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戦前の女流探偵小説家で、実は男性だった久山秀子という人がいる。本人が徹底して若い女性を装ったため、経歴はおろか本名、生没年さえさだかでない。そんな逸話を昨秋、〈幻の探偵小説、復刻相次ぐ〉という記事で紹介したところ、歌人の清水房雄さん(89)から「昔、お世話になった先輩です」と連絡を頂いた。
久山は1925年、雑誌『新青年』でデビュー。おきゃんな女スリ隼(はやぶさ)が浅草を舞台に大活躍するユーモアミステリー・シリーズで人気を博し、映画にもなった。37年以降、いったん筆を断つ。
「作家仲間には男性と知られていたようだが、著者近影にも女性の写真を使う念の入れようだった」と、戦前の雑誌をひもとき、このほど『久山秀子探偵小説選 1、2』(論創社)を編んだミステリー研究家、横井司さん(42)は言う。
清水さんによると久山、本名・芳村襄(のぼる)は、戦中の1942―44年、茨城県の土浦海軍航空隊で予科練教官を務めていたころの上司だったという。東大国文出身の中佐待遇文官で、当時50代。国語を教えていた。
東京の下町、下谷生まれ。恋女房は長唄の師匠で婿養子に入った。くだけた一面もあったが、生家がもと武家だったせいか、「優しい物腰ながら、いざとなるとサムライの顔になる」。教育内容を巡って文官と武官が衝突した際など、一歩もひかなかったという。
探偵作家の顔は、親しい数人しか知らなかった。戦後、教官仲間の消息を探したが、芳村教官については44年、鹿児島海軍航空隊に赴任後、鹿児島ラ・サール学園の創設(50年)に関係したという風の便り以外、わからないという。
同学園に問い合わせたところ、戦後長く教壇に立った元校長、大友成彦さん(80)=ラ・サール会修道士=を紹介された。「創設当時、確かに芳村さんという海軍出身の国語教諭がおられた」とのこと。プライベートな話はしなかったそうだが、容貌(ようぼう)、人となりが清水さんの話と合致する。
久山は55年、再び捕物帳風の短編数編を発表している。教職の傍ら書かれたものか。関係者の証言で、戦後60年を経てその一端が明らかになった作家の消息。「笑顔の陰に何枚もの仮面を持つ人だった」(清水さん)とは、いかにも覆面作家の人物評にふさわしい。(西田 朋子記者)
(2005年1月11日 読売新聞)
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