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「森林環境税」は環境価値の高い
豊かな森をつくる国民協働の契機に

柴田 晋吾 大学院 地球環境学研究科 教授

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日本の森林の将来にかかわる新制度

メディアでの扱いは控えめですが、次世代の日本人にとって大きな意義を持つ法案が、今国会で審議されます。林野庁が導入を目指す新たな森林管理システムに関する「森林経営管理法案」です。

森林が国土の3分の2を占め、その約4割は人工林というこの国で、日本人はまさに森とともに生きてきたといえるでしょう。しかし、安価な輸入木材に押されるなど、わが国の林業は不振が続き、間伐などの手入れが行き届かない不健全な人工林を域内に抱えるとする市町村は、いまや8割にのぼっています。

こうした現状への対策の一つとして考えられたのが新たな森林管理システムです。この仕組みでは、所有者自身が必要な作業を施せない森林を市町村が引き受け、意欲と能力のある別の林業者にその経営を再委託することを基本としつつも、一方で、立地・自然条件などから再委託ができない場合は市町村が主体となって管理することとしています。市町村が管理する場合の費用については、国が森林環境税(仮称、以下では省略)を国民から徴収し、地方に財源を移す「譲与税」の手法で市町村等に分配し、その一部を賄おうとするものです。

この新しい仕組みは、わが国の森林を望ましい姿に再生・育成するチャンスになりうると思います。本来、環境保全上放置できないような箇所については、治山事業など公共事業によって緊急に対応することが筋だと思いますが、国税をもとに公的管理を行うのであれば、まずこれらの箇所の実態を可能な範囲で国民に明らかにする必要があるでしょう。

「PES」という国際トレンド

森林が私たちに与えてくれる恩恵は、木材や食料の生産などの客観的に計りやすい経済的価値だけでなく、水源の保全、生物多様性の保全、美しい景観やレクリエーションの提供など多岐にわたり、さらにはまだ認識されていない様々なものも存在するでしょう。その多くは、森林の生態系が健全に維持されて初めて十分に発揮される機能で、最近ではよく「生態系サービス」と総称されます。

短いサイクルで単一樹種の伐採、植栽を繰り返すスギやヒノキなどの人工林は、木材バイオマスの生産効率や炭素吸収機能が高く、また、皆伐直後の明るい環境を好む生物の生息に好適であり木材生産を集中的に行うことで天然林の保護にも役立ちますが、長伐期林業や混交林などと比較すると一般的に属地的な生物多様性やレクリエーション利用などの価値は劣ります。つまり、「林業振興」→「公益的機能発揮」という単純な予定調和論ではなく、様々な生態系サービスのトレードオフの関係に留意し、多様な価値のバランスをとるための能動的な努力が重要になります。アメリカでは1980年代からアウトドアレクリエーション需要、水需要などを含めた連邦レベルの将来予測を行い、国有林の地域ごとの計画策定過程では大がかりな環境アセスメントと国民参加を実施し、現在では様々な生態系サービスに着目した協働型の計画策定に取り組んでいます。

20世紀後半に世界各国で起こった対立・紛争を経て、特定の価値を過度に追うことが破滅的結果を生むことが分かり、森林管理の概念はいわば「木を見て森を見ない」管理から、「木を見て森を見て人も見る」管理へと国際的に大きく変化しました。このため、針葉樹・広葉樹の混交林など自然な姿に近い森林を取り戻そうとする取り組みが盛んになっています。問題は、直接経済的価値を生み出さないこうした事業のコストをどう捻出するかです。

1990年代後半から世界的に注目されているのが、「PES(Payment for Ecosystem Services=生態系サービスへの支払い)」(注)という仕組みです。その特徴は、環境を損なった者(生産者・事業者等)がその補償や回復のコストを支払うという従来の環境政策の原則ではなく、生態系サービスの受益者(消費者・地域住民など)がその費用を負担するという考え方が取られていることです。
(注) Payment for Environmental Services=環境サービスへの支払い、とも言う。

