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文化

「狩谷棭斎墓碑受贈記念 狩谷棭斎 −学業とその人−」展に寄せて

徳泉 さち/早稲田大学會津八一記念博物館 助手

写真1

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 早稲田大学會津八一記念博物館では、2017年11月28日(火)から2018年1月20日(土)の期間、1階企画展示室にて「狩谷棭斎(かりやえきさい)墓碑受贈記念 狩谷棭斎 −学業とその人–」展を開催いたします(写真1)。

 2012年、豊島区巣鴨の曹洞宗法福寺ご住職の和田一冏(いっけい)師の御厚意により当館に狩谷棭斎墓碑が寄贈されました。本碑は全長2メートルを超える巨碑で、長らく法福寺の入り口近くに立ち、訪れる人々に親しまれて来ました(写真2)。残念ながら、2011年の東日本大震災で碑は倒壊し、断裂してしまいました。以後、3年間をかけて修復処理を施し、この度、お披露目を兼ねた企画展を開催する運びとなりました。

狩谷棭斎墓碑が語るもの

 狩谷棭斎(1775~1835)には、国学者、漢学者、考証学者、書誌学者、あるいは金石学者など、様々な肩書きが冠されます。旺盛な好奇心と探究心のもと、一つの枠にとどまらない多彩な業績を残した江戸時代後期の人物です。

写真3

写真4

 狩谷棭斎墓碑の正式名称は「棭斎狩谷先生墓碣銘并序」といいます。その碑文は棭斎と30年に及び学問研究を共にし、切磋琢磨しあった同志の松崎慊堂(こうどう)(1771~1844・江戸時代後期の儒学者)によって書かれました。

 棭斎は天保6年(1835)夏頃より病床に伏したようで、慊堂は度々見舞っています。同年閏7月4日の夜に永眠しますが、その前日、最後の別れに際して慊堂は「晩に向かい手を握り別る。暗に泣くこと三声。余もまた断腸。」と悲痛な想いを日記に書いています。閏7月7日、浅草下谷功徳山天龍寺にて葬儀が行われました。棭斎の息子の懐之(ちかゆき)に墓碑の撰文を頼まれた慊堂は、自分以上に棭斎のことを深く知るものはいない、という自負のもと、この大役を引き受けました。その意気込み通り、棭斎の生涯、学業や人となりを余すところなく伝える格調高い文章です。また、この文章の書を揮毫したのは、棭斎の門下生であり能書家として名高い小島成斎(1796~1862)でした。一点一画に神経がはりめぐらされた、端正で美しいたたずまいの書から先師への敬愛の念が伝わってきます(写真3)。なお、碑の頂部を飾る篆額は著名な考証家、医師である渋江抽斎(1805~1858)が筆をとりました。

 本展覧会では、通常野外で見ることが多い石碑を室内で鑑賞することを一つの目玉としています。当碑は、廣瀬群鶴(ひろせぐんかく)という名匠の誉れ高い江戸の字彫り職人により刻まれたものです。立碑から200年近い歳月が経過していますが、彫り口の鋭さ、自然で滑らかな曲線など、廣瀬群鶴の優れた技倆をよく偲ばせるものです。小島成斎の肉筆の息遣い、筆の浮き沈みが、石面に迫真的に再現されている様をぜひじっくりと観察ください(写真4)。

 狩谷棭斎墓碑は、「狩谷棭斎」という人物の生涯が刻み残された文字資料にはとどまりません。優れた文章、書法、石彫技術が渾然一体となった、当時の文化の粋が結晶した文物であり、棭斎の盟友らの想いがそこには込められています。

『古京遺文』がつなぐ 狩谷棭斎、會津八一、加藤諄 

 狩谷棭斎が中国、日本の膨大な文献を蒐集、渉猟したことはよく知られるところです。その成果は著作に遺憾無く発揮され、棭斎の考証は博引旁証の語でしばしば賞されます。棭斎は自らを「蟫翁(たんおう)」と号しています。蟫とは書物に生じる虫のこと。また、自身の書斎を「常関書院」すなわち、常に関(とざ)す書院といいました。その号から世俗との交わりを絶ち書物に没入する姿を思い浮かべます。しかしながら、その一方で精力的に寺社仏閣や各地の古跡を訪ね、書画や古器物を見に出かけていることも忘れてはなりません。慊堂の碑文には、棭斎の古器物蒐集が単なる骨董趣味ではなく、文献の記載を古物によって検証するための手段であったことが繰り返し強調されています。

