第六部 ドーピング〈7〉
スキャンダルが対策の牙城生む
スポーツ界と各国政府が50%ずつ出資・参画する、ドーピング対策の牙城(がじょう)、世界反ドーピング機関(WADA)。会長を務めるディック・パウンド国際オリンピック委員会(IOC)委員(前副会長)は、1999年の同機関設立の直接のきっかけが、実はファン・アントニオ・サマランチIOC前会長の失言にあったと明かす。
「98年7月、自転車ツール・ド・フランスの衝撃的なドーピング事件。その真っ最中にサマランチが、スペインの新聞にこう言ったんだ。『選手の健康に害がないなら、それはドーピングではない』とね」。競技能力向上による不正は関知しないと言わんばかりの発言に、「我々は8月、緊急理事会を開いて善後策を検討する羽目になった。席上で僕が、独立した反ドーピング機関の設立が必要、と提案した」とパウンド会長は振り返る。
サマランチ失言に先立ち、二つのスキャンダルがWADA設立の伏線となった。一つは、この「ツール」事件だ。「IOCにとって最も衝撃的だったのは、選手やコーチが警察に連行されたことだった。スポーツが、刑事犯罪として裁かれる。自転車の看板大会で起こるなら、次は五輪かも、と」(パウンド会長)
IOC医事委員会のアルン・ルンクビスト委員長によると、もう一つの伏線はイタリア・ローマのIOC公認薬物検査機関のスキャンダル。サッカー選手の尿サンプルを、分析もしないで陰性と報告し続けていた事件で、薬物対策の信頼性が根底から揺らいだ。事件は、検査機関の総辞職、イタリア五輪委会長の辞任と、政府による権限肩代わりという事態を呼んだ。
この問題に詳しい英ラフブラ大のバリー・ホウリハン教授は言う。「IOCは、公権力の干渉の前に、スポーツの主導権を失う危険を察知した」。IOCが開催を呼びかけた99年2月の世界反ドーピング会議では、各国政府代表からの相次ぐIOC批判と綱引きの末、独立した反ドーピング機関設立と、スポーツ界・政府の50%ずつの参画、引き換えに同率の資金負担をすることで合意が生まれる。
あれから5年。WADAは政府からの資金回収に手こずり、反ドーピング規約の批准も手間取っている。「理想の方向に向かっているか? まだ分からない。でも、これが現在取りうる最善の方策だよ」。ルンクビスト委員長の率直な見解だ。(アテネ・結城和香子)
(2004年3月27日付 読売新聞 無断転載禁止)