大会ごとに「本物」購入
──体操ニッポン
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| アテネ五輪用のあん馬で技を磨く塚原 |
「2大会連続でメダルを逃すとは、どういうことだ」。シドニー五輪直後の2000年10月。日本体操協会常務理事会の席上、5か月後に任期が切れる会長の徳田虎雄の怒りが爆発した。副会長、専務理事、常務理事の計15人に総辞職を迫ると、人事刷新を確約させた上で、年度末で会長から退いた。
翌年春、新体制が発足した。会長と監事を除く理事会のメンバー27人のうち、その3分の1以上の10人が30、40代で、平均年齢は約52歳となった。東京五輪個人総合金メダリストの遠藤幸雄ら体操ニッポンの黄金期を築いた功労者は、一線から退いた。
新会長に就任した二木英徳ら協会幹部は、ある決断を下した。自前の体育館建設を目指し、積み立ててきた3700万円を取り崩し、選手強化費に加えた。年間5億円規模の予算しか持たない協会にとって、その金額は“虎の子”だった。
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2002年、体操ニッポン復活プロジェクトとなるアテネ五輪サポート委員会がスタートした。最初の目標は、アテネ五輪の出場権がかかる翌年の世界選手権だった。
委員会のメンバーは、全日本チーム入りした選手の指導者、協会の財務担当者ら8人。その1人で、冨田洋之(セントラルスポーツ)のコーチ、加納実が「本番の器具に事前に慣れておくことが大切だ」と、提案した。
器具は規格が統一されているが、メーカーによってクセはある。例えば、鉄棒。国内大会で使われる日本製の鉄棒のバーは鉄製で、360度の方向にたわむ。ところが、世界選手権の米国製はステンレス製で、上下にしかたわまない。アテネ五輪のオランダ製は鉄製だが、そのたわみ方はやはり上下だ。
世界選手権で使用される米国製が、そろえられた。その費用は約1000万円。合宿所となる東京・北区の国立スポーツ科学センターに、本番と同じ平行棒、ゆか、あん馬、鉄棒が並んだ。
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世界選手権は、体操ニッポン復活への第一歩となった。3位となった団体戦は4大会ぶりのメダル獲得。冨田は個人総合銅メダル、鹿島丈博(セントラルスポーツ)が種目別のあん馬、鉄棒で2個の金メダル。鹿島の種目別2冠は、日本選手として29年ぶりの快挙だった。
「すべてをなげうってでも、今回は絶対にメダルを取るという意気込みだ。選手も育ってきたので、資金を集中投下すれば、必ずいい結果が出るという確信はある」。専務理事の滝沢康二は言い切った。
合宿所の器具は5月中旬、約500万円をかけて取り換えられた。世界選手権用からアテネ五輪用に。(敬称略)
(2004年7月18日付 読売新聞 無断転載禁止)