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キャンパスナウ

▼2014 早春号

SPECIAL REPORT

早稲田の復興支援

—東日本大震災から3年—

2011年3月11日に東日本を襲った大地震から早3年。復興への歩みはいまだ遅々としています。
早稲田大学は地震発生直後から被災した地域の復興、未来のためにできること、すべきことは何かを考えて、学内外でさまざまな支援活動を行ってきました。
あらためてこれまでの活動を振り返るとともに、アカデミックな視点や災害に対する大学の姿勢をお伝えします。

Support Activity of WAVOC

地域・人々とともにある支援とは

平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)のスタッフに
被災した地域における復興支援活動についてお話しいただきました。

校友、学生、教職員の三位一体で
社会貢献に努める「早稲田型ボランティア」

早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)スタッフ。
前列右から本間知佐子事務長、コーディネーターの橋谷田雅志さん(2014年1月より競技スポーツセンター所属)
後列右から専任職員の鈴木護さん、福元彩子さん

 早稲田大学が行っている震災復興支援ボランティア派遣の中核的な役割を担うWAVOCでは、震災後いち早く先遣隊を派遣し、以来延べ302回、4,404名(2014年1月末)を現地に派遣してきました。その活動内容は、震災直後の泥かきや流出物の撤去にはじまり、復興イベント・観光支援、体育各部やサークル・各種グループなどによるスポーツ・文化交流、仮設住宅でのコミュニティづくり、子どもを対象とした学習支援、翻訳など多岐にわたります。2013年からは被災した地域の企業と連携したインターンシップなどもスタートしています。

WAVOC
東日本大震災復興支援ボランティア活動記録「微力だが無力ではない」

 震災直後からボランティアに携わっている学生たちは、道路が寸断され疲弊した町の姿を目にし、家族を亡くした地域の人々の言葉を耳にし、それぞれの立場で「いま何が求められているか」を模索し続けています。復興というあまりにも大きな課題に対して、ときに自身の力のなさに打ちのめされる学生たち。しかし地域の人々との交流を通じ、微力ではあるが決して無力ではないことに気づき、小さな取り組みを積み重ねてきました。そのキーワードとなるのが「地域・人々とともに」です。インフラ整備のような目に見える復興とは異なり、人々の心の復興には時間がかかります。若さに満ちあふれた早稲田の学生が各地域を訪れ、人々の傍らで、話に耳を傾けることが心の復興にお役に立てば幸いです。そうした学生たちの姿を通して、ワセダファンになったという声も数多くいただきました。また、地域の人の声を直に聞き、継続的に活動していくことで、地域の状況に合わせて支援の形を多様に変化させることが可能となっています。

 私たちWAVOCは社会と大学のパイプ役として、体験的に学ぶ機会を広く提供することで学生が社会に貢献することを応援しています。特に復興支援に関しては、早稲田を卒業し、各地域で活躍されてきた校友をはじめ、各地域の人々から多くの協力をいただきました。そうした皆さんのお気持ちに報いるためにも、校友から大学、大学から学生・教職員へと襷(たすき)をつなぐことでそれぞれの立場で社会貢献に努めることができる「早稲田型ボランティア」を通して、これからも継続的な復興支援に努めたいと考えています。

WAVOCのWebサイト

[Report 01] 宮城・気仙沼

気仙沼の人々のために!
学生の思いがつなぐ気仙沼での支援活動

仮設住宅集会場における交流活動(2011年11月)

「気仙沼みなとまつり」オープニングセレモニー(2012年8月)

早稲田カップを開催(2012年6月)

2011年5月〜6月の毎週末、気仙沼の内湾地区にて清掃活動

 水産業と観光を基幹産業とし、フカヒレの生産地としても名高い宮城・気仙沼。地震、津波、火災などで大きな被害を受けたこの地域は、多くの校友からの支援を期待する声に応え、早稲田大学として最も早く復興支援活動を開始した地域のひとつです。学生ボランティアの宿泊施設にと会社の保養施設を提供してくださった校友で株式会社気仙沼商会の高橋正樹社長は、当時をこう振り返ります。

 「正直、最初は『厄介な話が来たなあ』と思いました。しかしバス4台で来た学生たちは、作業着にヘルメット、軍手、マスクと完全防備。加えて、まったく笑わない真剣な顔、カオ、かお。現地OBとして、私が笑って見せるしかありませんでした。そんなに気を遣わなくていいと。それが私にとって久しぶりの笑顔となり、元気となりました。事前学習がなされ、私たちへの配慮が行き届いた学生たちの姿から、相当な覚悟で来てくれたことをひしひしと感じ、最初に厄介だと思った自分が恥ずかしかったですね。最後に皆で歌った校歌、流した涙はいまでも私の活動の原動力です」。

