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聖火は燃える アテネへの道

(4)1992年バルセロナ大会 火の矢 心つなぐ懸け橋

 6万5000の大観衆が息をのんだ。1992年7月25日午後10時40分、照明灯が消え、バルセロナ五輪メーンスタジアムが闇に包まれた。開会式のクライマックス、聖火台点火の瞬間が近づいていた。最終走者のトーチから、聖火はアーチェリー射手のアントニオ・レボージョさん(48)が持つ1本の矢に移された。アーチェリーの弦を引き絞り、はるかかなたの聖火台へ向けてこん身の一射を繰り出した。火矢が聖火台の上空を通過した瞬間、オレンジ色の炎が燃え上がり、五輪開幕が高らかに告げられた。

 五輪史上最も劇的といわれる聖火台点火を演出したレボージョさんが、大役を言い渡されたのは開会式のわずか2時間前。「1年前から候補が絞り込まれ、最後は2人になった。もう1人は地元カタルーニャ地方の出身で、てっきり彼がやるものだと思っていた」とレボージョさんは振り返った。

 ガスが噴出する聖火台に点火するには、67メートル先に見上げる聖火台上空、縦2メートル、横1メートルの“的”を撃ち抜かなければならなかった。使う弓の強さ(弦を引く際の負荷)は、試合用(約50ポンド)の1・4倍にあたる70ポンド。限界を超えた力と技の融合の末、しかも失敗が許されない一射だった。

 前夜の最終リハーサルが決め手だった。レボージョさんが10射中9射を成功させたのに対し、別の候補は6射が失敗だった。

◇   ◇

 レボージョさんは生後8か月で小児まひを患い、成人後も左足が右足より数センチ短いというハンデを抱えるパラリンピック選手だった。84年ロサンゼルス大会で銀、88年ソウル大会で銅メダルを獲得。パラリンピック選手として初めて五輪の聖火台に点火したレボージョさんは、「五輪の舞台で、僕がパラリンピックの象徴的存在になれたのならうれしい」と感慨深げに話した。

 86年から90年にかけては健常者と一緒のスペイン代表チームに選ばれながら、ソウル五輪には出場できなかった。「当時は障害者を五輪に出すべきではないという偏見があったのも事実。パラリンピックの国際的な認知度も低かった」と強調する。

 しかし、バルセロナ大会で82だったパラリンピック参加国・地域数は、今夏のアテネ大会では史上最多の143になる見込み。夏季大会では初めて、同じ組織委員会が五輪とパラリンピックの両方を運営する。国際オリンピック委員会(IOC)と国際パラリンピック委員会(IPC)は一昨年、2012年以降の五輪招致都市にパラリンピック開催を義務付けるという内容の合意書を交わしている。

 「自己への挑戦という崇高な精神の前に、五輪、パラリンピックという区別は大きな意味を持たない」。レボージョさんが放った火矢のアーチは、スポーツを愛するすべての人々の心をつなぐ懸け橋でもあった。(津崎 勝利)



 (2004年1月28日付 読売新聞 無断転載禁止)

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