 棭斎の著作の一つに『古京遺文』という書があります。平安京遷都以前の金石文(金属や石に残された銘文)30点を取り上げ、それぞれの形状や釈文を記録し、銘文について綿密な考証を施したものです。何度か改訂を重ねていますが、序文を作ったのは文政元年(1818)のことで、まさに今、『古京遺文』成立から200年の時が流れたことになります。棭斎は20代の頃より上代金石文に関心をもち拓本を蒐集し、そのうちのいくつかは実物を見るためにフィールドワークにも出かけています。文献資料の研究を第一義とし、金石文の資料的価値が重視されていなかった時代において、こうした研究態度は実に画期的でした。200年経った今でも、先行研究への真摯な対応、該博な知識に基づき展開される考証、明快な論の進め方など、本書に裨益されるものは少なくありません。『古京遺文』を読み進めていくと、実物資料を自分の目でしっかりと観察し、そこから得た知見を文献資料と照合して真理を追求する姿勢がみえてきます。

写真5

 このような取り組みは、文献と実物資料を車の両輪のように駆使して研究することをモットーとした、會津八一(1881~1956)の姿と重なります。当館に名を冠する會津は、歌人、書家であると同時に美術史家でもあり、本学で東洋美術史を講じた人物です。會津は美術史の研究、教育には何よりも実物にふれることが不可欠と説き、その理念を「實學論」として提唱しました。まさしく、棭斎と會津の学問理念には一脈通じるところがありましょう。會津は棭斎を「江戸時代切つての考証学者」と高く評価しておりますが、実際にそれをよく伝える資料が残っています(写真5)。この『古京遺文』は毎頁にびっしりと會津による付箋が貼られ、精読の痕を示すようにページは手擦れして柔らかくなっています。付箋を読むと、會津が複数の『古京遺文』稿本を手元において見比べ、その文字の異同を書き留めていることがわかります。こうした緻密な校合作業もまた棭斎の姿を彷彿とさせるものです。

 また、当展では、『古京遺文』に取り上げられる宇治橋断碑、多胡碑、多賀城碑、那須国造碑や薬師寺仏足石などの拓本を展示します。棭斎の考証を振り返りながら、これらの拓本を改めて眺めてみたいと思います。なお、今回展示する拓本は、會津の薫陶を受けて金石学を志し、本学にて日本金石学や国語学を講じた加藤諄(1907~2002)コレクションの一部です。會津の高弟であった加藤は、會津の金石学、書道研究の分野を継承し、自身も書をよくしました。門弟の方によれば、加藤もまた実地調査に情熱を傾け、全国各地の金石資料を自ら手拓してまわり、自らを拓本遊行者と称したといいます。

狩谷棭斎 その人となりをしのぶ

 本展では、狩谷棭斎墓碑、『古京遺文』関連資料のほか、棭斎が一行一行の行間に膨大な書き入れを残した『和名類聚抄』、棭斎の書作品2点(和歌、漢詩)や春木煥光宛の尺牘(會津八一コレクション)、棭斎自用印(早稲田大学図書館所蔵・市島春城印章コレクション)なども出品いたします。これらはいずれも、その人となりをしのばせる貴重な資料といえましょう。

 本展示は多数の作品を通し、棭斎の生涯に思いを馳せる絶好の機会となると思います。皆さまのご来場を心よりお待ちしております。

「「狩谷棭斎墓碑受贈記念 狩谷棭斎 −学業とその人−」展に寄せて」展
会期
2017年11月28日(火)~2018年1月20日(土)
開館時間
10:00~17:00 日曜・祝日休館
会場
會津八一記念博物館 1階企画展示室
〒169-8050 新宿区西早稲田1-6-1 早稲田大学早稲田キャンパス内
入場料
無料
※2017年12月23日(土)~2018年1月 5日(金)は冬季休館。
※会期中の金曜日は9:00~18:00(入館は17:30まで)
お問い合わせ
會津八一記念博物館 03-5286-3835
https://www.waseda.jp/culture/aizu-museum

徳泉 さち(とくいずみ・さち)/早稲田大学會津八一記念博物館 助手

早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程を経て、2016年4月より現職。専門は中国南北朝書法史。

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