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「2×2=4(ににんがし)は、死の始まり」。ドストエフスキーは、ある作品でこう書き残しています。不条理な行動を取ったり、自意識が肥大化し精神を病んだり。方程式で割り切れない人物が数多く登場することが、彼の作品の魅力です。膨大な作品群は、死後120年以上たつ現在も、人間とは何なのか私たちに問い続けます。 ドストエフスキーは就職後、わずか1年で職を捨て、小説家を目指します。幸運にも24歳のとき、都会の薄汚いアパートに住む初老の小役人と薄幸の少女のむくわれぬ恋を描いた書簡体小説『貧しき人びと』(新潮文庫)が文壇で評価され、デビューを果たしました。その後、『白夜』(角川文庫)や『二重人格』(岩波文庫)など次々と短編を発表します。 幻想的で叙情的な味わいのある初期短編は、ファンなら見逃せません。『貧しき人々』には東京都杉並区の会社員吉野俊彦さん(41)から「中年男ならではのペーソスをコミカルに描き共感できる」。『白夜』には東京都八王子市の大学生中岡未佳さん(19)から「ロマンチックで読みやすい」と、支持の声が上がりました。 ◇
その後、彼は人生を大きく左右する事件に遭遇します。社会主義サークルにかかわって逮捕され、28―38歳の人生で一番華やかな時期を流刑されたシベリアで過ごしました。牢獄(ろうごく)での体験が投影された『死の家の記録』(新潮文庫)は、広島市の会社員内悧さん(60)が強く薦めてくれました。 獄内で酒屋を営む凶悪犯、姑息(こそく)な密告を続ける貴族。狭い寝板で30人ほどの男が寝起きする過酷な監獄生活は、身分のないカーニバル的な日々でもありました。その経験は、5大長編『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』の登場人物たちに生の息吹を吹き込み、善悪が混然一体となった世界を生み出しました。 ペテルブルクに戻った後、45歳で執筆した『罪と罰』(同)には、最も多い投稿がありました。「人間は『凡人』と『非凡人』に分けられる」と妄信する大学生ラスコーリニコフが、自分の信念から高利貸しの老女を殺害する姿に、京都市の高校生桑垣愛夕さん(18)は「最初は主人公の殺人肯定論に感動したけど、読み進むうち『どんな理由であれ殺人は許されない』と学びました」と語ります。 殺人を犯した後、ラスコーリニコフは良心の呵責(かしゃく)から娼婦(しょうふ)のソーニャに罪を打ち明けずにいられません。札幌市の主婦下村尚子さん(52)は「主人公と罪を背負っている気になり、涙が止まりませんでした」。北九州市の無職飯塚美香さん(38)は「自分の殻に閉じこもり続けた1人の男が、他人との心の触れ合いを通して劇的に変わった姿が印象に残りました」 ◇
ほかの長編にも、熱心な読者の感想が寄せられました。老獪(ろうかい)な田舎地主の父親殺害をめぐって、清と濁、陰と陽、性格が相反する3兄弟の愛憎がぶつかり合う『カラマーゾフの兄弟』(同)に、鳥取県米子市の大学職員吉野三也さん(37)は「簡単に語り尽くせない重層的な世界にひかれました」。 キリストのように純真無垢(むく)な侯爵、激情を内に秘める資産家の息子、悲惨な境遇に暮らす美貌(びぼう)の女性――。狂気の境をさまよう三角関係と壮絶な結末が胸に焼きつく『白痴』(同)は、福島県保原町の主婦菊田陽子さん(50)が「高校生の時に読み、心の奥底に今も沈んでいる」と言います。 記者のお薦めは『地下室の手記』(同)です。冒頭の言葉は、この作品から引用しました。極端な自意識過剰から20年も地下に閉じこもって妄想を続ける40歳の男は、非合理こそ人間の本質だと訴え続けます。 20歳で初めて触れた時は、とんでもない人間だと思ったのに、就職や結婚を経て10年ぶりに読み返すと、なぜか男の駄目な姿や辻褄(つじつま)の合わない主張に癒やされました。ドストエフスキーの作品は、自分の置かれた状況や年齢に応じて万華鏡のように印象を変えます。まさに文学です。(待田 晋哉) ◇
中村 文則 あまりにも 大きな存在ドストエフスキーを知ったのは大学1年の時、『地下室の手記』を読んだことが始まりだった。夢中になって読み終えた後、その熱が冷めないまま本屋に行き、彼の他の作品を大量に買い集めた。時々食事を取る以外、ひたすら小説を読むような日々が続いた。これほど何かに熱中したことは、それまでなかった。大学に顔を出さず、本ばかり読んで付き合いも悪くなった為に「病気になったんじゃないか」という噂(うわさ)まで友人の間で流れた。しかし、ある意味でそれは的を射ていたのかもしれない。 僕を夢中にさせたのは、扱うテーマのスケールの大きさと、事柄を徹底的に掘り下げていく、その分析の深さだった。スリリングな物語の展開は、やがて読者を、人間の心理の奥深く、そして世界の成り立ちそのものを垣間見るような感動へと導く。100年以上経つが古さはなく、「現代の予言書」とまで呼ばれたように、今日の日本、そして世界にとって無関係と言えない事例がずらりと並ぶ。それは彼の文学が当時のロシア情勢の中で生まれたものであると同時に、普遍性も兼ねそなえていることの証明といえる。 「堅い」「難しそう」と思う人もいるかもしれないが、そういうイメージに囚(とら)われるのはもったいない。ページをめくれば、普段中々味わうことのできない世界が広がっている。創作において、という意味だけでなく、僕という人間にとって、ドストエフスキーの存在はあまりにも大きい。(作家。昨年、『遮光』で野間文芸新人賞を受賞) ◇
ドストエフスキー 1821―81。父はモスクワの慈善病院の医師。シベリア流刑から戻った後は賭博(とばく)に狂い、借金と締め切りに追われながら原稿を書き続けたのも有名だ。42歳で最初の妻と死別した後、原稿料を前借りした悪徳編集者にだまされかけながら執筆した『賭博者』(新潮文庫)で速記を務め、危機を救う手助けをした女性と45歳で再婚。大作を執筆し続けた。 (2005年3月1日 読売新聞) |
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