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吉田 文(よしだ・あや)/早稲田大学教育・総合科学学術院教授  略歴はこちらから

留学と人材育成の奇妙な関係

吉田 文/早稲田大学教育・総合科学学術院教授
2017.12.11

 国家によって制度化されている教育は、国家という枠組みのなかで実施されるが、高等教育だけはやや様相を異にする。研究による知の進歩という役割を課されている高等教育は、先端的な知を求めた越境が生じるからである。そのための方法の1つが、学生が移動するものであり、これを留学と言う。中世のヨーロッパに大学が誕生して以来、さまざまなかたちで留学がなされてきた。そして近年、日本政府は日本人学生の海外留学を重要な政策課題としている。

日本人を海外へ

 2013年6月に策定された「日本再興戦略」では、世界に勝てる若者の育成を目指し、大学等の日本人留学生を2010年の6万人から2020年までに12万人へと倍増する目標が掲げられ、その目標値は「第二期教育振興計画」にも記された。これらの閣議決定から半年後の2013年12月には、関係省庁による「若者の海外留学促進のための関係省庁等連絡会議」が設置され、2014年には「若者の海外留学促進実行計画」の策定に至った。なぜ、今、日本人学生の海外留学がオールジャパン体制で促進されているのか。

背後にある危機感

 この実行計画を紐解くと、日本の将来に対する危機感に満ち溢れている。まず、「我が国の海外留学の現状をみると、残念なことに2004年の約83,000人をピークに減少の一途(いっと)をたどっている。」(下線筆者、以下同様)と留学者数の減少という問題が指摘されている。確かに、この実行計画が策定された頃の留学生数は58,000人であり、30%ほど減少している。

 留学生の減少は、なぜ問題なのか。その理由について、次のように説明されている。「少子化や社会のグローバル化が急速に進展する状況の中、早急にこの現状を打破し、将来の我が国を支える若者をより多く育成しなければならない。」確実に進む少子化や社会のグローバル化という状況への対応策として、留学が位置づけられていることがわかる。

 では、留学に何が期待されているのか。「海外に現地法人を有する多くの日本企業において、海外拠点を設置、運営」するに当たり、「グローバル化を推進する国内人材の確保・育成」が課題とされており、そのための留学だという。留学すると企業が必要とする“グローバル人材”になれるというわけである。

矮小化されたグローバル人材

 企業が欲する人材を、なぜ、政府が音頭をとって育成するのか。それは、「一人当たりのGDPも大きく後退している状況」において、「我が国の成長を継続的なものとし、更に発展させる」ことが必要だからだという。日本企業の海外展開を後押しすることで日本社会の経済成長を図ろう、企業の海外展開には“グローバル人材”の育成が急務だ、だから留学生を増やして“グローバル人材”を育成しようという論理展開である。

 この“グローバル人材”には定義があり、以下の3つの要素を兼ね備えた者とされている。要素I:語学力・コミュニケーション能力、要素Ⅱ:主体性・積極性、チャレンジ精神、協調性・柔軟性、責任感・使命感、要素Ⅲ:異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティー(グローバル人材育成推進会議)。留学すると“グローバル人材”になるというロジックであったが、留学しないとこれらの要素は身に付けることができないのか。あるいは、留学するとより容易に身に付けることができるのか。そのような単純な関係でないことは誰でも理解できよう。しかし、こうした奇妙な論理でもって、留学生政策は進められているのである。

短期留学は留学か

留学人数の推移

 こうした政策のもと、大学はこぞって留学に力を入れ始めた。日本学生支援機構の調査によれば図に見られるように、留学生数は着実に増加している。しかし、その増加を支えているのは、1か月未満の留学である。このような短期間で、企業が求める“グローバル人材”になれるのか。グローバル人材育成推進会議では、グローバル人材の語学力の水準を①海外旅行会話レベル、②日常生活会話レベル、③業務上の文書・会話レベル、④二者間折衝・交渉レベル、⑤多数者間折衝・交渉レベルの5段階で示し、④、⑤レベルの者が一定数確保されることが重要としている。1か月未満でこうした段階に到達することは不可能に近い。

 ところで、この数字は日本の大学に在籍している留学生であり、減少が懸念されていた上述の留学生は日本の大学に在籍していない者である。後者の数は、さらに減少して2014年には53,000人になった。もし、本気で“グローバル人材”を育成しようとするのであれば、この数字を押し上げることが必要であろう。他方で、語学力を上げることが“グローバル人材”の要であれば、海外留学などしなくとも国内で充分に可能である。

グローバルな市民の育成

 しかしながら、そもそも留学に求められるのは、日本の経済成長のみが目的なのか。そのために大学は各種の留学プログラムを作成しているのか。先端の知を求めての留学はもちろんのこと、日本にいてはわからないこと、できないことのために留学という手段があることがどこまで考えられているのだろう。従来、教育の役割は2つあるとされてきた。経済人の育成と政治人(市民)の育成である。これをグローバル化が進む状況において考えれば、国家の経済成長を担う経済人育成は否定しないが、それ以上に一国家で対処できない社会問題を解こうとする人材の育成が、より大きな課題ではないだろうか。そこに日本のプレゼンスを見出すことが、もっと考えられるべきであると思う。

吉田 文(よしだ・あや)/早稲田大学教育・総合科学学術院教授

東京大学文学部卒業、同大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。専門は、教育社会学。メディア教育開発センター助教授・教授を経て、現職。早稲田大学大学総合研究センター副所長。中央教育審議会専門委員、日本学術会議連携会員などを歴任。
主な近著に、“Global Human Resource Development and Japanese University Education: ‘Localism’ in Actor Discussions,” Educational Studies in Japan, No. 12, pp. 83-99, 2017、「教養教育の学習成果の測定は可能か―2000年代アメリカの取り組み―」『高度教養教育・学生支援機構紀要』第2号、東北大学、pp. 3-16, 2016、「グローバル人材の育成をめぐる企業と大学のギャップ」『移民・ディアスポラ研究4「グローバル人材」をめぐる政策と現実』明石書店、pp. 206-221, 2015、『「再」取得学歴を問う』東信堂、2014、『大学と教養教育―戦後日本における模索―』岩波書店、2013など。