コダック、業態転換失敗フィルム以外、収益源見いだせず米写真用品大手のイーストマン・コダックの経営破綻は、世界市場で圧倒的な存在感を誇った企業が、主力事業から転換することの難しさを示した。(戸田雄) コダックとともに世界の3大フィルムメーカーを構成した富士写真フイルム(現・富士フイルムホールディングス)とコニカ(現・コニカミノルタホールディングス)が事業の多角化で成功したのとは対照的だ。 1880年に創業したコダックは、「あなたはシャッターを押すだけ。あとはお任せ下さい」との宣伝文句であらかじめフィルムを 1935年には、一般向けカラーフィルム「コダクローム」を発売するなど、フィルム市場でも長く首位を走った。黄色い箱と赤いロゴは、世界中のカメラ愛好家に支持された。 ポケットカメラ用の小型フィルム「110」や新写真システム(APS)などの新規格を提唱したほか、世界初のデジタルカメラを開発したのもコダックだった。 だが、ライバル2社が本拠とする日本市場では苦戦が続いた。90年代半ば、米国は日本のフィルム・印画紙市場は閉鎖的で輸入を妨げているとして世界貿易機関(WTO)に提訴したが、「日米フィルム紛争」は日本側の全面勝利に終わった。 世界的な名門企業はなぜつまずいたのか。関係者は、デジタル化への対応の遅れと、フィルム事業にこだわり過ぎたことを挙げる。富士写真フイルムが写真店など向けにデジカメで撮影した写真を印刷するプリンターをいち早く開発したが、コダックは自社の機械を持たなかった。90年代には、化学部門などフィルム以外の事業を次々と切り離し、将来の成長の芽を摘んだ。 2000年代にフィルム市場が縮小した際、ライバルだった富士写真フイルムやコニカが液晶用の光学フィルムやヘルスケア関連事業など新たな収益源を見いだしたのに対し、コダックは新たな成長分野を作れなかった。 コダックの経営破綻について、富士フイルムHDの古森重隆社長は「コアビジネスを失った時に、それを乗り越えることに成功した会社と乗り越えられなかった会社があることを示している」とコメントした。SMBC日興証券の三浦和晴シニアアナリストは、「複数の事業を抱える日本の会社は利益を出しにくい一方、業態転換はしやすい。日本型経営と米国型経営の光と影が出た」と指摘している。 (2012年1月20日 読売新聞)
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