インタビュー04

こう生きたいと決めたら
チャンスは自分で作る。

島津 邦雄さん(検査技師 チリ在住)

世界を舞台に活躍する人材を育てる東洋大学。日本を飛び立ったその卒業生たちは、今どんな舞台に立っているのだろうか。ここでは、海外で働く卒業生たちのインタビューを連載。国境を越えて活躍する彼らの軌跡や思いを追うとともに、後輩へのメッセージも紹介する。

海外勤務を通して自分に合う場所を探求

 私は若いころから日本の慣習は性に合わないなと感じていて、ずっと海外に飛び出す機会を探してきました。どこかに自分に合う場所があるはずだと思いながら海外を渡り歩き、最終的にたどり着いたのがチリ。現在はサンティアゴに住み、「キミカ」という日本の会社のチリ工場で、採算性向上のための設備改善に取り組んでいます。ここでの生活ももう26年目。今、この国も仕事も自分に合っていると実感しながら、充実した日々を送っています。

 私は石油プラントなどの建設業務を専門としていて、最初は会社員として、のちにフリーランスで働きながら、プロジェクト次第で国々を飛び回る生活をしてきました。こうした生活は大変そうだと思われるかもしれませんが、できるだけ多くの国の文化や国民性を知りたかった私にとっては、それこそが理想の生活だったのです。どうせ外国に行くなら、旅行で行くよりも仕事で長期滞在した方が、現地のことをより深く理解できますからね。

率先して手を挙げクウェートに赴任

チリ共和国は南米にある細長い国で、首都はサンティアゴ。
多彩な気候と多くの資源を持つ資源産地国。

 大学時代から海外に目を向けていた私ですが、卒業後は日本の会社で1年ほど働いていました。そこで海外に出る手立てを自分なりに考え、まずは英語を身につけようと日本の米海軍基地に入ったのです。そして何とか英語を身につけた後建設会社に入り、やがてクウェートへ赴任。会社が「誰か行ってくれないか」と言うので、率先して手を挙げました。周囲は誰も行きたがりませんでしたが、私にとっては夢にまで見た海外勤務。これは大きなチャンスだと思い、自らつかみに行ったのです。

 このクウェート赴任は本当に大きなきっかけになりました。人に恵まれたこともあって、ここから次のプロジェクトへ、また次へと仕事がつながり、知らない国々を巡る生活が始まったのです。ただ口を開けて待っていても夢は実現しない、自分でチャンスをつかまなくては。そんな思いから、周囲にも「まだ自分が行っていない国でプロジェクトがあれば行かせてほしい」と言い続けていました。

チャンスをつかんで自分らしい人生を

 今思えば、私には出世欲というものがまったくなかったようです。年功序列や定年といった日本の慣習にも違和感があり、ただやりたいことを実現したいという気持ちだけでここまで来ました。ここチリには定年という言葉がなく、国も会社も働き続けることを奨励しています。今後は工場の設備改善によってコストを削減し、会社を発展させていきたいですね。社長にも約束したので、「生涯現役」を胸に仕事に取り組んでいくつもりです。

 私は大学時代、残念ながらあまり成績の良くない学生でした。英語もあまり得意ではありませんでしたが、それでも海外を飛び回りたいという夢を持ち、何とか道を切り開いてきました。学生の皆さんに一言贈るとしたら、「チャンスは自分で作れ」。こう生きたいという目標があるのなら、まずチャンスを探してください。そして出会ったらしっかりつかんで、次のチャンスにつなげてほしい。皆さんが自分らしい人生をつかみ取ることを、心から願っています。

(株)キミカ チリ工場 工場検査業務担当
島津 邦雄(しまづ・くにお)
1948年生まれ、北海道出身。1973年、東洋大学工学部機械工学科卒業。日本の構造工事会社、在日米海軍基地、プラント建設会社などを経てフリーランスの設計技師となる。石油やガスなどのプラント建設プロジェクトのスーパーバイザーとして、クウェート、サウジアラビア、イラク、アラブ首長国連邦、シンガポール、トルコなど多数の国で勤務。1988年、チリのプロジェクトに参加したのをきっかけに同国で暮らすようになり、2005年より現職。
島津 邦雄