インタビュー11

自己成長の機会は
社会に出た後も続く。

湯本 裕紀さん(外交官・中国赴任)

世界を舞台に活躍する人材を育てる東洋大学。日本を飛び立ったその卒業生たちは、今どんな舞台に立っているのだろうか。ここでは、海外で働く卒業生たちのインタビューを連載。国境を越えて活躍する彼らの軌跡や思いを追うとともに、後輩へのメッセージも紹介する。

中国語の専門職員として外交の前線に

水利設備建設支援プロジェクト貧困地域の少数民族と

 私は東洋大学卒業の6年後に外務省に入省し、研修期間を経て中国内陸部の重慶に2年、沿岸部の上海に4年赴任していました。勤務先はいずれも現地の日本国総領事館で、主な仕事は広報です。総領事館には対日本人の業務も多いのですが、私の仕事は対中国人がメイン。身につけた中国語を生かし、日本政府の広報窓口として政策・文化をメディア等に伝えたり、現地の政治家と意見交換したり、日本が支援する貧困地域での学校建設プロジェクトに携わったりしてきました。

 ただ、この仕事は地域での人脈を開拓する必要があるので、最初は苦労しました。特に内陸部は保守的な人が多く、外国人にはあまり心を開いてくれない。地域の輪の中に入るのにとても苦労しました。逆に沿岸部の上海ではフレンドリーな人が多いと思います。人脈形成というのは、転勤するたびにゼロからのスタートになります。私自身がもともと外交的な方ではないこともあり、やはり着任当初は苦労したこともありましたが、上司に尻をたたかれながら頑張っているうちに交流を広げるのが楽しくなり、1年も経つと多くの友人ができ、壁を感じることはありませんでした。私のような外国人も寛容に受け入れてくれたことに、今も心から感謝しています。上海では主に中国メディアへの対応や広報イベントの開催などを担当していましたが、自分が担当した仕事が新聞記事など目に見える形になるのも、とてもうれしいことでした。

台湾への卒業旅行を機に独学で中国語を身につける

日本が支援する、貧困地域での学校建設プロジェクト

 上海は、卒業後に勤めていた会社を辞めて語学留学した地でもあります。当初は「中国語を身につけて、それを生かせる仕事に就きたい」というぼんやりした目標しか持っていませんでしたが、留学先で出会った人々の学びに対する姿勢や政治への関心の高さに刺激を受け、外務省の中国語専門職員を目指すようになりました。

 中国語に興味を持ったきっかけは、台湾への卒業旅行です。アルバイト先で仲良くなった台湾人の同僚の実家に1週間ほど泊めてもらったのですが、皆親切でとても楽しく過ごせました。これを機に中国語を話せるようになりたいと思い始め、帰国後は仕事をしながら独学で勉強。当初は趣味の一つでしたが、勉強すればするほど面白くなり、やがて語学留学を決意しました。迷いはありませんでしたね。20代のうちなら、このチャレンジが失敗しても何とかなるだろうと思っていましたから。

日本への理解、深める役割を果たしたい

離任前に送別会を開いてくれた上海のメディア関係者と

 恥ずかしながら、私は大学時代に具体的な目標を見つけることができず、勉強もあまりしていない学生だったように思います。進んで学びたいと思ったのは中国語が初めてで、それも卒業後のことです。けれど、おかげでさまざまな人に出会い、「自分も頑張らなきゃ」と努力するようになりました。学生の皆さんも、例え今は目標が見つからなくても「自分はダメなんだ」と思わないでください。私は社会に出てから、まったく別の自分を発見できました。きっかけさえ見つかれば思い描いた自分になれる──。そう信じて頑張ってほしいですね。

 この夏には、中国赴任を終えて帰国しました。次の配属先はまだ未定ですが、将来はやはり中国で、政府公報の仕事をしたいと思っています。中国には、日本に偏ったイメージを持っている人もまだ少なくありません。時間をかけて地道に、継続的に発信していくことで、日本への理解を深めてもらえたらうれしいですね。日中関係の大きな流れの中で、小さな役割を果たしていけたらと思います。

外務省 外交官 外務専門職員
湯本 裕紀(ゆもと・ひろき)
1978年生まれ、埼玉県出身。2002年、東洋大学経済学部経済学科卒業。国内の不動産会社で2年間勤務したのち中国・上海に語学留学。帰国後、08年に中国語担当の外務専門職員として外務省に入省。上海での語学研修を経て、11年より在重慶日本国総領事館に、13年より在上海日本国総領事館に勤務。日本の政策・文化を地元のメディアに伝える広報活動や、貧困地域における学校建設プロジェクトなどを担当した。15年7月上旬に帰国、現在は東京にて総合外交政策局に勤務。