 もっと気仙沼や先輩方のお役に立ちたい!との学生の強い思いはWAVOCスタッフの背中を押し、WAVOC東日本大震災復興支援プロジェクトの一環として気仙沼での活動の継続が決定します。同時に、気仙沼のためにと汗を流す学生を見た高橋さんから教育委員会や観光課などを紹介いただいたことで活動範囲は拡大。10月頃からは仮設住宅に暮らす人々への支援を中心に、学習支援やスポーツ支援など、地域の人々に寄り添った活動を中心に実施しました。2012年には地域の観光産業の再生と未来のビジョンを決めるための会議と連動したボランティアが始まり、毎週末に気仙沼へ通い、ホテルや民宿、レストランといった主要観光施設を通じて観光客へのアンケート用紙配布と回収を依頼。回収済アンケートの情報入力とデータ分析も行いました。2013年には学生が考案した気仙沼市のキャラクター・ホヤぼーやを使った体操が地域の皆さんから好評を博し、いまでは市内の保育園に導入されています。ボランティア活動の襷をつなぎ続けた学生たちの行動が、地域の人々との心のつながりを生み出しました。

 そして現在も、気仙沼のためにとさまざまな活動が続いています。そのひとつが「海の照葉樹林プロジェクト」。海との共存を考えた減災対策として照葉樹を使った防潮林ベルトを築くこのプロジェクトは、気仙沼地域の植生に基づく種子や幼苗の採取・育苗・植樹をするというもの。息の長い復興支援に、早稲田は大学と附属高校が連携し、早大生、OB・OG、本庄高等学院生などが参加し動き出しています。WAVOCの廣重剛史コーディネーターは、「被災地の防潮林再生のため、地元で採取したツバキなどの苗木を育て、数年後に植樹祭を行います。気仙沼や他の支援団体の方々など、幅広い世代・立場の人が関わっており、今後は大学近隣住民の方々をお誘いする予定です。多くの人が復興支援に携わる機会をつくり、震災の風化を防ぐこともできるでしょう。また、早稲田での地域福祉の向上にもつながると期待しています」と、震災復興から生まれた地方との交流を、未来へつなげる覚悟で語っています。

避難所(当時)となった体育館ロビーでStreet Corner Symphonyによるアカペラコンサート(2011年8月)

気仙沼の階上地区における植樹祭に参加(2012年10月)

がれきの中から大漁旗を発見。右から5人目が高橋正樹さん(2011年6月)

[Report 02] 岩手・宮古

スポーツ、ジャズ、応援…
さまざまな形で宮古の人々にエールを送り続ける

ニューオルリンズジャズクラブによる音楽指導(2011年7月)

清掃活動に参加する鎌田総長(2011年7月)

クリスマス点灯コンサート翌日に宮古の山本正徳市長(中央)を囲んで。市長の左が松原安子さん(2012年11月)

 古来より津波被害の多い岩手・宮古は、大きな防浪堤を備えていたにも関わらず、田老地区をはじめ沿岸の集落が甚大な被害を受けました。多くの校友が地元の学校教員として活躍していたこともあり、早稲田は2011年5月から宮古北高校を宿泊拠点としてボランティア活動を開始します。宮古での支援活動は、地域の人々からの要請に応えた「気持ちを盛り上げる」ための活動が中心です。地域の人々にエールを送り続けた応援部、「七夕コンサート」や三陸鉄道のホーム、車内でジャズを演奏したニューオルリンズジャズクラブなど。さまざまな形での早大生のエールに触れた宮古市民の松原安子さんは当時を振り返ってこう話します。

 「震災後、無音の町に初めて音楽が流れ、全身で聞いたジャズの音色をいまも鮮明に思い出します。駅前商店街、三陸鉄道での演奏に、癒され、勇気づけられました。2011年にはクリスマスコンサート後に市役所前の歩道橋の上から、多くの人々の眠る宮古の海に向けて演奏してくださり、夜空に響く音色に、魂が救われるのを感じました」。

 また、レスリング・柔道・野球などスポーツ交流も積極的に行われました。柔道部の指導を受けた佐々木碧衣さん(当時宮古高校2年)は、「遠い存在だった早稲田大学がわざわざ宮古高校に来てくれたことに感激しました。とても親切な指導にワセダファンになりました」と早稲田大学へ進学。いまでは社会科学部で学びながら、柔道部の一員として地元・宮古へのスポーツ交流に参加しています。支援を受ける側とする側の両方の立場から、「もっと現地の人たちと交流できる支援を期待しています。被災した人たちの話を聞いたり、場所に行ったり。もっと知った上で、何が本当の支援になるかを考えることが大切だと考えています」と話しています。

応援部員と中学生の合同パフォーマンス(2011年10月)

野球部員による技術指導(2012年1月)

柔道部による合同稽古。前から2列目、左から4人目が佐々木碧衣さん(2011年7月)

