれも中途半端になる危険性はあるのですが、一つの企業に就職する人生とは別の生き方を見せていきたいと思っています。

田中 毎年キャリアセンターが出す就職結果を見ると、大企業から並んでいる。留学や進学する人もいるものの、大多数の学生は企業に就職するので、もちろんこれを否定はしないのですが、果たしてこれだけでよいのかなといつも考えてしまうんです。

水柿 就職先はちゃんと自分で納得して決めたことだったらいいと思います。でも、流れで大企業をめざすのはどうなのかなとは思いますね。

田中 そうなんです。人生において、自己決定はすごく大事なことですよね。

水柿 大地(みずがき だいち) 田中優子

水柿 僕も農村で生活して気づきました。何を食べるか。誰とつきあうか。毎日何をするか自分で決めていく積み重ねが大事なんだと。一日一日を決めることは人生を決めること。誰のせいにもできない。人のせいにしないでやりきれるか。そういう訓練をすることが若いうちは大事なんでしょうね。

田中 大学のキャリアセンターがそちらの仕事を紹介してもいいですか。

水柿 ぜひお願いします(笑)。実は、僕も今、農村で人材を育てたいと考え、大学、農村、企業の連携を探っているんです。過疎地には、人が育つ環境がある。生きる力やたくましさを身につけることができると思うんです。

田中 大学も変わらなくちゃいけませんね。そちらでの体験を単位として認めるとか。

水柿 それは是非、前向きに検討していただきたいですね。全面的に協力させていただきます。

田中 「スーパーグローバル大学」「グローバル人材」といったことが話題になりますが、私はグローバルもローカルも現場に出て自己決定して行動するという点では同じことだと思うんです。

水柿 実は、僕は海外に行ったことがないんです。でも、ローカルを突き詰めたら地球の裏側に出る。井の中の蛙も掘り続ければ、世界につながる。常にそういった意識で仕事に取り組んでいます。

田中 私も全く同じように考えています。大切なのは、世界のどこでも生き抜く力。結局、グローバルもグローカルも重なるものなんですよね。お話して、これからの大学教育を考える上で大きな刺激をいただいた思いです。本日は、ありがとうございました。

水柿 大地(みずがき だいち) 田中優子


「みんなの孫プロジェクト」代表取締孫
水柿 大地(みずがき だいち)
1989年、東京都あきる野市生まれ。2014年現代福祉学部卒業。
2010年7月から2013年3月まで、美作市地域おこし協力隊員。現在も岡山県美作市上山に住む。
「一般社団法人上山集楽」「NPO法人英田上山棚田団」理事、「みんなの孫プロジェクト」代表取締孫。
「NPO法人みんなの集落研究所」執行役。「21歳男子、過疎の山村に住むことにしました」(岩波ジュニア新書)などの著書がある。

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