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上杉 勇司(うえすぎ・ゆうじ)/早稲田大学国際学術院教授 略歴はこちらから

国連PKO・その潮流のうねりと日本

上杉 勇司/早稲田大学国際学術院教授

 日本政府が国連平和維持活動(PKO)に協力することの意味は何か。何を目的に、何をしてきて、どのような成果に結びついているのか。そのことは、日本国民にとって、どのような意義があるのか。

 こういう疑問を提示することは、国連PKOに協力することで何かしらの見返りを期待しているのか、と思われてしまうかもしれない。しかし、一般国民の目線からは、日本政府が取り組む政策である以上、それは当然のこととして問われる。国連PKOに協力することは、どのような国益を日本にもたらすのか。もしも、国益に寄与しないとしたら、日本政府が協力するのはなぜなのか。日本の国連PKO政策を論じるうえで、このような疑問に答えていくことは、政策論の出発点として重要だろう。

 国連PKOに協力する理由を日本政府は次のように述べている。「国際社会全体の安定が日本の安全に直結しており、自らの国際的地位と責任にふさわしい貢献が求められている。」貿易立国日本は、国際社会が平和であることで成り立つ。国際秩序の受益者である日本にとって、その秩序を乱しかねない紛争が悪化や拡大するのを防ぐことに重要な国益を見いだす。よって、国際秩序の維持に寄与する国連PKOへの協力は、日本人にとって他人事ではない。

 とはいえ、国際社会の安定にとって、国連PKOは本当に有効な手段なのか。戦火を逃れる「文民の保護」を任務として与えられた国連PKOは、そのような任務を遂行できているのか。さらには、これまでの日本政府による国連PKOへの協力は効果的だったのか。本稿では、日本が国連PKOに対して提供してきた協力の実績と課題を振り返りながら、以上の疑問点を明らかにしていく。そのうえで、国民一人ひとりが、今後の日本の国際平和協力のあるべき姿を考えていく必要性を唱えたい。

日本による国連PKOへの貢献は

 日本の国連PKOに対する最大の貢献として、財政的な支援を筆頭に挙げることができよう。2015年には国連PKO予算の約11%を日本が負担してきており、最大の負担率を誇る米国の約28%に次ぐ規模であった。しかし、16年以降は、予算の分担率が10%を下回っただけでなく、中国に第2位の座を奪われた。たたし、第3位に転落したとはいえ、日本の分担率は、ひきつづき英国、フランス、ロシアなどの5大国と比べても高い。

 では、なぜ日本政府は、国連PKO予算について、これだけの貢献をしてきたのだろうか。もちろん、この分担率は国連加盟国の国力に応じて割り当てられたものである。したがって、応分の負担は国連加盟国としての義務と位置づけられる。しかし、それ以上の積極的な意味合いがあるのか。経済大国の日本が果たすべき役割としての財政負担は、これまでは、自他ともに認める日本にふさわしい貢献策であったといえよう。

1993年7月9日、国際平和協力法にもとづいてカンボジア・シアヌークビル港のコンテナヤードの工事をする自衛隊施設大隊(共同通信社)

 財政面以外には、自衛隊、警察、文民の派遣を日本政府は実施してきた。政府や国民の関心の多くが、自衛隊の派遣に集まってきたことは事実である。しかし、1993年にカンボジアで国連警察官として活動していた岡山県警の高田晴行氏が凶弾に倒れた事実が示すように、警察も協力の一翼を担ってきた。また、選挙監視要員として、カンボジア、東ティモール、コンゴ民主共和国などへ文民も派遣してきた。また、日本政府の直接的な貢献ではないが、国連PKOの文民職員として活躍する日本人もいる。当時の最大級の国連PKOであったカンボジアと旧ユーゴスラビアにおいて代表を務めた明石康氏や東ティモールの国づくりを支援した国連PKOの代表であった長谷川祐弘氏などが発揮したリーダーシップは、国際社会における日本人の存在を印象づけた。

 自衛隊を国連PKOに派遣する場合には、憲法との関係で一定の制約がある。そのため、自衛隊の活動領域は、道路建設や補給といった後方支援に限定されることが多い。しかし、それ以外にも国連PKOの司令部要員や軍事監視員の派遣も、数は少ないものの実績に加えることができる。また、これまでの自衛隊の経験を踏まえて国連PKOの工兵マニュアルを作成したり、諸外国の国連PKO訓練センターに対して教官を派遣したり、地道な協力も提供してきた。これらは、自衛隊が国連PKOに対して直接的に協力するものではないが、国連PKOに派遣する諸外国の能力を構築することで、間接的に国連PKOの底上げに寄与してきたといえよう。

