現場感覚 異動で磨く清水正孝(しみずまさたか) 65歳 東京電力社長<公益性のある仕事をしたいと就職を決めた。入社後は異動を繰り返した> 池袋支社を手始めに、4年間、東京、千葉、栃木と営業の現場を回りました。検針や集金、工事の手配といった仕事です。その後、横浜の火力発電所に配属になった時には3交代勤務も経験しました。発電所などを抱え巨大な設備産業のイメージが強いのですが、地道な仕事で会社が成り立っていると肌で感じることができました。 福島第二原子力発電所に総務担当として赴任したのは、1号機の運転が始まり、2号機の運転を控えた時期。地元との信頼関係を築くのが何より大事でした。一緒になって町の問題に取り組みました。町内会館の活用方法を考えたり、東電関連の工事車両で渋滞が起きた時には、関連企業と相談して車両の利用に時差をつけたりもしました。 <43歳で電機大手などと共同出資で設立したケーブルテレビ会社に出向した> 情報や通信といった仕事にそれまで全くかかわったことがなかったので、異動を言い渡された時には、「なんで自分が」とちぐはぐな感じを覚えました。出向先には、いろいろな企業から人が集まっていて、仕事をしながらカルチャーショックの連続でした。 まず痛感したのが、自分たちのコスト意識の甘さです。東電の場合、当時は電気を起こす費用に利潤を乗せて料金を設定していたので、コストのことはあまり考えないで済む面がありました。 ところが、あるメーカーから出向してきた同僚が持っていた紙には、製品別のコストと営業経費をいくらかけていいのかが一覧表になっていました。常にコストを頭にたたきこんで仕事をしているわけです。「これがビジネスか」と鮮明に覚えています。 外から見た東電出向中に東電を外から見て感じる点がありました。同僚が東電本社にある案件を持ち込んだところ、東電の支店との間でたらい回しにされ、嫌な思いをしたそうです。組織が縦割りで世の中のことがわかっていない。まさに大企業病ではないかと。「こんなことではだめだ」と思いましたが、実は私もその大企業の中に何年もどっぷりつかっていたのです。出向先では毎日のように肩身の狭い思いをしましたが、いい経験をさせてもらいました。 <1995年に電力自由化が始まりコスト削減が急務となる中、資材部長に就いた> 発注先の企業に値引きを迫るのではなく、モノの買い方を改めることに力を入れました。例えば、当時、東電の制服は、発電や配電など部門ごとに200種類以上ありました。これを同じ仕様にして、素材も中国から持ってくるようにしたら、10億円だった調達費が7億円ほどになったのです。 とはいえ、発注量が減れば、東電向けの仕事が中心の会社の中には経営が苦しいところが出てきます。取引先が倒産すると、資材の調達や保守作業などに支障が出るので、他人ごとではありません。取引先企業が経営の見通しを立てやすいよう、5年、10年先の設備投資の計画を示すなど協力しました。それでも資金繰りが苦しい会社とは、一緒になって金融機関を回ったこともありました。 私ほど社内で色々な仕事を経験した人間は珍しいかもしれません。社員には常に現場を見て考えることが大事だと言っていますし、私もこれまで培った現場感覚を大事にしたいと考えています。 (聞き手 二階堂祥生) 《こんな会社》首都圏を中心に電気を供給する日本最大の電力会社。2008年度の販売電力量は約2900億キロ・ワット時。柏崎刈羽(新潟県)、福島第一、第二(福島県)の原子力発電所や、火力、水力など190か所の発電設備を持つ。従業員数は3万8030人。 (2009年10月22日 読売新聞)
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