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伊東 久智(いとう・ひさのり)/早稲田大学文学学術院助教  略歴はこちらから

「青年党」の時代 ―― 戦前の若者と政治・選挙

伊東 久智/早稲田大学文学学術院助教

いまの若者と過去の若者

 いわゆる「18歳選挙権」が実現した昨年(2016年)、人びとと政治・選挙との関わりを歴史的にふり返るべく、「近代日本と総選挙」と題した講義を行った。選挙権を得たばかりの学生たちの関心は、講義期間中に参議院議員選挙を控えていたということもあり、高かった。「過去の若者」についての研究に没頭してきた私にとって、「いまの若者」から寄せられる意見は、そのどれもが新鮮な響きをもっていた。

 彼・彼女たちの意見のなかで、目立って多かったのは、「自分(たち)とは違って、政治や選挙と積極的に関わろうとした過去の若者は偉い!」という一種の自己卑下だ。それのどこが「新鮮」なのか、と思われるかもしれない。しかし、自己を卑下する彼・彼女たちの言葉の端々に、「(私も)関わりたい」あるいは「(私を)変えたい」という欲求が潜んでいることを知るに及んで、私にはそれが「新鮮」に響いたのだ。

戦前の「青年党」と選挙権

 それでは、いまの若者たちに自己卑下を余儀なくさせるような、過去の若者たちと政治・選挙との関わりとはどのようなものだったのか。その一端をみてみよう。日本に国会(当時は帝国議会といった)が誕生したのは1890(明治23)年のことだが、ちょうどその前後に産まれた世代が20代を迎えた頃――明治から大正へと元号が移り変わる頃――「青年党」を名乗る政治集団が続々と登場し、活発な院外活動を展開した。

 そこに集ったのは、主として弁論部に籍を置く大学生や卒業生たちだ。彼らは、「雄弁」と賞された巧みな演説技術を武器に、衆議院議員選挙の際などには、政談演説会の開催や地方遊説の挙行、さらにはそれらの概要を掲載した機関誌の発行を通じて、世論の喚起に努めた。「政治青年」たちの巣窟――それが「青年党」だった。

 しかし、彼らといまの若者たちとの間には、根本的な相違がある。いうまでもなく、彼らには選挙権がなかったということだ。明治末~大正初めの時期についてのみいえば、選挙権資格は直接国税10円以上を納付する満25歳以上の男子(他に住所要件あり)、被選挙権資格は満30歳以上の男子に限られており、彼らはそのいずれにも該当していなかった。また、彼らはあくまでも「彼ら」であって、「彼女ら」は法制的にも社会的にも政治・選挙から排除されていたことを忘れてはならない。

選挙権を求めて ―― 鈴木正吾と「普選」運動

代議士時代の鈴木正吾(『雄弁』28巻11号、1937年より)

 自らが支持する候補者に票を投じることもできなければ、自らが票を得ることもできない以上、「青年党」参加者たちの政治・選挙との関わりは、「成年党」(既成政党)のそれとは異なるものとならざるを得なかった。ある個別事例を紹介しよう。

 1907年に結成された「丁未(ていび)倶楽部」という「青年党」類似団体のメンバーの一人に、鈴木正吾(1890年愛知県生まれ・明治大学卒)という人物がいた。学生時代から「天才的雄弁」をもって知られた彼は、20代~30代半ばの時期を、「普選」(男子普通選挙)の実現を求める運動のために文字通り捧げた。つまり鈴木にとっては、政治・選挙と関わりをもつための「手段」の獲得こそが、政治・選挙との関わりそのものだったのだ。

 1925(大正14)年、晴れて普選が実現すると、鈴木はそれによって誕生した「新有権者」の教化運動に従事し、1932(昭和7)年には代議士へと上り詰める。二大政党(政友会・民政党)からは距離を置き、「第三党」(国民同盟)に所属した彼は、議場においても、「金無シト雖(いえど)モ、志アレバ国民ハ議会ニ這入(はい)レルト云フ根本的ノ途ヲ開ク」選挙法の改正――いわば普選の「徹底化」を訴えた(1933年・第64回帝国議会議事速記録)。ちなみにそれは、青年将校らによって時の首相が暗殺されるという議会政治に対する挑戦的事件――五・一五事件――が勃発した翌年のことだ。

「いまの青年党」の姿とは

 選挙権を「与えられた」いまの若者たちから寄せられた、青春を賭してそれを「勝ち取ろうとした」過去の若者たちに対する引け目を記した文章を前に、私はいかにコメントすべきか迷った。学生は慰められたいわけではないのだから、時代・条件の相違を並べ立て、その引け目は感じる必要のないものだ、などといってみたところで意味がない。

 いまとなっては、次のような問いを投げかけるべきではなかったかと、反省的に思い直している――「もし、あなたが「いまの青年党」を想像するとしたら、それはどのような姿ですか」。そこでは、彼ら/彼女らというジェンダーの二分法は相対化されているだろうか。またそこでは、「天下国家」を云々するよりも、自らが生活する地域社会やコミュニティの問題こそが議論されているのではないか。いや、それは実体的な結社なのではなく、文字通り「LINE」やソーシャル・ネットワークによって繋がった姿なき姿なのかもしれない。絵空事のようではあるけれども、そうしたやり取りを交わしていくうちに、私が「新鮮」だと感じた彼・彼女たちの潜在的な欲求が、具体的な「輪郭」を描きはじめることもあっただろうと思うからだ。

【参考文献】

伊東久智「「院外青年」運動及び同運動出身代議士と選挙――鈴木正吾と西岡竹次郎を事例として」『選挙研究』32巻1号(2016年)。

伊東 久智(いとう・ひさのり)/早稲田大学文学学術院助教

【略歴】
1978年富山県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程、早稲田大学大学史資料センター助手、同常勤嘱託を経て、2016年度より現職。博士(文学)。専門は日本近代史。

【業績】
http://researchmap.jp/ito_hisanori/

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