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草原 真知子(くさはら・まちこ)/早稲田大学文学学術院教授  略歴はこちらから

ディジタル社会におけるアートの役割-メディアアートの意味するもの

草原 真知子/早稲田大学文学学術院教授
2018.2.13

 この時期は恵比寿映像祭、メディアアンビション東京 (六本木ヒルズ)など、メディアアートの展示が集中的に開催されて評判を呼んでいる。今、なぜ、メディアアートなのか?

 今日、ディジタル映像は私達の生活の中に溢れている。街頭の巨大スクリーンやトレインビジョンなどのディジタルサイネージ(電子広告)、人気のプロジェクションマッピング、スマホの画面やゲーム。見るだけではない。誰でも作詞作曲やアニメーション制作に加われるバーチャル歌手「初音ミク」は、アマチュアがプロになる門戸を開いた。「インスタ映え」が昨年の流行語になる程、誰もが「作品」を作ってインターネットで公開できる時代、アーティストは何をすべきなのか、ディジタル時代のアートの役割とは何なのだろうか。

 私は1980年代初めからCGとメディアアートの展示企画や解説や教育に携わってきた。テレビもカメラもアナログで携帯電話など存在しなかった時代からディジタル社会へと急速に移行したこの35年。いわばその当事者の一人として走り続けた中で、CGやインターネット、人工知能、ロボット、バーチャルリアリティ(VR)などの新技術にアーティストたちがいち早く反応し、それらが私たちの生活や世界観をどう変えるのか作品を通じて提示するのを見てきた。SF小説や映画同様、アートは「起こり得ること」や「起こったかもしれないこと」をビジュアルに示し、さらに疑似体験さえ提供できる。

「魚コード」作品版 土佐信道(明和電機)クリックで拡大します

 1990年頃から盛んになったメディアアートは、パソコンや通信やマルチメディアがディジタルメディア社会の到来を告げた時代に誕生した「メディアを意識した」芸術表現だ。日常ありふれた技術から研究室レベルの先端技術、もしくは既にすたれた古い技術まで、思いがけない使い方によってそれらの潜在的な可能性や危険性、あるいはメディアまみれになった私たちの現実を垣間見せる。たとえば1993年に活動を開始したアートユニット「明和電機」が94年に制作して96年以来市販されている「魚コード」。電気は安全で常に使えるもの(東北大震災のあった年には違ったが)と何となく信じている私たちに、この電気コードの鋭い骨は(製品では先が丸くなっている)電気の存在とその本質(触れば感電する!)を否応なく意識させる。

「視聴覚交換マシン」八谷和彦

 八谷和彦の「視聴覚交換マシン」(1993)は日本のVRアートの先駆けとして知られる。参加者2人がそれぞれヘッドセット(HMD)を装着すると文字通り視聴覚が交換され、見える・聞こえるのは相手のHMDに取り付けられたビデオカメラとマイクから送られる風景と音だけ。自分がどこにいるのかも分からない。やっと視界に自分の姿が見えて相手が自分を見ていることが分かると喜びのあまりハグするカップルもいるが、それは視覚的には自分に抱きつくことだ。まるでインターネット上で彷徨するアイデンティティのありようを予見したかのようだが、体験する側も見る側も大いに楽しめる。

安斎利洋・中村理恵子 http://renga.com/

 安斎利洋と中村理恵子は1992年に「連画」を始めた。自分が描いたCG作品を相手に送り、送られた側はそれを改変して送り返す。プロのアーティストが他のアーティストの作品に手を入れることは通常は考えられないが、ディジタルデータはいくらでも複製可能で「オリジナル」は手元に残る。「連歌」にヒントを得たこのアイディアは全盲の美術家や中国の書家や海外のアーティスト、あるいは一般の人々を巻き込んで進展し、ディジタル時代のオリジナリティや創発について多くの示唆を与えている。彼らのようにネット上で活躍するアーティストは、自分の作品を作るだけでなく多くの人々に開かれた創造的な場をデザインし、提供するアート活動をしている場合が少なくない。

「見知らぬ幻影」 ヘザー・デューイ・ハグボーグ
写真:Carolien Coenen (Artefact 2015)

 最近はバイオテクノロジーを使ったバイオアートという分野が活発になっている。ニューヨーク在住のヘザー・デューイ・ハグボーグは、街角で拾ったタバコの吸い殻やガムからその使用者のDNAを分析して人種や性別を特定し、推測される顔を3Dプリンターで再現する。壁に掛かった超リアルな「顔」たちは民族間の緊張や個人情報といった世界が現在直面している問題を突きつけてくる。テクノロジーを熟知した上でそれを別の角度から示すクリティカルな眼差しがメディアアートの特徴の一つで、私たちが手にしつつある技術がいったい何を意味するのか、直感的かつ想像力を刺激する伝え方が可能だ。

 ディジタルメディアにより社会は急激に変化している。35年前、スマホがあればカメラも住所録も百科事典も不要、という状況を誰が想像しただろうか。そのような変化が将来的に何を意味するのか、その答えはすぐには出てこない。メディアアーティストたちは自分たちの技術と経験を生かして、人々がいろいろなメディアを創造的に使う場を創出し、あるいは日常の経験を少しだけずらしたり最先端技術を本来とは違う目的のために使って、私たちが知らなかったことや当然視していた事柄に別の視点を提供する。新技術が世に製品として出るまでには時間がかかり、主要な部分はブラックボックス化されるが、期間限定のアート展ならもっと早く、実験的な試みもできる。アーティストたちの斬新な発想は技術者たちにとっても有益で、近年、アーティスト、科学者、技術者のコラボレーションの場は世界的に広がりつつある。

 ディジタルデータは目に見えない。膨大なネットワーク上で何が起こっているのか私たちにはもうわからない。だからこそ、アートは世界の今と未来を考える手がかりになる。一方ではディジタル技術がもたらした創造の楽しさを手助けし、他方ではディジタルメディア社会のありようをいろいろな切り口から提示する。メディアの変化につれてメディアアートも変化しつつ、アーティストたちの問題意識をうつしだしていくことだろう。

草原 真知子(くさはら・まちこ)/早稲田大学文学学術院教授

メディアアート/メディア文化の研究者、キュレーター。80年代前半からデジタルアートのキュレーションと評論に携わり、つくば科学博、世界デザイン博、東京都写真美術館、NTT/ICCなど国内外の企画展示、プロデュースに関わる。メディア技術と文化・社会・芸術の相関作用をテーマに、デジタル時代のアートと同時に写し絵、幻燈、パノラマなど江戸から昭和初期の映像文化も研究する。論文はMediaArtHistories(MIT Press)、Media Archaeology (UC Press)、Companion to Digital Art (Wiley)、Routledge Handbook of New Media in Asiaなどに収録。SIGGRAPH、アルス・エレクトロニカ、ISEA、広島国際アニメーションフェスティバル、文化庁メディア芸術祭など国際公募展の審査委員を歴任。東京工芸大学、神戸大学、UCLAを経て現職。工学博士(東京大学)

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