国連PKOが質的に変化

 冷戦直後の1992年に、日本では冷戦下の国連PKOを参考に国際平和協力法が制定された。同法にもとづき日本政府は、カンボジアでの国連PKOに自衛隊、警察、文民を派遣した。これは冷戦後に展開されるようになった新しい形の国連PKOであった。内戦を終結させる過程で、紛争当事者間で和平合意が結ばれ、その合意の履行を監視・監督しつつ、民主的選挙によって新政権が生まれるまでの期間を国連PKOが当該国家を暫定的に治める。すなわち、内戦後の国家建設において、選挙の実施から法制度整備などの国づくりに欠かせない多様な任務を担う「複合型」と呼ばれる国連PKOの誕生に、日本は初心者として加わった。

 しかし、同じ時期に国際社会は、アフリカのソマリアにおいて、紛争当事者たちに対し、武力によって和平を押しつける「平和強制」を試みて失敗した。この伝統的な国連PKOの原則を大きく超える試みが頓挫した反動で、その後の国連PKOは、人道危機に直面しても消極的な対応に終始してしまう。国連PKOは、ルワンダで発生した大虐殺を防ぐ手立てを講じることができず、旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニッツアという町で発生した虐殺を目の当たりにしても無力であった。このような失態を晒した国連PKOに対して、国際社会の目は厳しかった。国際の平和を維持するという国連の役割は、冷戦終結に伴い新しい任務を模索していた北大西洋条約機構(NATO)によって取って代わられる場面も珍しくなくなった。国際社会の関心を集めたボスニア紛争やコソボ紛争の終結においてNATO軍が重要な役割を果たしたという事実は、国連PKOの衰退を象徴している。

 1990年代に国連が犯した失敗に対する反省を踏まえ、2000年に出された『ブラヒミ報告』という国連PKOの改革提言をきっかけに、一度はソマリアでつまずいた国連PKOの積極化が再び始まる。その方向性は大きく三つあった。まずは、ソマリアでの「平和強制」の失敗とルワンダやボスニアにおいて虐殺を防げなかった教訓を生かし、伝統的な国連PKOの基本原則が修正された。つまり、「伝統原則」以上、「平和強制」未満の取り組みが、積極的(robust)国連PKOとして試みられるようになる。この新たな取り組みでは、国連PKOによる武器の使用が、自衛のための最低限のものという従来の考え方から、与えられた任務を完遂するうえで必要であれば、武器の使用も辞さないというものへと変化した。つまり、自衛原則という武器使用の基準は、任務遂行のための武器使用という反対基準との同居を強いられることになる。これは、自衛原則の実質的な放棄だといえよう。

 さらに国連PKOは別の意味でも積極化した。たとえば、東ティモールには、過去の国連PKOのなかでもっとも強い統治権限を与えられた国連PKOが派遣された。国連が主導する形で新しい国家の建設が進められることで、カンボジア以上に多様な支援が東ティモールの国連PKOには求められた。人道支援から開発援助、あるいは統治制度設計から人材育成や戦争犯罪者の処罰と和解の実現といった課題が、国連PKOを基盤として取り組まれるようになった。和平合意に伴い生じた元戦闘員の武装解除と社会復帰に対する支援、治安部門改革と呼ばれる軍、警察、司法制度のてこ入れなども国連PKOの新任務に加えられた。

 第三の流れとして、国連は地域機構や有志国家連合との役割分担をしつつ、国連PKOを展開するようになった。たとえば、東ティモールでは1999年の住民投票直後の騒乱において、オーストラリア軍を中心とした有志国家連合軍により治安を安定化させたのちに、暫定統治を国連PKOが担うというリレー型の連携が試みられた。他方で、コソボでは国連PKOが全体の枠組みを提供しつつ、国連が行政・司法・警察を、NATOが治安維持を、欧州連合(EU)が復興・経済開発を、欧州安全保障協力機構(OSCE)が民主化を担当するといった、二人三脚型の役割分担が実現した。

