早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

YOMIURI ONLINE | 読売新聞

  • トップ
  • オピニオン
  • ニュース
  • 研究力
  • 文化
  • 教育
  • キャンパスナウ
  • 早稲田評論
  • English

ホーム > オピニオン > 国際

オピニオン

▼国際

砂井 紫里(さい・ゆかり)/早稲田大学高等研究所助教 略歴はこちらから

暮らしのなかのハラール~ムスリムから学ぶ大切なこと

砂井 紫里/早稲田大学高等研究所助教

ハラールとは

 近年、私たちの暮らしのなかでハラールということばがよくみられるようになってきました。ハラールとは、もともとアラビア語で「許された」、イスラーム法で「合法な」を意味する形容詞です。その反対がハラーム(禁止)です。よく知られているものとしては豚肉や「酔わせるもの」お酒があります。食べ物だけではなく、ムスリムの振る舞いや言動、全体の行動指針です。生き方、世界観といったことばで説明してくれる方もいらっしゃいます。人びとの暮らしのなかのハラールであることとは、ある人にとっては当たり前の意識されないことであるかもしれないし、ある人にとってはより善い生き方の指針であり、来世への希望を裏付ける日々の積み重ねといえます。

ハラールとハラール認証

 ところが、日本ではハラール認証ということばとセットになってハラールということばが広まりました。このために、いくつかの誤解が生じているように思われます。例えば、「ハラールとあるものはムスリム専用」、「ハラール認証がないものはムスリムは食べられない」といった誤解です。

「ムスリム向け」ということばには、「ムスリムも選び易い」という意味と、「exclusive to Muslimムスリム専用」という意味が混じっている場合があるようです。とある飲食店では、ハラール牛肉を使ったムスリム向けコースを開始しました。訪ねてみると、ムスリムのために確保しているので、ムスリム以外にはその肉は出さないということでした。部外者ではありますが、仕入れのコストや素材の新鮮さの維持などが気になってしまいました。

 ハラール認証は特定の団体等が、書類審査、実地監査などを通してそれぞれの基準を満たしているか否かを精査し、満たしている場合に、証明書が発行される制度です。認証されれば商品等に当該の団体のハラールロゴを付けることができます。生産者・製造者自身の名乗りではなく、第三者による認証という点も特徴です。

都内スーパーで陳列されているマヌカはちみつ。ニュージーランドの認証団体のハラールロゴがついている(東京、2016年6月)

国内中小企業が出展する消費者向けハラール啓蒙イベント。ハラールを付加価値とした新商品が並ぶ(マレーシア、2016年8月)

個人の選択の幅

 ブタ肉を使わなくても、豊かな、地域それぞれの食が世界中にあります。ハラール認証はハラールなもののなかのほんの一部に過ぎないのです。選択肢はたくさんあるわけです。例えば、禁止の食べ物をどのように避けるかといえば、そもそも選択肢に入らない、除けてそれ以外を食べる、料理に使う酒は蒸発するので気にしない、ブタや酒そのものに加えてブタ由来物質やアルコール成分のあるものを避ける、ブタや酒と接触したものや関連するものを避けるなど、人によって選択の幅があります。

 何をそんな当たり前のことを、と思われるかもしれませんが実は、個々の判断に幅があることに対する認識が多くの日本人に欠けているように思われます。

焼き魚、鶏肉のカレー、野菜炒め、煮干しとタマネギのサンバル、牛肉をスパイスとともにココナツミルクで煮詰めたルンダンが並ぶ家庭食事(マレーシア、2016年9月)

暮らしのなかの5つの行動指針

 背景のひとつには、日本人が抱く一般的なイスラームのイメージがあると考えられます。大学や市民講座などでたびたび思うのですが、イスラームには義務と禁止ばかり、と思っている方も少なくないのが現状です。義務と禁止の間には、推奨、許容、忌避(嫌悪)という行動指針の5つのカテゴリーがあり、なだらかなグラデーションになっています。とはいえ日本語の漢字として読むと、絶対的、強制的なものに見えてしまうようです。ですので、私は、「するとよりいい」、「どちらでもよい」、「しない方がよく、しないことで報奨を得られる、してしまったからといって罪にはならない」とお話しています。日常生活のほとんどのことが「どちらでもよい」のカテゴリーにあって、のびのびと、美味しく、楽しく、たまに大変なこともあるかもしれないけれど、日々を過ごしているわけです。それは、私たちと同じです。

判断材料としての情報提示

 海外にいるときなど、その土地の言語を話したり読んだりするのが不便な場合には、ハラール認証の有無、というのも判断材料のひとつとなることもあるでしょう。一方で、ハラール認証制度自体が、イスラームと相容れないという考え方もあります。ハラールとハラームを決めるのは神だけの権利であり、認証という制度によって生じる金銭のやりとりは適切なのかどうか、懐疑的な立場もあります。

 いずれにしても、ひとりひとりが自分にとって食べられるものかどうか、を判断するわけです。このことはひとりひとりが神と向き合う、誰も個人と神の間を仲介はしない、というイスラームの基本と通じているのだと思います。

 判断するためには、判断材料になる情報が必要です。食材や原材料についての情報を提示する、尋ねられたときに誠意をもって答えるなど、コミュニケーションを通して利用者自身に判断を委ねることも大切です。そのためには、どのような材料を使っているのか、を知っておく必要があります。「私たちは何を口にしているのか」という関心は、けして特別なことではなく、食物アレルギーやベジタリアン対応等と共通する部分だと思います。

食材と原材料情報をデザインの中に溶け込ませたメニューブック(台湾、2016年6月)

暮らしのなかのハラール

 ハラールとは何か、タイ、マレーシア、インドネシアのムスリムの女性研究者とじっくり話しをする機会がありました。そのうちのひとりが、次のように話してくれました。

「ハラールというのは清浄であること以上のことを意味している。リアルライフのこと。貧しい人たちに施しをするとして、それが(不正に)貯め込んだお金でハラール食品を買って渡したとしたら?ハラールじゃない。化粧だってそう。ハラール化粧品を使って化粧をしたとして、それが夫以外の男性の気を惹くためだったら、それはハラールなのかしら?」

 ここで彼女が提起しているのは、入手の方法(溜め込んだお金=不正な富)や、意図の大切さです。ハラールであることとハラール認証とが異なる意味の拡がりをもっていることが、彼女の語りからもみることができます。

砂井 紫里(さい・ゆかり)/早稲田大学高等研究所助教

早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学。早稲田大学イスラーム地域研究機構招聘研究員を経て現職。専門は文化人類学。中国やマレーシアなどでの現地調査を通して、飲食と社会関係について学ぶ。主な著書に『食卓から覗く中華世界とイスラーム』、『Halal Matters: Islam, Politics and Markets in Global Perspective』(分担執筆)など

  • 早稲田大学東日本大震災復興支援室 早稲田大学東日本大震災復興支援室
  • 大学体験web もっと動画でワセダを体験したい方はこちら
  • QuonNet まなぶ・つながる・はじまる、くおん。