カザフスタンについて

カザフスタンについて

カザフスタンの一般情報

 ロシアの南に日本の7倍もの国土を持つカザフスタン共和国は、石油、天然ガスなどのエネルギー資源、鉱物資源に恵まれた資源大国。石油埋蔵量は398億バレル(世界の3.3%)、天然ガス埋蔵量3兆立方メートル(世界の1.7%)(2007年BP統計)。石油に関しては、2010年に200万バレル/日、2015年は300万バレル/日の生産が見込まれている。また、レアメタルを含めた非鉄金属も多種豊富で、ウラン、クロムの埋蔵量は世界2位、亜鉛は世界5位となっている。

カザフスタン共和国地図

面積

272万4900平方キロメートル(2007年:CIS統計委員会)(わが国の7倍。旧ソ連ではロシアに次ぐ)

人口

1540万人(2007年初め:CIS統計委員会)(中央アジア5か国で2番目)

首都

アスタナ(Astana:旧アクモラ。1997年12月10日にアルマティから遷都。わが国はJICAによる新首都アスタナの建設計画作成支援を実施し、基本設計は黒川紀章氏が担当した)

民族

カザフ人(58.9%:900.8万人)、ロシア系(25.9%:396.2万人)、ウクライナ系(44.5万人)、ウズベク系(43.4万人)、ウイグル系(23.1万人)、タタール系(22.9万人)、ドイツ系(22.3万人)、韓国・朝鮮系(約10万人)(2006年7月:カザフ統計庁)

言語

カザフ語が国語(ロシア語は公用語)。

宗教

カザフ人の間ではイスラム教スンニ派が優勢

略史

年月略史
14世紀ごろまで現在のカザフ人とほぼ同じ人種的特徴と、カザフ語とよく似た言語が定着
15世紀後半遊牧ウズベク国家から分離し、キプチャク草原(カザフスタン)に勢力を拡大。カザフ・ハン国の成立
18世紀初ジュンガルとの戦いの中でカザフ人の一体性の意識が明確化
18世紀初大ジュズ、中ジュズ、小ジュズの三つの部族連合体に分裂
1730年代カザフの支配層の一部がロシア皇帝に臣従
18世紀中頃清朝にも朝貢
1820年代までロシア帝国、南部を除くカザフスタンを直接支配下に収める
1837年-1847年ケネサルの反乱(カザフ人による対ロシア反乱)
1850年-1860年代カザフスタン南部がロシア帝国に併合、カザフスタン全域がロシアの支配下に(ロシア人農民の大量植民)
1920年ロシア連邦共和国の一部として「カザフ(キルギス)自治ソヴィエト社会主義共和国」成立(首都オレンブルグ)
1924年中央アジアの民族・共和国境界画定により国境線の変更
1925年首都をオレンブルグからクズィルオルダに移し、国名を「カザフ(カザク)自治ソヴィエト社会主義共和国」に変更
1929年首都をアルマティ(アルマ・アタ)に移転
1936年ソ連邦を構成するカザフ・ソヴィエト社会主義共和国に昇格
1986年12月1日アルマ・アタ事件(カザフ人共産党第一書記コナエフ解任に抗議するデモに対し、内務省軍と警察による弾圧)
1990年4月24日ナザルバエフ大統領就任
1990年10月25日共和国主権宣言
1991月12月1日ナザルバエフ大統領再選
1991年12月10日国名を「カザフスタン共和国」に変更
1991年12月16日共和国独立宣言
1997年12月10日首都をアルマティよりアクモラ(現アスタナ)に移転
※外務省ホームページより引用
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