井上円了の足跡

東洋大学創立者 井上円了の足跡
諸学の基礎は哲学にあり
──教育に情熱を注ぎ続けた生涯

 東洋大学創立者の井上円了は、著名な哲学者・教育者であるとともに、渡航が現在ほど容易ではなかった明治期に三度にわたる世界視察を敢行した国際人としても知られる。円了は早くから国際教育の必要性を提言し、「諸学の基礎は哲学にあり」の理念の下、東洋大学の礎を築いていった。円了の志は、現在の東洋大学にどう受け継がれているのだろうか。その足跡を追った。

理想の教育を実現するため「私立哲学館」を創立

 哲学者として、今なお多くの後続に影響を与え続けている井上円了。東京大学文学部哲学科で学ぶうちに「諸学の基礎は哲学にあり」という確信をもち、以来、生涯にわたって教育による哲学の普及や著作に取り組み続けた。「国家や社会の文明を発展させるためには、哲学の研究と普及が不可欠」と考えた円了は、大学卒業後に29歳の若さで「私立哲学館」を創立。時は明治20(1887)年、ここに東洋大学の前身が誕生した。

 私立哲学館では哲学、心理学、社会学など西洋の諸学の科目を開講したほか、創立半年後には遠隔地の人も学べるよう、現在の通信教育に当たる「館外員制度」も設置。教室での講義を筆記印刷した「哲学館講義録」を発行して、全国各地の人々に学習の機会を開放した。この制度への応募者は、翌年には1831人にものぼったという。

 こうして体制を整えた後も、円了の教育への情熱はやむことはなかった。創立の翌年の明治21(1888)年には、一人で世界を一周する視察旅行へ出発。海外旅行が困難な明治期に海を渡り、アメリカやイギリス、フランス、ドイツ、エジプトなどを約1年かけて視察して回った。この視察の途中、パリではエッフェル塔が建設されたことで有名な世界万国博覧会(パリ万博)も見学したという。世界の教育を見て回る中で、円了はこれからの日本や日本人としてのあるべき姿を探り、私立哲学館の発展に取り組む決意を新たにした。

海外視察で得た知見を全国に

 円了は早くから「日本人が海外で渡り合えるように教育すべき」と提言していたほか、近代化を進める日本において新たな役割を担う教育家や宗教家、哲学家を育成しようとしていた。これを達成するためには世界各国の教育を知り、外から日本の教育を見る経験が不可欠と考え、明治35(1902)年から2度目の世界旅行に出かけている。この視察では太平洋を横断した前回とは反対の西回りのコースで視察し、特にイギリス各地で「言論の自由」「人格の尊厳」「社会道徳」を肌で感じたという。帰国後にはイギリスで学んだ新たな社会教育運動や生涯学習運動を開始することを宣言し、私立哲学館を専門学校令による「私立哲学館大学」とした。

 円了は世界旅行で得た知見を大学教育に生かすだけでなく、それを民衆に広める活動も精力的に行っている。その一つが、日本各地を巡って講演を行う「全国巡回講演」だ。幕末の志士・坂本竜馬の師としても有名な勝海舟への相談が講演を行うきっかけとなり、当初は哲学の普及や哲学館の資金募集を目的としていたが、2回目の世界旅行から帰国した後は、社会教育や生涯学習の普及を目的として、言論の自由や人格の尊重、社会道徳を軸にして行われた。この巡回講演は生涯にわたって続き、円了は計5291回、130万人以上にも及ぶ人々に、ものの見方や考え方を伝授して回ったという。

 一方で、明治44(1911)年からは3度目の世界旅行に出かけ、オーストラリアやアフリカ、南米といった南半球や北欧地域を視察。北はノールカップ岬、南はホーン岬(マゼラン海峡)と、南北二つの極地に達するという、当時の日本人として稀な経験をした。帰国後は南半球の状況を全国巡講の講演テーマにも加え、民衆に世界で活動することの大切さを伝えたという。世界を見渡す広い視野と、優れた実践力を兼ね備えた人物──。円了は、まさに明治期を代表する教育者であり国際人だったと言えるだろう。

円了の志を受け継いでさらなる発展を

 明治39(1906)年、円了は大学から退隠。その際に全財産を寄付して財団法人を設立し、新たな校名を「私立東洋大学」とした。大学は円了の志を受け継いで着実に発展を続け、終戦後の新たな制度の下で現在の「東洋大学」となる。

 私立哲学館創立から125年以上が経った平成28(2016)年現在、東洋大学は文学部、経済学部、経営学部、法学部、社会学部、国際地域学部、生命科学部、食環境科学部、ライフデザイン学部、理工学部、総合情報学部の11学部と大学院12研究科を擁する総合大学に成長。キャンパスも白山、川越、朝霞、板倉の四つを擁するまでになった。

 明治期に円了が提言した「国際人の育成」への取り組みも加速している。2014年度には文部科学省の「スーパーグローバル大学創成支援(タイプB)」に採択され、17年度には「情報連携学部※」「国際学部※」「国際観光学部※」「国際文化コミュニケーション学科※」の開設に加え、東京都北区赤羽台に新キャンパスが誕生する予定だ。哲学を基礎とした教育の下で、日本と世界の発展を担うグローバルリーダーの育成を目指す姿勢は、明治期の円了の姿そのもの。創立者の志を受け継ぎながら、東洋大学の挑戦は続く。

※2017年度に開設予定の学部・学科の名称は仮称であり、計画内容は変更になる可能性があります。

東洋大学創立者
井上円了(いのうえ・えんりょう)
安政5(1858)年、新潟県長岡市浦に生まれる。10歳のときに明治維新を経験し、その年から漢学を、次に旧長岡洋学校で洋学などを学ぶ。教師学校、東京大学予備門を経て23歳で東京大学文学部哲学科にただ一人の1期生として入学。明治20(1887)年、「諸学の基礎は哲学にあり」の理念の下、東洋大学の前身となる「私立哲学館」を創立。大学の発展に尽くすかたわら、三度にわたって世界を巡る視察旅行に出かけ、また教育の普及を目指して全国巡回講演を実践した。大正8(1919)年、61歳で逝去。