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創立者2人を介してつながった縁 大分県杵築市

イメージ左:伊藤修(1855~1920)、設立時は25歳 右:金丸鉄(1852~1909)、設立時は28歳

イメージ『東京日日新聞』に掲載された東京法学社設立広告

イメージ杵築市の 法政大学創立者顕彰碑

1880(明治13)年4月10日、『東京日日新聞』に本学の前身である「東京法学社」の設立広告が掲載されました。この広告に発起名義人として名を連ねているのが、東京法学社の3人の創立者のうちの2人、金丸鉄(かなまるまがね)と伊藤修(おさむ)です。金丸は法律専門出版社・時習社の社主、伊藤は代言人(弁護士)でした。

広告にあるとおり、当初の東京法学社は「専ラ我国ノ新法ヲ講ジ、又仏国法律ヲ講」する講法局(学校部門)と、「上告、控訴、初審ノ訴訟代言ヲ務メ、又代言生ヲ陶冶」することを目的とした代言局(弁護士業務部門)からなる2局体制となっていました。

金丸と伊藤は、共に豊後国杵築藩(現・大分県杵築市)の下級武士の家の生まれです。譜代大名・能見松平家を領主とする杵築藩では早くから学問奨励の気風があり、藩校「学習館」では西洋医学のほか、当時はまだ珍しいフランス語も教えられていました。

学習館の教師だった元田直(もとだなおし)は、1875(明治8)年、東京・浅草に日本の私立法律学校の祖といわれる「法律学舎」を設立。金丸と伊藤も、上京後にこの法律学舎で法律を学びました。

東京法学社の設立後間もなく、代言人規則の改正があり、代言局は閉鎖せざるを得なくなりました。代言局を担当していたと推測される金丸と伊藤は、東京法学社を離れ、代言人などとして活動していたようです。

1909(明治42)年に開催された創立30周年の式典では、創立者の一人で、東京法学校の主幹となった薩埵正邦(さったまさくに)と共に、金丸や伊藤も創立者として顕彰を受けています。
1984年、第二教養部(当時)の芥川龍男教授の調査によって、金丸と伊藤の両者とも杵築出身であることが判明。それを記念し、1985年4月には現地で両名の顕彰祭が、その後1993年4月には杵築市の城山公園に顕彰碑が建立され、除幕式が行われました。

顕彰碑は本学OBの山本栄一氏が設計したもので、除幕式には当時の阿利莫二(ありばくじ)第14代総長と青木宗也(そうや)第13代前総長、大勢の本学OB・OGや関係者などが出席しています。

2017年には、杵築産茶葉を使用した大学ブランド茶「ほうせい茶」が製品化されました。パッケージには、本学と杵築を今もつないでいる金丸と伊藤の顔が描かれています。

取材協力:法政大学史センター

(初出:広報誌『法政』2017年度8.9月号)

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