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研究力

▼知の共創-研究者プロファイル-

千葉 清史(ちば・きよし)/社会科学総合学術院 准教授  略歴はこちらから

観念論と実在論という世界の二面性を
カント哲学を通して探究する

千葉 清史/社会科学総合学術院 准教授

哲学に自分事として向き合う

 中学生の頃から社会思想・政治思想の本を読み始めて、高校では友人といっぱしに政治論争をしたりしていました。いつしか哲学思想に興味関心が移り、京都大学で哲学を学びたいと考えるようになりました。京都大学に行って驚いたのは、みんなキルケゴールだとかニーチェだとかよく読んでいるんです。当時は、文学部の学生の3分の1ぐらいが哲学科を志望していたのですが、専攻に分かれる3年までに段々と希望者が減っていって、最後は「単なる教養ではなく学問として哲学を修めよう」という覚悟を持った人間が残るという感じです。

 もともと現象学という主観や意識に着目した哲学に興味を持っていて、哲学科に進むとフッサールやハイデッガーといった近現代の現象論学者の文献を原書で本格的に読み始めました。ハイデッガーの『存在と時間』をドイツ語でなんとか半年かけて読破するものの、とにかく難解で…(笑)。当時授業でお世話になっていた先生に、「カントを読みなさい。何をやるにもカントは必ず必要になるから」と助言され、ドイツ観念論哲学の祖と言われるイマヌエル・カントの思想に出会うことになります。カントは18世紀に、常識的な客観主義的世界観に対して、人間の意識や観念に基づく主観主義的哲学体系を打ち出し、『純粋理性批判』などの批判哲学を展開しました。近現代の哲学者にも大きな影響を与えており、哲学を研究するうえで避けては通れない存在です。しかし、カントは真に研究に値すると私が考え、深く探究したいと思うようになったのは、それだけが理由ではありません。

 カントを読み始めてほどなく、哲学に自分事として真正面から向き合わざるを得ないような個人的な出来事に遭遇しました。その出来事を通じて、「世界は私の世界である」「現実とは私が認識する限りのものである」といった考えに代表されるいわゆる観念論的/独我論的立場にもある種の真理が存する、と実感するに至り、ものの見方考え方が大きく変わりました。とはいえ、「世界は我々の意識から独立に存在する」「私がいようがいまいが現実はあるがままに過ぎていく」といった実在論的立場にも無視できない説得力があります。この対立に面して私が得た直観は、どちらが一方的に正しくて他方が間違っているわけでもなければ、どちらかが他方に吸収されるのでもなく、これら相反する立場がともに現実的である、というものでした。この自分自身の直観が、今日まで一貫して私の哲学研究の軸になっています。そして、カントには、現実のこうした二面性に着目し、どちらにもある意味で真理があること、両者の調和を模索しようとする意図や試みがあります。そこで、彼のそうした思索を、自分自身の問題関心にひきつけつつ深く探求したい、という強い動機付けを持つに至りました。

 学部から大学院へ進み、博士3年でドイツのボン大学へ留学する際には、「カントにおける自我と時間」という壮大なタイトルで、全4章からなる博士論文の研究計画を引っさげて行きました。しかしドイツの指導教員には「そのうち1つにしておきなさい」と説得され…(笑)。結果的には、当初の1章分だけで400ページ余りの書籍(写真)になる研究成果をまとめることができました。ドイツでは、議論の中できちんと反論し互いの立場を検討する、その空間が非常に居心地が良かった。カント研究の最先端の現場で、戦士として認められ切磋琢磨できたことが、ドイツに行って本当に良かった、と思うことです。文化的な多様性の許容についても、ドイツは懐が深い。寒かったので日本から持って行ったどてらを着てライン川のほとりを歩いていても、誰も気にも留めなかったですよ。

Kiyoshi Chiba(単著), Kants Ontologie der raumzeitlichen Wirklichkeit: Versuch einer anti-realistischen Interpretation der Kritik der reinen Vernunft(時空的現実についてのカントの存在論:『純粋理性批判』の反実在論的解釈の試み),Walter de Gruyter 刊,2012年 02月

ボン大学

ボン市街カイザー広場とベートーベン像

主観主義の真なる価値を示す

ボン大学哲学科カント賞の賞状(左)と早稲田大学リサーチアワードの盾(右)

 カント哲学の探究を中心とする私の研究は、学問の中でもとても地味なものだと思うのですが、ドイツ滞在中にはボン大学哲学科から、2009/2010年度の最優秀博士論文賞―偶然にも「カント賞(Kant Preis)」という名称なのですが―を、2016年度には早稲田大学のリサーチアワード(国際研究発信力)をいただくなど、研究成果が評価されることはたいへんうれしく自信に繋がっています。