例えば、PESの取り組みが世界に拡大する契機となったコスタリカの林業法(1996年)は、生物多様性保全など4つの森林生態系の環境サービスを規定し、補助金支払いの根拠を従来の木材産業の支援から環境サービスの確保へと変更、財源についても政府予算から税金と受益者の負担へと改めました。また、EUの農業の多面的機能への補助金やイギリスの環境管理制度は、集約農業からより粗放な生物多様性などの環境価値の高い手法の農業への転換に支払われており、さらに、1970年代に数々の環境法が制定されたアメリカでは、負の外部経済効果を低減させる観点からそれらの規制法制度と相まって、農業環境政策において早くからPESが導入されてきました。直接取引価値および外部経済価値を問わず生態系サービスを享受する顧客は地域住民や一般国民であり、民有地であっても野生生物生息地などの様々な環境価値を保全するための動機づけやPESなどの市場メカニズムの導入が国際的な潮流となっています。

伝統と革新の調和による日本型の制度設計を

わが国でも最近、宮城県・蕪栗沼の「ふゆみずたんぼ」など、いくつかの注目すべきPESの取り組みがありますが、歴史をさかのぼると、江戸時代の1784年、越後国(現・新潟県)水野村が計画した木炭生産のための山林伐採に対し、下流の24の集落が、それによる水不足や沈殿物の増加を懸念し、取りやめにしてもらう対価として金銭や米を贈った事例が報告されています。これは、世界に先駆けたPESの事例といっていいでしょう。近代においても、1916年に横浜市が水源保全のために山梨県道志村の森林を購入した事例など、上下流の関係者が連携して上流域の森林造成を行うPES類似の取り組みが、各地で行われています。

また、水源保全や災害防止への貢献などの目的で伐採や開発に制限を加える「保安林」制度を明治期につくるなど、日本は本来、環境や生態系に配慮した森林管理の先進国なのです。これは、急峻な地形とそれゆえの山地災害の多発、温暖多雨な気候のもとで脆弱さと力強い回復力を併せ持つ生態系といった独特な自然環境の中で、それらと里地・里山などを通じて親しく触れ合う文化を育んできた日本人が身につけた、感性と知恵の賜物でしょう。

こうした伝統・伝承を土台にしつつ、森林管理概念の世界的変化や最新の科学的知見などを踏まえて、複数の環境価値、生態系サービスの重層的な発揮を目指す日本独自の制度を設計することが、いま求められているのだと思います。このことによって、国民の誰もが主役となって森と関わりあい、負担もする代わりに様々な恩恵も受ける『エコ・フォレスティング』社会の実現に踏み出すことができるでしょう。

冒頭の新制度は、市町村が管理を引き受ける経済的価値の低い森林について、森林所有者に任せておいては実施が期待できない活動、たとえば、広葉樹林のモザイク的な配置や混交林化など環境価値の高い『より豊かな森』への転換に取り組み、森林環境税からの財源をそこに重点的に充てるといった発想を取り入れることで、森林の保全・再生に向けたPESの設計、そして国民協働の第一歩となりうるのではないでしょうか。さらには、多様で豊かな森を活かした6次産業化や全ての生態系サービスに着目した『森林業』・『生態系サービス林業』を追求することが、持続可能な山村振興につながると考えております。

柴田 晋吾 大学院 地球環境学研究科 教授

京都府出身。東京大学農学部林学科卒。科学修士(カリフォルニア大学バークレー校)、農学博士(東京大学)。農林水産省、国連食糧農業機関(FAO)、文部科学省などを経て、2013年から現職。深海地球探査の国際共同研究プロジェクトIODP(International Ocean Discovery Program)の共同議長などを歴任。専門分野は、環境資源管理政策、森林環境政策。主な著書等に、『エコ・フォレスティング』(2006年、日本林業調査会)、「『生態系サービス林業 (ESF)』のビジョンと胎動」『森林と林業』2017年4月号、“Vision of Transformative “Ecosystem Services Forestry (ESF)” and Its Significance/Potential”(アメリカ森林学会口頭発表 2017年11月)、“Corporate Social Responsibility Kyoto-Style: Kyoto Model Forest’s Approach to Collaborative Forest Management”(国際モデルフォレストネットワークウエブサイト 2017年5月)、『政策決定への「生態系サービスアプローチ」の導入—「生態系管理」から「生態系サービス管理」へと展開するアメリカ国有林(Ⅰ、Ⅱ)』(『山林』誌 2016年5月・6月)、「アメリカにおける生態系サービスへの支払い(PES)/エコシステムマーケットの取り組みの現状と複数のクレジットの設定(stacking)の問題について」(『上智大学地球環境学会誌』 2014年3月)、「林業(timber forestry)から森林業(holistic forestry)へ −複眼フォレスターが切り拓く21世紀の環境共生社会」『林業技術』706号(2001年)、ほか。

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