早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

RSS

YOMIURI ONLINE

ホーム > オピニオン > 文化・教育

オピニオン

▼文化・教育

藤井 仁子(ふじい・じんし)/早稲田大学文学学術院教授  略歴はこちらから

もうすぐ絶滅するという映画館が元気すぎる現状について

藤井 仁子/早稲田大学文学学術院教授
2018.7.17

映画産業の斜陽化?

 映画というものはいつまで経っても新奇な見世物のように扱われるかと思えば、100年を超えるその歴史の半分でずっと斜陽化が叫ばれてきたまったく不可解な産業でもある。陽も半世紀以上傾いていれば、観測者の知らないうちに反対側の空からまた昇りはじめていたとしても不思議ではないだろう。

 実際、週末のシネコンに行って人が目にするのは、斜陽化とはほど遠い若い女性を中心とした大混雑である。目当ての映画がとうに満席で、やむなく街をぶらぶらしてから引き返した経験もあるかもしれない。新宿ではすでに3つのシネコンがしのぎを削っているが、2014年に惜しまれつつ閉館した歌舞伎町の新宿ミラノ座跡地には22年度竣工予定で複合ビルが建設され、新たにシネコンも入るという。娯楽の多様化、映画を見る手段の多様化によって映画館はもはや風前の灯であると喧伝される一方で、現実はその風評を裏切りつづけているように見えるのだ。

 日本映画製作者連盟による統計もこの実感を裏づける。全国のスクリーン数はこの20年あまりで増加の一途をたどっており、総数による単純な比較では3525スクリーンという2017年度の数字はほぼ1960年代末と変わらぬ水準である。入場者数も年によって多少の増減はあるものの、2000年代を通じて1億6千万~7千万人台あたりを安定的に推移している。ただし、かつては600~700本ほどだった公開本数が2013年以降は毎年1100本を超えるまでに激増し、これによって作品ごとに興行上の明暗がくっきり分かれるようになったのは確かだろう。公開本数増加の背景には、主としてデジタル化による製作と上映のコスト低減化があったと考えられる。

米映画『エクソシスト』の新宿ピカデリーでの上映で観客が将棋倒しとなり負傷者が出たことを伝える1974年7月15日付『読売新聞』朝刊の記事

映画館のテーマパーク化

米国ロサンゼルスのシネコン、アークライト・ハリウッドの1スクリーンとして今も人気を集める1963年開場のシネラマ・ドーム(筆者撮影)

 「死ぬ死ぬ詐欺」なるネット用語をも連想させる映画館のこのあまりに達者な現状を見ると、死のうとしている(あるいはすでに死んだ)のは、せいぜい映画館の旧い形態でしかないように思われる。映画館はもはや昔のように暇つぶしに途中からでもふらりと入って飽きたらまた出て行く、日常のなかに穿たれたエアポケットのような空間ではない。DVDに定額配信と、見る手段が多様化したからこそ映画館に行くにはあえてそうするだけの特別な理由が要るのであり、たんなる日常の延長であっては困るのである。

 デジタル3DやIMAXに代表されるように、現代の映画館はホームシアターでは決して味わうことのできない高精細な映像と迫力ある大音響を提供する。4D上映と称する、映画の内容にあわせて観客の触覚や嗅覚に直接訴える体感的な上映形態も、大方のキワモノ視をよそに意外なしぶとさを見せている。スクリーンに向かって客席から発声したり歌ったりすることが許される応援上映や、オペラやスポーツなどのライブビューイングも人気だ。それだけではない。どこの映画館でもそこでしか売っていない軽食やドリンクを楽しむことができ、ときには作品にちなんだ特別メニューが用意される。そして売店には、パンフレットだけでなくさまざまな関連商品が溢れる。

 映画研究者は、こうした映画館の新しいあり方を「テーマパーク化」として論じてきた。現代の映画館は、統一的なコンセプトにもとづく自己完結したエンターテインメント空間を志向しているというのである。たとえばブランディングを切り口に現代のハリウッドを論じたポール・グレインジは、エンターテインメントとはもはやかつてのような現実から逃避するための場ではなく、消費者がそのなかで生活し遊ぶように誘われる環境なのだと述べる(Paul Grainge, Brand Hollywood: Selling Entertainment in a Global Media Age, London: Routledge, 2008)。ショッピングモールや複合ビルに併設された現代のシネコンは、親がそこで子供を安心してたっぷり半日は遊ばせることのできるような、相対的に安価な近場のテーマパークなのである。

シネコン仕様の荘厳さ

東京・有楽町の日劇が85年の歴史に幕を閉じたことを伝える2018年2月6日付『読売新聞』朝刊の小さな記事

 現代の映画館が滞在型エンターテインメント施設の一部に組みこまれているとするならば、そのことは映画の内容にまで影響をおよぼさざるをえないだろう。わざわざ出かけたテーマパークからすぐに追い返されて喜ぶ人はいない。どうせなら同じ値段で長く遊べたほうがいい。ブロックバスターと呼ばれるハリウッドの大作映画が、ある時期以降、2時間を超えることが当たり前になった背後にはこうした理由もあったはずだ(他方、近年のハリウッドでは低予算で撮られた90分前後のホラーやアクションも復活の兆しを見せており、これは主として若い層に配信等で「サクッと」見られることを想定しているのかもしれない)。

 ここからは現時点では推測の域を出ないのだが、『ダークナイト』(2008)や『ダンケルク』(2017)のクリストファー・ノーラン、『ブレードランナー 2049』(2017)のドゥニ・ヴィルヌーヴといった現代の人気監督たちは、自己の作風をまさに「シネコン仕様」に沿わせることによって観客の支持を得ているのではないだろうか。撮影所時代の映画を見慣れた眼には無器用としか見えないその鈍重さ、まわりくどさは、しかし今日の観客には家庭では決して味わうことのできない映画(館)的な重厚さ、奥深さとして受けとめられているかのようである。

 そのことを象徴するのが、今挙げた3本の映画すべてで音楽を担当しているハンス・ジマーの存在だ。地鳴りのように絶えず重低音が響き、シネコンの壁と座席を振動させつづけて観客を酩酊状態へと導くその荘厳な音楽を一つの核として、まだまだ絶滅しそうにない映画館の現代的な存在価値が形成されているように思えてならない。

藤井 仁子(ふじい・じんし)/早稲田大学文学学術院教授

1973年、大阪府生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学、立教大学文学部助手などを経て現職。専門は映画学、特に日本映画と現代アメリカ映画。映画評論家としても活動。
編著書に『入門・現代ハリウッド映画講義』(人文書院)、『甦る相米慎二』(共編、インスクリプト)、『森﨑東党宣言!』(インスクリプト)、共訳書に『わたしは邪魔された――ニコラス・レイ映画講義録』(みすず書房)など。