早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

YOMIURI ONLINE | 読売新聞

  • トップ
  • オピニオン
  • ニュース
  • 研究力
  • 文化
  • 教育
  • キャンパスナウ
  • 早稲田評論
  • English

ホーム > オピニオン > サイエンス

オピニオン

▼サイエンス

成田 広樹(なりた・ひろき)早稲田大学高等研究所助教 略歴はこちらから

言語の種:ヒトの心の成り立ちにせまる糸口

成田 広樹/早稲田大学高等研究所助教

 子どもは誰もが語学の天才である。彼らは生まれ落ちた環境で周りの成人が話している会話データを(それが日本語であれ英語であれ他の何語であれ)敏感にキャッチし、1日数十語という驚異的なスピードで語彙を精確に学習し、そして言語学者が未だその全貌を解明することができていないような複雑極まりない文法知識をたかが生後数年で難なくものにしてしまう。

 このような驚異的な言語獲得能力は、どうやらヒトの子どもにのみ与えられた特権であるらしい。類人猿や鳥類などに自然言語の文法を後天的に学習させようとする実験が過去何例も行われてきたが、結果として他生物にヒト言語の文法知識を学習させることが出来たという報告は一例もない。どんな生物がどのように洗練されたトレーニングを受けても決して操れるようにならないような特殊な知識を、ヒトの子どもだけは生後わずか数年の間に何ら特別な訓練を受ける必要もなく獲得してしまうという事実は、このヒトという生物種を巡る大いなる謎の一つである。

 成熟したヒトの言語能力は、他のどの生物の認知機構にも見られない特異な性質をいくつも示すことが知られている。最大の特徴は句構造の無限性だろう。例えば日本語において、[太郎が本を読んだ]などの単文は、[花子が[太郎が本を読んだ]と思った]などのより大きな文に埋め込むことができる。こうしてできた文はさらに大きな文構造([次郎が__と信じている]、[明美は__か知らない]、[__との情報がある]等々)に繰りこむことができる。このような文の文への埋め込み操作のくり返しに原理上の限界は存在しない。このことは、日本語に「最長の文」は存在せず、また日本語文法が作り出し得る文構造・句構造の数は原理的に無限であるということを意味している。日本語にかぎらず、ヒトの言語は(それが何語であれ)一般に、このような再帰的埋込みを含む句構造の無限性を示すが、興味深いことに、この顕著な特徴は他のどの生物の認知システムにも見られないヒトの言語能力特有のものである。口腔機構あるいはそれに準ずる器官から発する音声を用いて同族間のコミュニケーションを行う霊長類や鳥類などは数多く存在するが、それらの生態をどれだけ詳細に観察してみても、ヒト言語の句構造無限性と同様の特性を示す認知システムを見出すことはできないのである。これらの状況を背景として、句構造の無限性を支える(埋め込みなどの)再帰的演算の存在こそがヒト言語を他の有機体の認知機構と根本的に区別する種固有の特性であるという仮説が近年提出されており、比較生物学や動物行動学、進化生物学などの研究者の間でこの仮説を巡る活発な議論が続いている。

 なぜヒトのみが言語を獲得できるのか。そしてなぜヒト言語のみが句構造の無限性を初めとした数々の特異性を示すのか。これらの問題に関する一つの妥当な仮説は、言語の獲得を可能たらしめる何らかの特別な装置、いわば「言語の種」のようなものが、ヒトという生物種にのみ与えられている、というものである。この種は何らかの形でヒトの脳に生得的に埋め込まれている。それは周囲からの会話データを取り込むことをきっかけとして発芽し、内的な発達過程に従って句構造の無限性などの特質を発現しつつ成長し、結果日本語であったり英語であったりの文法知識として成熟するのである。

[図1] ヒトのみが「言語の種」を備えて生まれる。それは周囲の会話データを取り込み、句構造無限性などの特性を示す言語知識に成長する

 この「言語の種」の内的構造や成長過程を解明することを課題とする研究プロジェクトは「生成文法(generative grammar)」と呼ばれている。生成文法研究者は、日本語や英語などの文法体系を同じ一つの種から発生した複数の異なる成熟形態として扱い、それらの共通特性や相違の比較検証を通して、言語の種が持つべき構造特性の理論(「普遍文法(universal grammar, UG)」と呼ばれる)を追究する。それはちょうど、同じ大豆から発生した2つの異なる成熟形態である枝豆ともやしの構造を比較研究することで、もとの大豆の遺伝的特性の解明に迫ろうとするのと同様である。また、言語行動の際の脳神経の電気活動の様子を脳科学の手法を用いて観察したり、子どもの言語学習の過程を詳細に観察することで言語の種の発達メカニズムを検証したり、ヒト言語と他の認知システム(ヒトの視覚、鳥の歌の文法、類人猿の行動文法など)との比較を通してヒト言語の形式特性を検討するなどの研究方法もある。生成文法にはこのように多様な研究課題が山積しているのである。

[図2] 一粒の大豆が蒔かれた環境次第で枝豆になったりもやしになったりするように、言語の種は周囲の言語環境次第で日本語になったり英語になったりする

 言語の種――この不可思議な対象から成熟した言語能力は、我々の人間らしい思考表現の欠くべからざる支えとなる。ヒトの思考体系は他のどんな生物のそれとも異なっていることには疑いを得ないが、ヒトの思考の特異性は、もしかすると、その大部分は他生物と共有されているかもしれないような感覚・認知機構の土壌の一部に、言語の種から伸びた幹や枝葉がしなやかに張り巡らされていることに尽きるのかもしれない。言語の種(=言語獲得能力)はヒトのみに与えられた特殊な生物学的所与なのだから、ヒトの思考の特殊性がどの程度それによって説明し尽くせるかを問うことは興味深い。言語はもしかすると、我々の感覚世界にあらかじめ存在するものを事後的に参照する手段などではなく、むしろヒト独自の思考・認識世界を織り上げている糸そのものなのかもしれないのである。