環境変化に遅れる日本の対応

 このような三つの変化のなかで、国連PKOの基本原則の変化に対し、日本政府は十分な対応ができていない。とりわけ、自衛隊による武器の使用に関しては、法改正によって対応策を講じてきたとはいえ、任務遂行のために自衛隊が武器を使用することに対して、国民的な支持があるとはいえない。南スーダンでは、国連PKOに対して「文民の保護」が求められ、そのための武器使用が不可避となる状況下で、日本政府は自衛隊を撤収させるという選択肢を選んだ。自衛隊が南スーダンにとどまっているときには、そのような政府の判断に対して、野党から批判がなされたが、撤収すると批判の嵐は止んだ。そこには、国連PKOへの日本の協力のあり方を総括し、今後に向けた議論をしようとする雰囲気はなかった。

 とはいえ、国連PKOに対する日本の協力が、具体的な成果へとつながった場合もある。それは、第二の積極化の流れである内戦後の国家建設において顕著だった。カリブ海のハイチやアフリカの南スーダンでの国連PKOなどでは、日本のODA案件と国連PKOに参加中の自衛隊施設部隊との連携が実現した。「オールジャパン連携」と呼ばれるこの取り組みは、日本の得意な形の協力を組み合わせることができるという点で優れている。他方で、国連PKOの一員として派遣されている自衛隊が、日本の国益を増進するための「オールジャパン連携」に関与することの問題点が指摘された。さらに、実際に南スーダンの事例が示すとおり、現地の治安情勢が悪化すればODA案件を担当する日本の関係者が国外退避を強いられるために連携ができなくなるといった欠点も明らかになった。

 国連PKOとの役割分担を推進してきた地域機構に属していない日本は、国連PKO以外の平和活動への関与の道が閉ざされてきた。アジアにおいては、インドネシアのスマトラ島北部のアチェ和平やフィリピン南部のミンダナオ島での和平において、停戦監視など従来であれば国連PKOが担ってきた任務を国連以外の枠組みが請け負った。ミンダナオ和平における国際監視団に対して、他国は軍隊を派遣するなか、日本政府は国際協力機構(JICA)の職員を派遣している。

 2016年の平和安全法制で改定された国際平和協力法では、国連が主導しない平和活動に対しても自衛隊を派遣することが認められた。今後のアジア太平洋地域では国連PKOが設置される可能性は低い。平和活動が展開するとしても、アチェやミンダナオの場合のように国連以外が主導するものになるだろう。紛争の火種は、タイ深南部、ミャンマー、ネパール、スリランカ、フィジー、ソロモン諸島などで燻っている。バングラディッシュ、アフガニスタン、パキスタンなどはイスラム過激派の動きが活発化しており予断を許さない。どのような枠組みで平和活動が展開されるかは現時点ではわからないが、国連以外の枠組みにおいて日本は主体的な役割を果たしうるのか、検討に値する。

再考迫られる日本の国際平和協力

 今後の課題は多い。国連PKOへの自衛隊の部隊派遣は短期的には限界に達したといえよう。もちろん、中期的には中東や北アフリカでの紛争が落ち着き、シリアやマリなどに国づくりを任務とする国連PKOが派遣される可能性はある。しかし、現在の国連PKOの要請に応えていくためには、国民の合意を伴った憲法改正を経て、自衛隊の海外活動に対する考え方を大きく転換しなくてはならない。自衛を超えた「文民の保護」を遂行するための武器使用に踏み込むのか。法改正はしたものの、国民の理解と支持がなければ、この方向に進むとは考えにくい。

 もちろん、「文民の保護」へのかかわり方や国連PKO自体への協力のあり方についても、現場の要請と国内の認識の差を埋める方向に動く必要は必ずしもない。しかし、多くの国民が、国連PKOの現状を知らないまま現状維持を支持している状況は皮肉だ。国連PKOの現状を理解したうえで、国際秩序維持の手段である国連PKOに、日本はいかに協力していくべきなのかを考える時期に差し掛かっている。

 なぜ日本は国連PKOに自衛隊を派遣するのか。こうした国民の素朴な疑問に向き合いつつも、国際社会の安定に寄与する日本の国際平和協力のあり方はどうあるべきなのか、という次の段階の議論を始めよう。

『外交』Vol.44より転載

上杉 勇司(うえすぎ・ゆうじ)/早稲田大学国際学術院教授

1970年生まれ。国際基督教大学卒、ジョージメイソン大学大学院修士課程修了、ケント大学大学院博士課程修了。博士(Ph.D.)。広島大学を経て現職。沖縄平和協力センター副理事長。著書に『紛争解決学入門』『世界に向けたオールジャパン』『変わりゆく国連PKOと紛争解決』など。

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