[Report 03] 岩手・陸前高田

「微力だが無力ではない」
“学びの部屋”学習支援&はまらっせん農園プロジェクト

稲門祭にて、はまらっせん農園で獲れた野菜を販売。
右から菅野和子さん、山本太郎さん(2013年10月)

はまらっせん農園で地域の皆さんと一緒に農作業(2013年9月)

卓球部による技術指導と交流(2011年7月)

学びの部屋で子どもたちに勉強を教えるボランティア学生(2013年2月)

早稲田カップを開催。8チーム約320名が参加(2012年9月)

高田町の田畑でがれきの撤去や草刈りをする学生(2011年8月)

野球交流の一環で、被災した高田高校の建物内を歩きながら震災当日の説明を受ける野球部員たち(2012年1月)

高田高校の文化祭「高高祭」で歌う早稲田大学混声合唱団(2012年8月)

 復興の希望「奇跡の一本松」がある岩手・陸前高田は、大津波により市街地が甚大な被害を受け、震災直後はボランティア派遣のニーズを探るどころではない状況でした。2011年6月、高田高校卓球部のインターハイ出場の知らせを受け、早稲田大学卓球部の派遣が決定します。大学選手権を目前に控える中、監督の「これは最優先事項です。遠慮しないで」との声に後押しされ、代表選手たちによる技術指導と交流活動が始まりました。津波で両親を失った高校生の前向きな生き方に触れた学生の一人は「自分は勝つことがすべての自己中心的な人間だった。将来は世の中の役に立つような仕事をしたい」と価値観が転換。社会人になったいまも個人的に高田高校を訪問して卓球交流をしています。

 時間とともに変化する支援ニーズに応え、がれきの撤去や側溝の泥かきといったハード面の支援から、小・中・高生の部活動や応援団の指導、「学びの部屋」での学習指導、あるいはスポーツ交流、病院でのコンサート開催など人々に寄り添ったソフト面の支援が増えていきます。同年8月に柔道部員が現地の高校に畳を届け、2012年1月には野球部による技術指導、9月はア式蹴球部と日本サッカー協会特任コーチ(当時)で校友の加藤久さんの協力による「早稲田カップ」を開催。地元の指導者の方々も、久しぶりに瞳を輝かせる子どもたちの姿に感動し「これから毎年、この場所で早稲田カップを開催してほしい」と口々に語られました。

 また2012年12月には、校友で陸前高田市教育長の山田市雄さんを通じて、長期休暇中に開催される東京大学と合同の学習支援活動「スリーデイズ・プログラム」(現地での平日3日間の活動)が実現します。さらには、夜行バスで東京を出発し、翌朝の現地到着後に中・高生への学習指導を行い、再び夜行バスで東京に戻るという「0泊3日プログラム」を、月2回のペースで継続しています。学生たちの姿に、山田教育長は「震災直後から0泊3日の強行日程で被災地に飛び込んだ早稲田スピリットにあふれた学生たち。そうした学生を育てている母校・早稲田大学にかつてないほどの誇りと頼もしさ、そして感動を覚えました。子どもたちにとって早稲田大学が身近であこがれる大学になってきていることはOBとして大変うれしいことです。学生を通じて、早稲田大学が持っている力を、特に被災地の児童生徒に対する支援活動を継続的に展開していただきたいですね。本市における、中高生への学習指導、運動部や文化部への部活動指導などはぜひ継続をお願いします」と話しています。

 現在は学習支援に加え、「はまらっせん農園プロジェクト」も加わり、月1〜2回の活動を行っています。「はまらっせん」とはこの地域の方言で「どうぞ、誰でもお入りなさい」という意味。校友の石木幹人さんが2013年3月まで院長を務められた岩手県立高田病院が推進するプログラムで、仮設住宅入居者の生活不活発病予防のために農作業を促し、心身の健康維持を図るものです。仮設住宅に住む菅野和子さんは「早稲田大学の学生が来てくれたことに感激しました。賢そうな子たちで、卒業生や大学のバックアップもしっかりしているように思え、息の長い活動をしてくれると期待できました。昨年10月、大学キャンパスでの稲門祭で学生たちと一緒に農園で獲れた野菜を販売したことは一番の思い出です。今年もぜひ一緒にやりたいですね」と、早稲田の学生との交流について話しています。

 プロジェクトのリーダーで、孫のように歓迎してくれる人々の心に触れた創造理工学部4年の山本太郎さんは「現地の人たちと交流し、直接話を聞かなければ分からないことがあると考えています。学生にできることは微力かもしれませんが、決して無力ではないことに気づくことができました。確実に継続することなら自分にだってできます。今は一人の人間としてこの地域に寄り添っていたいです。そして、将来は技術者として陸前高田の復興に携わり、リーダーシップを発揮したいと思います」と決意を語っています。

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