 近代哲学の祖デカルトは、中世神学では当たり前のように想定されていた精霊や霊魂などの超自然的存在を物理科学の説明理論から排斥し、「天体から地上の物質まで、自然界の全ての運動は運動量保存則や慣性の法則などの単純な物理法則によって説明し尽くすことができる」という一大構想を打ち出した。これはその後ニュートンなどによって引き起こされることになる数々の物理科学革命の起爆剤となる革命的なアイディアであった。デカルトは当初この機械論的物理科学を宇宙の全ての事象を説明する究極理論として発展させることを目指していたが、そんな彼の目論見の前に厳然と立ちはだかったのは、まさしくヒトの日常的言語使用が示す無限の創造性であった。他の動物の行動の殆ど全ては、物理的刺激とそれに対する反応(例えば打撃とそれに対する叫声など)の比較的単純な図式によって説明できるかにデカルトの目には映ったが、ヒトが何ら外部からの引き金もなしに自発的に行なうことができる自由な発話だけは、どこまでもそのような物理的要因一切による因果的説明を拒むものであった。ヒトの創造的言語使用の基盤を説明するという難問は、デカルトをして物質の世界とは因果律を全く異にする(従って物理科学の説明範囲を超えでた)思惟という第二の実体が形作る事象世界の存在を想定せざるを得ないと判断せしめた。ここに17世紀来の心身二元論の起源があるのであるが、物質の世界の科学(物理学)が古典力学、相対性理論、量子理論等々の数々の革新を経、それによって物質の概念が幾度となく改変・拡張された今をもってなお、物質の世界と心の世界の間に厳然と横たわる分水嶺を超え出る手立てを我々は知らない。もちろん、それは何らかの形で脳の中に存在するはずである。しかし、現代脳科学の粋を尽くした観察機材(当然それはデカルトの時代とは比べ物ならないほどの精度を持つが)をもってしてもなお、我々は単なる複合的電気活動の遷移分布以上のものを脳内に見出すことはできない。脳というブラックボックスの内部で、一体どのようにして我々の意識や感覚、思考などの心的事象が生み出されているのか、我々にはわからないのである。

 しかし、いまや我々は、この分水嶺の成り立ちにまつわる謎の一端を垣間見るための手がかりを与えられているのではないだろうか。まさしく言語の種がそれである。それは一方でヒトのバイオロジーが織りなす脳神経系複合体であり、その意味でどこまでも物理的な実体であるはずである。しかし他方で、それは感覚器官からもたらされた言語経験を吸収しつつ、ヒトの認知世界をメキメキと拡充する幹や枝葉を生やしながら、まさしくデカルトが注目したような自発的かつ創造的な言語使用を可能たらしめる機構として成長するのである。その意味でそれはヒト的思惟の根幹をも形成していることにもなるのである。言語の種から生えた樹木は、物質の世界と心の世界とをつなぐ架け橋なのである。

 言語の種の内部構造およびその発達過程の研究を通じて、ひいてはヒトの心の本性を織りなす機構の一部を解明することができるのではないか。そしてもしかすると、物質と心の二元論的世界の成り立ちを巡る神秘を紐解く糸口をつかむこともできるのではないか――そのような、物理学、脳科学、認知科学、心理学、哲学などの分野の垣根を大きく超え出た、将来的なブレイクスルーへと繋がる手がかりが、まさしく言語研究に委ねられているのかもしれないという予感に、私のような生成文法研究者は心を震わせるのである。

[図3] 言語の種から伸びた樹木は、物質の世界と心の世界の分水嶺を乗り越えるための架け橋となりうるであろうか

成田 広樹(なりた・ひろき)/早稲田大学高等研究所助教

【略歴】
2005年国際基督教大学教養学部卒。2007年上智大学大学院外国語学研究科修士課程修了。2011年ハーバード大学大学院言語学科にて博士号を取得。2011年4月より早稲田大学高等研究所に赴任。専門は認知科学、理論言語学。

[主要な論文]
・Narita, Hiroki (2012). “Phase cycles in service of projection-free syntax." In Angel J. Gallego, ed., Phases: Developing the framework, Mouton de Gruyter.
・成田広樹・福井直樹 (2011). 言語を巡る「何」と「なぜ」―生成文法の視点から―. 『日本語学』30(13): 24-33.
・Narita, Hiroki, and Koji Fujita (2011). A naturalist reconstruction of minimalist and evolutionary biolinguistics. Biolinguistics 4:356-376.
・Narita, Hiroki (2010). The tension between explanatory and biological adequacy. A review of Naoki Fukui's (2006) Theoretical Comparative Syntax. Lingua 120:1313-1323.
・Lohndal, Terje, and Hiroki Narita (2009). Internalism as methodology. Biolinguistics, 3(4):321-331.
・Narita, Hiroki (2009). Full Interpretation of Optimal Labeling. Biolinguistics, 3(2-3):213-254.
・Narita, Hiroki (2009). How Syntax Naturalizes Semantics. A review of Juan Uriagereka's (2008) Syntactic Anchors: On Semantic Structuring. Lingua 119(11):1767-1775.

[ホームページ]
・個人HP: http://hirokinarita.org
・naturally mind/brain (Podcast): http://hirokinarita.org/podcasting/naturally-mind-brain

  • 早稲田大学東日本大震災復興支援室 早稲田大学東日本大震災復興支援室
  • 大学体験web もっと動画でワセダを体験したい方はこちら
  • QuonNet まなぶ・つながる・はじまる、くおん。