 私のこれまでの研究が達成してきた成果を整理すると、第1に『純粋理性批判』出版以来から繰り広げられてきた、カントの超越論的観念論をめぐる実在論的解釈vs観念論的解釈の論争において、観念論的解釈を擁護する強力な論拠を提示したこと、第2にカント哲学をより実り豊かに解釈するために必要な道具立てを整備したこと、第3にそうした道具立てのもとでカントの観念論のありようをより精緻な仕方で明らかにしたことといえるでしょう。第1の点について従来の論争を振り返ると、「実在論的解釈」「観念論的解釈」といった言葉は用いられながらも、それらの言葉で正確には何が意味されているのかが明瞭にされてこなかったことにより、議論の混乱が生じているように思われました。

 第2・第3の点については、第1の論争の不十分さが決して学者の怠慢によるのではなく、カント哲学を精緻に理解するための道具立てが従来なかったことによること、近年の新しい分析枠組みを導入することで、新たな解釈の発展が見出せることを示しました。例えば、マイケル・ダメット、クリスピン・ライトらの反実在論や、直観主義数学・論理学をめぐる哲学的考察など、英米圏の分析哲学に依拠する明晰な道具立てを用いることで、従来は読み解けなかったカントの主張や問題設定を、より精緻に解釈し再定義することが可能となります。

 これらの研究がさしあたり目指したことは、カント解釈における伝統的な論争に一定の解決を与えることです。とはいえ、私自身には、先に触れた主観的世界観と客観的世界観の二面性ということにかかわる、より広い意図がありました。実在論や客観的世界観は強力なもので、今日それに関する説得的な擁護は多く存在します。主観主義も客観主義もある意味ともに真である、と私のように主張したいならば、まずは―今日いささか旗色が悪い―主観主義が検討に値する考えである、ということを示す必要があります。そこで私は、まずはカント解釈を通じて、説得的な主観主義・観念論的立場を彫琢することを目指したのです。

 もちろん最終的な目標は、相容れない両者がともに真であることを示すことですが、現在はその途上で、主観主義のある程度の擁護まで到達した、といったところです。しかしこの道はなかなかに険しく、当初の信念に揺らぎはないものの、ひとまずは「一抹の」真理というところへ撤退して、次へ進まなければというのが、現在の正直な心境です。

明瞭でない問題への飽くなき探究

 とはいえ、確かに最初に持っていた確信に比べれば、現状かなり譲歩せざるを得なくなりはしましたが、完全撤退して、まったく別の研究テーマに鞍替えしなければというほど悲観的でもありません。例えば、「我々の自己理解において」主観主義と客観主義の併存が不可欠というくらいまで譲歩するとどうなるかなど、撤退の仕方によって新たに見えてくるものがあると思っています。

 カントだけを研究するのは決して私の本意ではないのですが、今後もなお、カント研究において「すでに分かっているように思われてきたが、決して明瞭になっていない論点」を明らかにしていくことには価値があると思っています。カントは、現実世界が抱える問題をとてもよく導き出して表現した人で、それは現在においてもなおリアルに迫ってきます。存在、時間、意識、自我、直観といった問題について、角を削ぎ落として融和させ上手く説明するよりも、問題そのものをより鋭利なまま、妥協の余地のないような仕方で提示したからこそ、それが今日なお、取り組むべき問題としての魅力を放っているのでしょう。

 1990年代以降、「概念と直観」という、哲学一般においてごく基本的な道具立てと思われてきたことについても、明晰になっていないことがたくさんあることが分かってきました。「概念」とは何か、「直観」とは何か、どこがどう違うのかという議論が、前面に押し出されてきた。この問題に、カント研究の枠組みでアプローチすることにも意義があると思っています。――と、ゴールに向かいつつも「あれ、ここは明瞭じゃないぞ」というところについ寄り道し、挑戦してしまうのが、私の悪いクセかもしれませんね。

千葉 清史(ちば・きよし)/社会科学総合学術院 准教授

1995年京都大学文学部卒業、1999年京都大学大学院文学研究科修士課程修了、2005年京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得中退。2001年ボン大学(ドイツ)哲学部修士課程入学、2002年同・博士課程編入、2012年修了。哲学博士(Doktor der Philosophie)。2012年より山形大学人文学部准教授、2016年より現職。2010年ボン大学哲学部哲学科よりカント賞、2016年早稲田大学リサーチアワード(国際研究発信力)受賞。

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