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環境問題を考えるうえで新しい視点を
ローマ教皇が示した『回勅 ラウダート・シ』

吉川 まみ 神学部 神学科 准教授

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環境月間に思う、良い事・悪い事

6月5日は「国際環境デー」。これは、“かけがえのない地球”をキャッチフレーズに1972年の同日から開催された「国連人間環境会議」を記念し、日本の提案によって定められたものです。そして我が国では、この日を含む6月を、国民が環境への関心と理解を深めるべき「環境月間」と定めています。

最近、特に若い人たちの間で、興味深い動きが見え始めています。例えば、日々の買い物の中で、環境負荷が少なく社会貢献につながる商品を選ぶ「エシカル(倫理的)消費」、車や建物、土地などを共有し、交代で使う「シェアリング・エコノミー」、廃材を利用した「再生可能エネルギーの地産地消」、老朽化した家屋の「リノベーション」、などなど。

これらは地域創生の取り組みの一環として行われ、また、都市部でも農地や庭もない都会暮らしでも無農薬の食を自分でまかなおうと、ベランダや街の一角の狭い土地などを利用して自ら耕す「シティ・ファーマー」が世界中に増えてきています。

一昔前までは、自然や生活環境を守るために不便や不快を我慢したり、現状を否定したりしながらジレンマを抱えるようなイメージがありましたが、これらの例は、価値観を変えれば、環境にやさしいライフスタイルは楽しいものだと感じさせてくれます。

私の研究分野は環境教育ですが、その基本的な考え方に、「Think globally, Act locally(地球規模で考え、足元から行動せよ)」というものがあります。若者たちはそれを自然に実践し、身近な生活の場で、発想の転換や創意工夫によって、それまで捨てていたものや意味を見いだせなかった物事に新たな命を吹き込んでいるかのようです。

しかし一方では、心配な意識の変化も見られます。「環境問題はいずれ科学がすべて解決してくれるから、自分たちは何もする必要がない」と考える人も増えているように思います。テクノロジーの驚くような進展に加えて、近年では、人工知能によってかつては想像もしなかった世界がどんどん現実になってきましたから、このように考えてしまうのかもしれません。

また、環境対策を講じていく中で、依然として生態系の健やかさよりも経済的な損得が判断基準になっているように見受けられます。アメリカのパリ協定離脱などは、その典型でしょう。

こうした環境問題について、あらためて考えるうえで有益なヒントを与えてくれる本を、少々意外な方が書かれています。バチカンのローマ教皇フランシスコです。

環境問題の根源は人間の内面にある

教皇フランシスコはアルゼンチン生まれ。2013年に、中南米出身者としては初めて教皇に選ばれたとき、アシジの聖フランシスコの名を教皇名としました。アシジの聖フランシスコは、エコロジー分野に携わる人の守護聖人とされ、傷つきやすい被造物と社会的な弱者を思い遣って生きたことで知られています。

教皇が環境問題を正面から取り上げたのは、2015年に発表された『回勅 ラウダート・シ』です。「回勅」とは、重要なテーマについて教皇が信徒に直接語りかける「手紙」のようなもので、タイトルは「私の主よ、あなたはたたえられますように」(ラウダート・シ、ミ・シニョーレ)というアシジの聖フランシスコの詩『太陽の賛歌』の一節からとられています。

私はその翻訳に携わりましたが、この回勅が興味深い点は、社会的に弱い立場に追いやられた人々と、脆弱な自然環境の間には密接なつながりがあって、両者は同時に傷つけられていくと強調していることです。このことは、例えば、自然資源の大部分を消費しているのが、その産出国である途上国の人々ではなく、経済的に豊かな先進国の人々であるという格差にもあらわれています。

また、環境問題は社会問題でもあり人間の問題でもあるというのも大切な視点です。環境問題の主要な原因は「大量生産・大量消費・大量廃棄」の悪循環だといわれますが、教皇はこの悪循環のもとにある技術至上主義や効率主義、消費主義を指摘しながら、結局、そのような状態に陥ってしまう人間の根源的な「内なる環境」、「内的な平和」の問題だと述べています。

