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文化

「学徒たちの戦場―戦後七〇年―」展に寄せて

檜皮 瑞樹/大学史資料センター助教 

 早稲田大学大学史資料センターでは、学徒と戦争をテーマにした春季企画展「学徒たちの戦場―戦後七〇年―」を開催します。

 2015年は、アジア太平洋戦争の敗戦から70年の節目を迎えます。1943年の学徒出陣のみならず、戦時下において学生たちは戦争や自らの“死”と常に向き合わねばなりませんでした。

 1943年10月の徴兵猶予の特典廃止によって、多くの在学生が学生身分のまま戦地へと送られ、尊い命を落とすことになりました。しかし、学生と戦争との関係は、いわゆる“出陣学徒”にとどまりません。繰り上げ卒業によって徴兵対象となった学生たちや、大学卒業後に戦地へと送られた者も数多く存在します。また、戦死した学徒兵たちの家族・友人や、生還した学徒たちは、戦死した彼らの“死”と向き合いながら、戦後社会を生きねばなりませんでした。

 今回の企画展が、戦争や学徒たちの戦死を、悲劇や英雄譚として語り継ぐのではなく、自らの死と向き合うことを余儀なくされた学徒たちの姿を直視し、彼らやその家族をそのような境遇に追い込んだ戦争の本質をあらためて問う契機となれば幸いです。

 企画展の内容について、以下簡単に紹介をします。

Ⅰ “日常”から戦場へ

 戦争と学生との関係は、1941年を境に大きく変化します。1941年10月に学生の修業期間が3ヶ月短縮され、在学生にとっても戦争は避けられないものであることが明確となりました。同年12月8日にはアメリカ・イギリス等に宣戦布告し、日本は遂に泥沼の戦争へと突入します。修業期間の短縮は、1942年以降に最高学年の授業期間が6ヶ月に短縮され、敗戦まで続くことになります。

 さらに、学生に与えられていた徴兵猶予の特典も、1943年10月には廃止され、徴兵年齢に達した学生は在学資格のまま召集の対象となりました。入営中の学徒兵は、基本的に休学扱いとされ、翌年9月の卒業予定者には仮卒業證書が発行され、戦地で卒業を迎えることとなりました。しかし、戦死後に卒業扱いとなり、遺族に卒業証書が届けられるケースもありました。1944年からは徴兵年齢が19歳に引き下げられ、学生に対するまさしく“根こそぎ”の動員が行われました。

【写真①】扇子(市島保男出陣に際しての寄書き、於浅草騎西屋)/1943年10月10日

 学徒の出征に際しては、有名な明治神宮外苑での出陣学徒壮行会以外にも、彼らを送り出すための様々な壮行会が行われました。そのような壮行会では、国家への忠誠や勇ましい“死”を賛美する声だけでなく、学徒兵の生還を願う率直な声もありました。市島保男に送られた扇子【写真①】の寄せ書きには、“祈 武運長久 しっかりやろうぜ”という洒脱なものから、“生きてゝゝ 生き抜きて 死せんことを 願ふのみ”といった率直な内容のコメントが書かれている。また、文学部教授であった煙山専太郎は、史学科による壮行会の場で、「諸君決して死んではならない、血気にはやったり、変な責任感にとらわれて死を急いではならない。是非元気で帰ってきてほしい」と学生に語りかけた。煙山の演説は、当時の社会状況を考えれば、相当の覚悟を持った言動であったことはいうまでもありません。

 このような“声”は、同時代においても、あるいは戦後社会においても、戦時体制と国家主義という声高な暴力によって押し潰され、また戦死を美名として賞賛するような言葉によって打ち消されてきました。しかし、学徒の死を望まなかった家族や仲間たちの人間としての素直な声に、私たちは耳を傾けなければならないでしょう。

Ⅱ 戦場の学徒たち

 徴集された学徒たちは、内地部隊での訓練を経て、実際の戦争に投入されました。敗戦間際には、連隊での訓練もままならないまま、戦地へと送られるケースも少なくありませんでした。

 “学徒たちの戦場”は多岐にわたります。中国大陸から東南アジア、フィリピンからニューギニア方面へと広がり、いくつかの戦地を転々とした学徒も多く、戦地での生活は数年にわたりました。

【写真②】家族宛 福冨謙二 葉書/1944年春~1945年4月頃

 戦地での学徒たちの生活、あるいは彼らの“姿”を写し出すような資料は多くありません。激戦地やジャングルでの逃避生活を強いられた学徒に、自らの思いや存在を証明する余裕など存在しません。苛烈な戦場に身を置いた学徒たちのなかには、家族と連絡や遺書を書く機会すら与えられなかった者がいたことを、私たちは理解しなければならないでしょう。

 そのような戦場における学徒たちの“姿”を知る上で、彼らと内地の家族や友人との往復書簡・葉書【写真②】は貴重な資料となります。書簡の内容は、家族への感謝や内地での空襲被害を心配する声、あるいは自らの死後に遺される家族への憂慮など、その内容は多岐にわたっています。検閲という制約がありながらも、また戦争や国家を賛美する美辞麗句の裏側に、学徒たちの率直な心境を読み取ることができます。

Ⅲ 戦場から“日常”へ

 戦地における学徒の“死”は、簡単な通知書から配属部隊の関係者による詳細な書簡まで、さまざまなかたちで家族や友人たちにもたらされました。よく知られているように、戦死した場所さえ不確かなケースも存在しました。

 戦死した学徒の家族や友人たちの残した書簡も存在します。その内容は、彼らの“仇をとる”云々といった勇ましいものもから、彼らの“死”に直面した悲しみを率直に表現したものまで多様です。

 一方、生還した学徒たちにとっても、その道程は相当な困難を伴いました。復員後に復学し、学業を再開した学徒もいましたが、経済的な理由等によって学業の継続を断念しなければならなかったものも少なくなくありませんでした。また、生還した学徒たちのなかには、自らが“死に切れなかった”ことを悔い、また戦死した学友への謝罪の意識を抱えた者も少なくありません。自らの生存を悔やみ、それゆえ戦場での経験を語ることを憚った学徒も存在します。

 また、戦死した学徒の家族たちも、彼らの死を簡単に受け入れることはできませんでした。遺族のなかには、学徒と同じ部隊に所属した人物を捜し、死因や戦没地についての訂正を求める活動もありました。

 戦争を生き抜いた多くの人々には、戦争と学徒の“死”が十字架のように重くのしかかったことを忘れてはならないでしょう。

【春季企画展「学徒たちの戦場―戦後七〇年―」】
日  時:
2015年3月25日(水)~4月25日(土)日曜休館
開室時間:
10:00~17:00(入館は16:30まで)
会  場:
早稲田大学2号館 會津八一記念博物館企画展示室
※入場無料

檜皮 瑞樹(ひわ・みずき)/大学史資料センター助教

1973年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学、博士(文学)。専門は日本近世・近代史、北方史。著書に、『仁政イデオロギーとアイヌ統治』(有志舎,2014年)、共著に『薩摩・朝鮮陶工村の四百年』(岩波書店,2004)など。

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