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ノーベル平和賞を受賞した少女の自伝
『わたしはマララ:教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』を翻訳して

女子とすべての子供の教育を受ける権利を訴え、イスラム過激派の銃撃を受けながら奇跡的に生還、その後も活動を続けるマララ・ユスフザイさんが、先ごろ史上最年少の17歳でノーベル平和賞を受賞しました。そこで今回は特別企画として、彼女の手記『わたしはマララ』(学研パブリッシング刊)を翻訳した金原瑞人法政大学社会学部教授と田中総長の対談をお届けします。

マララが望む「教育」とは

田中 金原さんが翻訳された『わたしはマララ』ですが、たいへん興味深く読ませていただきました。タリバンに撃たれた事件だけではなく、生まれたころからの環境や体験が、とてもあの年頃の少女とは思えない言葉で生き生きと表現されていますね。
彼女の「女の子に教育を」という強い思いの源、その一つはお父さんの影響だったと納得しました。

金原 父親もすごい方です。学校をつくろうとしては何度も失敗し、いざ完成しても赤字続き、それでもやり続けるんですから。

田中 それを見て彼女は、教育を受けることはすばらしいもの、楽しいものだと思い始める。この感覚は、日本の学校に通う子供たちとは大きく違いますよね。
さらに彼女は、タリバンによって多くの学校が破壊されるのを目のあたりにして、やりたいこと、楽しいことができなくなるという危機感を持ったわけですね。

金原 先進国の生徒は、フォアグラ用に飼育されるガチョウのように教育を詰め込まれる。それに比べて、飢えたニワトリがいかにたくましいか、ということですね。
学ぶことの楽しさを味わえるのは、日本ではもう大学だけになってきたのかもしれません。すると学問する楽しさを学生に知ってもらう場を提供するのは大学の使命の一つでもあります。

田中 わからないけれど面白いと直感することがあるのですが、私にとっては、江戸文化の出会いがそうでした。
わからないから知りたい。そして「面白い」を実践が追いかけていく感覚、それはマララさんの「勉強が楽しくてしかたない」に通じると思います。
そうしてみると、日本語の「教育」という言葉に何かがひっかかるのです。学校という「場」は必要だけれど、そこは知ることを面白がり、自分で自分を「育てる」ところであって、決して「教え、教わる」ところではない。マララさんもそんなふうに考えているのではないでしょうか。

金原 そうですね。学生は自ら成長する、僕たち教員の役割はその刺激剤、触媒です。
学生たちにマララさんの気持ちをぶつけると、きちんと受け止めるし、それなりにしっかりした答えが返ってきます。ということは、置かれた状況が違うだけで、基本的に持っているものは同じだと思うんです。きっかけさえ与えれば、それが引き出せるはずだと。

田中 法政から第二、第三のマララさんにつづく人たちをぜひ育てたいですね。

教育におけるスピーチの大切さ

田中 マララさんは、スピーチもとても上手ですよね。

金原 若い人たちにもわかりやすく、思いが伝わってきます。彼女は、英語自体はそれほどうまくはないけれど、その分、シンプルな言葉をいかに効果的に使うかを、身をもって知っている感じです。

田中 しかも彼女のスピーチは、学校、国内、国連と舞台が広がるとともに進化していますよね。
本の中にも、彼女が「話す」ことを軸に自分を鍛えていく様子が書かれています。あちらの教育で、スピーチがそれほど活用されていることに、少し驚きました。

金原 スピーチは欧米の教育の中でも重要な位置を占めています。この本を読むと、パキスタンでもそうだということがわかります。
日本でも、たとえば大学の弁論部はかつて花形のひとつでしたよね。でもその伝統は失われ、最近は、英語の教科書を音読させることすら少なくなっている。日本人はどんどん口をつぐむ傾向にあるように感じます。

田中 たしかに明治のころの日本には、「演説」の文化がありました。
マララさんが示してくれたように、スピーチの力強さが人を変えるのだとすれば、日本でも「話す」教育を復活させなければいけませんね。大学という場でそれができるのではないかとあらためて思いました。

金原 マララさんのスピーチを聞き、その姿を見てひとつ感じたことがあります。
おそらく発展途上国には、彼女同様「勉強したい」と感じ、社会の矛盾を痛感し、同じくらいスピーチのうまい女の子が、ほかにもいたし、今もいるはずです。でも彼女は、運命なのか神なのかはわかりませんが、とにかく何かに選ばれた。そして銃撃され、奇跡的に生還し、そのことを世界に発信する役割を与えられた今、彼女はそれをしっかり引き受けて、その道を歩んでいるのだと思います。

