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早稲田評論

▼映画評

藤井 仁子/早稲田大学文学学術院准教授(文学部) 略歴はこちらから

日本映画二極化の果ての希望
三宅唱の『Playback』

藤井 仁子/早稲田大学文学学術院准教授(文学部)

 日本映画の二極化についてはつとに語られてきた。一方ではテレビ局や広告会社が主導する製作委員会方式に拠った大作が量産され、他方では単館でしか上映されないような小規模の映画が濫作される。両者の隔たりは近年ますます広がる一方で、映画界に棲息する人間ももはやその全体を把握しているとはいえない。それが証拠にたとえばこの夏、オーディトリウム渋谷で上映されて若者を中心に大きな話題を呼んだ濱口竜介監督の一連の作品は、狭義の「劇場公開」の基準を満たしていないという理由で年度末に選出される各種ベストテンからは黙殺されるだろう。観客が求めるものとはまったく無関係な論理で動く現今の日本映画界とは、いったい何なのだろうか。

 その濱口と並んで、次代を担うもっとも才能ある映画作家として熱心な観客には早くから知られていた――つまりは主流の映画ジャーナリズムからはほとんど無視されてきた――三宅唱が、新作『Playback』でついに劇場デビューを果たす。伝統あるロカルノ国際映画祭のコンペにも正式出品されたこの映画の企画が実現したのは、主演の村上淳が三宅の前作『やくたたず』を見て大いに気に入り、自ら話を持ちかけてのことだというから、今や志ある俳優のほうがよほど勘がきくし、映画のことを真剣に考えているといわねばならない(ちなみに、加瀬亮もあるインタビューで最近見て印象に残った映画に『やくたたず』を挙げている)。

 40歳を目前にして人生の岐路に立たされた村上演じる俳優が、過去と現在、現実と幻想のあいだを行き来する。タイトルどおり、後半で前半のパートが大胆に反復されるこの作品は、全篇モノクロで撮影されている。のみならず、デジタル撮影の作品として一度完成されながらも、35ミリ・フィルムに転換されたうえで公開されるという。フィルムが死に絶えようとしている現在、多くの物質的困難を伴うこの試みがあえてなされることの意義に考えをめぐらせていただきたい。その成果のほどは実際に劇場で確かめていただくしかないが、解像度やノイズの多寡では量ることのできない、演出そのものの印象まで左右するような画面の質がもたらされていることは保証しよう。撮影は、やはり自主映画の世界ではすでによく知られている四宮秀俊である。

 この必見の一作を11月10日から都内でスクリーンにかけるのは、またしてもオーディトリウム渋谷。公開にあわせて『nobody』と、早稲田大学文学部の学生有志が中心となって発行している『MIRAGE』という二つの同人誌が特集を組む。どれほど状況が悪く見えようとも、与えられなければ自ら動くという人々がいる限り、希望は必ずある。

藤井 仁子(ふじい・じんし)/早稲田大学文学学術院准教授(文学部)

京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学、立教大学文学部助手などを経て現職。専門は映画学、特に日本映画と現代アメリカ映画。映画評論家としても活動。
編著書に『入門・現代ハリウッド映画講義』(人文書院)、『甦る相米慎二』(共編、インスクリプト)、共訳書に『わたしは邪魔された――ニコラス・レイ映画講義録』(みすず書房)など。

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