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予期せぬことの人類学
〜海と生きる人々のエスノグラフィー〜
人間環境学部人間環境学科 高橋 五月 准教授

高橋 五月 准教授
高橋 五月 准教授

エスノグラファーの準備

「Expect the unexpected」(予期せぬことに備えなさい)。これは大学院生時代、文化人類学的調査方法を学ぶ授業で担当教員に言われた言葉でした。当時の私は、まだ本格的なフィールドワーク(現地調査)を始める前だったこともあり、彼女の言葉をメモしつつ、漠然と理解したつもりでいました。
それから1年半、事前調査を何度か行い、ようやく長期現地調査を始めることになりました。調査期間は1年、対象地は茨城県のとある沿岸地域。調査目的は、漁業者たちが行う海洋保全活動に注目しながら、海と共に生きている彼らの環境的、歴史的、文化的背景を探ること。目的を達成するためにいくつかの「問い」も設定しました。漁業者にとって海洋保全活動とは何なのか。漁業者のアイデンティティーとは何か。漁業者としてのアイデンティティーと海洋保全活動の関係は何か。調査方法は、漁業者に直接話を聞くことに加え、彼らが働く現場を観察すること。そのために、漁協から調査許可をもらい、漁港から近いアパートも探しました。大学院生当時、私はアメリカに住んでいましたが、日本に戻って調査を開始するにあたり、準備は万全に整えていた、つもりでした。

予想外は突然に

2006年初秋、成田到着。茨城県で調査を開始するまでの数日間は埼玉県の実家に滞在する予定でした。帰国の翌日、「the unexpected」(予想外)は突然やってきました。その日は台風の影響で朝から雨。夕方になり、居間でテレビを見ながら母親と談笑していると、ニュースキャスターの「速報です」という声が。茨城県沖で大型タンカーが座礁したというニュースでした。事故現場は調査予定の港の近く、しかし詳細については不明。翌朝のニュースでは、船底を上に真っ二つに割れた巨大タンカーの映像とともに、乗組員数名が行方不明、積み荷の鉄鉱石と燃料の重油が流出しているとの報道がありました。
翌日、漁協に電話をかけると、全面休漁が決定したこと、私の調査への協力はしばらく難しいと伝えられました。

度重なる「予想外」

座礁事故から1週間がたち、再び漁協に連絡を入れると、2週間後をめどに漁業は再開される見込みであることを聞きました。しかし、なんとその1週間後、再び台風が到来し、新たに2隻のタンカーが座礁したのです。さらなる「予想外」の到来でした。結局、休漁は延期され、最初の事故から約1カ月間漁業者たちは海に出ることができず、私も調査開始を見送らざるを得なくなったのでした。晩秋になり、ようやく漁業が再開し、私は現地調査を始動しました。
それから10カ月強の間、私は漁業に携わるいろいろな方々からたくさんのことを教えてもらいました。また、海と共に生きるとはどのようなものなのか、「予想外」とどう付き合うのか、彼らの日常を通してさまざまなことを学びました。
現地調査の期間中、座礁事故以外にも「予想外」の出来事は度々出現しました。ただ、「予想外」は悪いこととは限りません。その年の冬、漁港では座礁事故の影響で休漁し、収入が激減した(もしくは無収入になった)期間が1カ月もあったために、不安感が広がっていました。しかし、そんなときに突如現れた嬉しい「予想外」がタコの大量発生でした。タコは数年に一度の周期で大量発生することが知られています。しかし、大量発生の時期は海洋環境などによって決定するので、人間が事前に予想することは難しいのです。発生することは分かっているけれど、いつ発生するかは分からない。災害と海洋生態系のサイクルは大きく異なる事象ですが、「予想外」の様相としては似ているように思えます。

あの日とあれから

2011年3月11日、再び「予想外」は訪れます。東日本大震災の発生当時、私は半年前に士論文を提出したばかりの新米人類学者になっていました。ちょうど日本にいたこともあり、4月初めに震災と沿岸漁業についての現地調査を開始し、以前お世話になった茨城県沿岸地域を4年近くぶりに再訪しました。あれから7年間、漁業インフラの多くは再建され、海洋汚染も予想以上に回復が進んでいるとの報告がある一方で、漁業を取り巻く厳しい状況は続いています。
そんな中、今年に入って間もなく、茨城県でお世話になっている漁業者の方から連絡をいただきました。今年の冬はタコが大漁で、2006年冬の大発生を上回るかもしれません、と。タコの大発生と震災がどう関わるのかは不明ですが、軟体動物であるタコはセシウムを体内に蓄積しにくいことも分かっており、震災後に現れた久々の明るい「予想外」なニュースでした。
大学院生のときとは異なり、気軽に長期現地調査に出掛けることが難しくなってしまった今日このごろですが、私はこれからも、エスノグラファーとして、海で「予想外」と共に生きる人々から学び 続けたいと思います。

予期せぬこととの向き合い方

現在、私は人間環境学部でエスノグラフィーをテーマにしたゼミを開講しています。学生たちはそれぞれ興味のある調査研究トピックを選び、自ら現地調査を計画し、実行します。興味があるとはいえ、見知らぬ人々に実際にインタビューをしたり、日常を観察させてもらったりというのは容易にできることではありません。しかし、頑張って現地調査を行ってきたゼミ生からの報告を聞くことは教員としての楽しみの一つです。最近、そんな彼らと文化人類学やエスノグラフィーについて学ぶことで、改めて「Expect the unexpected」という言葉について考えるようになりました。
この言葉の真意とは、震災後によく耳にするようになった「想定外を想定内に」というフレーズが意味することとは異なるのではないかと思います。つまり、予期せぬことに備えるとは、予想できる範囲を広げることではなく、「予想外」は起きるものだ、という心積もり(「姿勢」)をすることではないでしょうか。現代社会で生きる私たちは、いろいろな場面で「予想外」に遭遇します。人類学者の手前みそかもしれませんが、エスノグラフィーを学ぶことで、「予想外」と向き合う姿勢を養い、人生をより豊かに過ごせるのではと思っています。

エスノグラフィー: その地域で生活する人々の生活様式や行動をフィールドワークによって調査する方法。日本では『民族誌』と訳される。

(初出:広報誌『法政』2018年度5月号)

人間環境学部人間環境学科 高橋 五月
Satsuki Takahashi
1978年生まれ。文化人類学、環境人類学、海洋人類学、災害人類学が専門。米国ラトガーズ大学、Ph.D.(人類学)取得。東京大学社会科学研究所学術支援専門職員、米プリンストン大学東アジア学部ポスドク、米ジョージ・メイソン大学社会・人類学部助教授、ミシガン大学日本研究センター客員教授を経て、2016年より現職。著書は『To See Once More the Stars: Living in a Post-Fukushima World /星が降るとき 三・一一後の世界に生きる』(共編/分担執筆、NewPacific Press)、『Japan Since 1945: From Postwar to Post-Bubble』(分担執筆Bloomsbury)、学術論文など。

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