田中 彼女のように有名になり、「ポスト」を得てしまえば、当然政治的に利用されます。 彼女はそのことを承知していて、しかし自身はタリバンが良い悪いではなく、ひたすら「一本のペンと一冊のノート」の大切さを訴えること、その一点を貫いている。そこがすごい。

金原 彼女は本の中で「Speak Up」、つまり、困っている人がいたら他人事と考えず、その人たちのために「声を上げる」ことが大切だと述べています。まさにそれを実践しているんですよね。

翻訳という仕事

田中 『わたしはマララ』は共訳という形になっていますね。

金原 16歳の女の子が書いた本に、僕の文体は合いません。そこで共訳の形にしました。訳文は西田佳子さんの文体なんです。
また、通常は原書を読んだ上で翻訳を引き受けるのですが、この本の場合は、まだ原稿のない企画の段階で版権を買った出版社からのオファー。正直、面白いかどうか不安でした。でも届いた第一稿が素晴らしくて、ホッとしました。

田中 第一稿ということは、二稿、三稿と、翻訳の途中で内容が変わったのですか。

金原 世界同時発売といった企画ではよくあることです。しかもこの本は、初版と再版でも違う箇所があるんです。
イスラム教では「預言者ムハンマド」の名を口にするたびに「彼の上に平安あれ」の文言を添えるのが宗教上のルールなのですが、原書の初版ではそれが抜けていた。再版のときにその訂正が入ったのです。それを日本語版に反映させるかどうかで迷いました。いちいちそれを添えると違和感があるでしょう?
しかし、信仰や文化に根差した著者の意図を無視するのはよくないというので、今の重版では英語の頭文字をとった「PBUH(Peace Be Upon Him)」のルビをふっています。

田中 私がかつて翻訳をしたときは、こう書いたほうがわかりやすい、とどんどん書き変えてしまい、やはり叱られてやり直しました(笑)。それで自分は翻訳に向いていないと悟りました。
金原さんは400冊以上訳されていますよね。翻訳という仕事の面白みはどこにありますか。

金原 いや、作業自体はひたすら苦痛です。
たとえば「吾輩は猫である」は、「I`m a cat」と英訳するしかないけれど、これは一種の誤訳、原語に対する裏切りです。原文のおかしさがまったく伝わってこない。翻訳者としてそんなことを繰り返しているという精神的苦痛に加え、肩こり、腰痛などに見舞われます(笑)。
ただ、読者に面白かったと言ってもらえると嬉しい、それだけかな、翻訳の面白みは。

田中 最後に、翻訳者から見た海外小説の魅力とは?

金原 たしかに、翻訳ものは固有名詞がややこしいし、覚えづらい。それを読むには気力・体力・記憶力が必要です(笑)。でも、日本の作家には絶対に書けない世界との出会いがある。その新鮮さ、その驚きが大きな魅力だと思います。

田中 想像力も、日本の風土の中にばかり置いていたら狭くなりますものね。楽しいお話をありがとうございました。


法政大学社会学部社会学科教授 金原 瑞人(かねはら みずひと)
1979年 法政大学文学部英文学科卒業
1954年岡山県生まれ。1985年法政大学大学院人文科学研究科英文学専攻博士課程単位取得満期退学(文学修士)、1998年より現職。2010年から2011年まで社会学部長、2012年から国際戦略機構長を務める。 『わたしはマララ』(共訳、学研パブリッシング、2013年)、『青空のむこう』(求龍堂、2002年)、『ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂』(集英社、2012年)など、これまでベストセラーを含む400冊以上の翻訳を手掛けている。芥川賞作家金原ひとみの実父としても知られている。

法政大学総長 田中 優子(たなか ゆうこ)
法政大学総長。1952年、神奈川県に生まれる。法政大学文学部卒。同大大学院人文科学研究科修士課程修了後、同大大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。2014年4月より法政大学総長に就任。専攻は江戸時代の文学・生活文化、アジア比較文化。行政改革審議会委員、国土交通省審議会委員、文部科学省学術審議会委員を歴任。日本私立大学連盟常務理事、大学基準協会理事、サントリー芸術財団理事など、学外活動も多く、TV・ラジオなどの出演も多数。

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