ニュース 速報 YOMIURI ONLINE(読売新聞)
本文です

(14)小異を捨て、いざ「大同合併」

写真
超高速通信が可能な「第3世代」携帯電話を手にする仲間由紀恵(右)と妻夫木聡(昨年10月の発表会で)

 ドル安を容認した1985年のプラザ合意で、急激な円高が進みました。輸出依存度が高い京セラは大打撃を受け、コスト削減に大変な努力を払いました。

 バブルの時代を迎えると、不動産や株式への投資がもてはやされました。「額に汗して得たものしか、利益ではない」と信じていたので、財テクで利益を上げる企業があっても、うらやましいとは考えませんでした。振り返れば、バブルは欲まみれの人間が生んだ幻影だったと思います。

 《88年4月発表の地価公示では、東京・銀座の1等地が坪当たり1億円を上回った。この高騰で日本の地価総額は米国の2倍を超えた。三菱地所がニューヨークのロックフェラーセンターを、松下電器が映画・音楽業界大手のMCAを買収し、話題を呼んだ》

 バブルの時代でも、本業に徹したのは幸いでした。後に「失われた10年」と言われた90年代、わが社の売上高は連結ベースで3倍に増え、携帯電話も大きく伸びました。

 事業の地域割りから、需要の大きな首都圏と中部圏については、トヨタ自動車が株主となっている日本移動通信(IDO)に譲りました。我々のセルラーグループは電力会社が出資し、緒戦は善戦しました。

 しかし、独占企業の電力会社とベンチャーの我々とは社風が全く違う。じり貧になり、電力会社から株式を引き取りました。NTTとの差は広がる一方で、IDOもうまくいっていませんでした。

 このままでは日本の電気通信事業は正しい発展ができない。第二電電の奥山雄材社長に「何としても、大同合併しないといかんよ」と話しました。KDDも国際通信では苦境に陥っていくだろうとみて、声を掛けることにしました。

 トヨタさんには相手にしてもらえず、KDDとの交渉も1度は頓挫しました。それでも、最終的には「小異を捨てて大同につく」ことで説得でき、99年暮れ、「3社は翌年10月に合併する」と発表しました。

 そのKDDIでは、第二電電を経営の主体と認めていただき、奥山社長が初代、次の小野寺正社長も第二電電出身です。トップのたすき掛け人事では、うまくいかないからです。

 《携帯電話の3月末の累計契約数は8152万台に上り、95年度の8倍に増えた。伸び率は鈍化しているが、高性能の「第3世代」携帯電話への買い替えが進んでいる》

 合併後は「au」ブランドで展開し、第3世代はNTTドコモを引き離しています。私は「ケータイ時代」を築いた1人と自負しています。(敬称略)

前のページへ
次のページへ

(2004年4月28日  読売新聞  無断転載禁止)