だからこそ、人間観を問い直すことなく、エコロジカルな科学技術や環境政策だけで環境問題を解決するのは難しいのです。本来、人間は自然の一部だけれども、自然の一部というだけではない存在で、同じ「神の被造物」である自然を守る大きな責務を与えられていると教皇は説きます。そのことを思い起こして、他の人々や自然界との調和を考えていこうと、「この世界で人間が占める特別な立場と、自らの周囲との関係を組み込んでいく」、「総合的なエコロジー」の視点を持とうと回勅は呼びかけています。

回勅は上智らしい環境教育に直結する

上智大学には「キリスト教人間学」という授業があります。これは、キリスト教ヒューマニズムにもとづいて、人間とその生き方を総合的に考えるもので、私はおもに、人間学としての環境教育の授業を担当しています。

かつて、1970年代の国際会議文書に、環境教育の目的のひとつは、「人と人、人と自然との関係性を含むすべてのエコロジカルな関係性の改善」だと記されましたが、キリスト教人間学では、「人と人」、「人と自然」という関係性に加えて、「人と神(超越)」とのかかわりという関係軸も前提に、人間観を問い直すところから環境について考えていきます。

ちょうど、教皇が回勅の中で、神と、他者と、自然と、自分自身との見事な調和のうちに生きたアシジの聖フランシスコが「総合的なエコロジー」の模範だと述べていますが、この意味で、回勅は上智的な環境教育にとっても基盤になるものだと思います。そして、「いのち・環境・平和」をひとつながりのものとして捉える総合的エコロジーの視点を、より意識的に自分の研究・教育に生かしていけたらと考えています。

さまざまな違いを乗り越えて

さらに、上智大学では、民族・文化・宗教などの多様性を認め合い、対話することをとても大切にしています。教皇も回勅の中で、多様な違いを越えてともに暮らす家を守るため、すべての人々との対話の重要性を強調しました。序章では、環境問題の深刻化を憂慮して地球環境の保護を呼びかけた、ギリシャ正教会の総主教バルソロメオの言葉を引用しています。

そのような教皇の思いを受け止めるかのように、昨年、クリスチャンではない方々からのご提案で、「総合的なエコロジー」をテーマにしたシンポジウムが上智大学で開催されました。仏教・イスラム教・神道などの専門家もキリスト教の立場の者も、あらかじめ回勅を読んだ上で、それぞれの立場から、相通じるものや異なるものを理解して尊重し合う有意義な時間となりました。

皆さんは、教皇フランシスコが回勅で難解な議論を繰り広げているように感じられたかもしれません。しかし、回勅の結びに示された教皇の呼びかけはとてもシンプルです。それは、自然の美しさに心を向けたり、配慮ある言動や気遣いをもって人とかかわったり、かけがえのない一瞬一瞬を慈しんだり、食前に祈ったりするために、少し立ち止まってその与え主に思いを馳せようというものです。そのささやかな行為や感謝の祈りの中に、多くの違いを越えて、かけがえのない地球に暮らす同じ人々、兄弟姉妹としての自然とのよりよいかかわりも育まれていくと教皇は伝えようとしているのだと思います。

吉川 まみ 神学部 神学科 准教授

民間企業勤務の後に進学し、2009年上智大学大学院地球環境学研究科地球環境学専攻博士後期課程修了。博士(環境学)。川崎市環境局地球環境推進室環境技術情報センター(現・川崎市環境総合研究所)研究員並びに東京都市大学特別研究員を経て、2013年4月に神学部 神学科講師に着任。2018年4月より現職。
専門は環境教育。上智大学のユニバーシティ・アイデンティティ科目群「キリスト教人間学」として環境教育を担当し、人間の内なる環境と外在する環境のつながりについて人間学的な研究をしている。
教皇フランシスコの環境問題についての回勅を共訳『ラウダート・シ ともに暮らす家を大切に』(カトリック中央協議会、2016年)。また、南山大学社会倫理研究所・上智大学生命倫理研究所共催シンポジウム「持続可能な発展は可能か」(2016年)での研究成果報告や、地球システム・倫理学会第13回学術大会シンポジウム「回勅『ラウダート・シ』と統合智の地平」(2017)では回勅の解説などを行う。
独立行政法人国際協力機構(JICA) 青年海外協力隊事務局・環境教育分野の技術専門委員を務める。

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