熟年世代生々しく
米エドガー賞ノミネートなどこの数年、活躍の目覚ましい作家、桐野夏生さんが新作『魂萌(たまも)え!』(毎日新聞社)を出版した。「グロテスク期は終わった」と言い切る大胆な路線転換で、熟年世代の第二の青春に迫ったのはなぜなのか。(佐藤憲一記者)
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従来の桐野作品の読者は新たな物語に驚きを禁じえないだろう。キャリア女性が売春で破滅する『グロテスク』や、少女監禁事件を扱った『残虐記』など扇情的な近作から一変、還暦前後の主婦がだれでも経験しうる人生のさざ波を淡々と描きこんでいる。
「社会との齟齬(そご)が生み出す女性の怪物を描いてきた反動か、小さな日常への共感を積み重ねたくなった。刺激的な作風に飽きた面もありますね」
定年を迎えた夫と静かな老後を送るはずだった59歳の主婦、敏子。その平穏な日常は伴侶の突然死によって激変する。一人で生きていく不安と悲しみを癒やす暇もなく知った夫の裏切り。遺産をめぐる息子との確執にも悩んだ敏子は、プチ家出を試みる――。
主な登場人物は60歳前後の熟年。この世代への関心には、64歳で寡婦となり約10年間独りで暮らした亡き母親への思いがあるという。
「寂しい日々を送っていると思っていた母に、幸せだと打ち明けられ驚いたことがある。この世代に案外、豊かなものがあるのではと疑問を持ち続けてきた」
前半にある「人生劇場」という章題は、この作品を象徴するものだ。家庭内のことしか知らなかったウブな敏子は、欺瞞(ぎまん)に満ちた世間の荒海に投げ出され、カプセルホテルに住みつく老女など雑多な人生の裏面を垣間見ていく。
同時に、同級生や夫の友人たちを通して、恋の駆け引きやみえを捨てきれない熟年世代の生々しい群像が浮き彫りになる。ソバ打ちや歌手の追っ掛けなど、「中高年にはやっている事象を取材し盛り込んだ」描写はリアルで引き込まれる。
「年をとれば悟りを得ると言うけれど本当か。激しい恋愛感情を抱いたり、わがままになることもある。体は衰えても、逆に心は荒ぶるものだと思う」と語る。
夫の不倫に傷つき、家族の崩壊に苦悩しながら、敏子は徐々に変わり始める。〈今まで思ってもみなかった感情や思いを育ててみよう〉〈違う自分になる方がいい〉――と。
「孤独の裏腹に自由があると気づいたときに敏子は初めて解放されていく」。自らの燃える魂に目覚め、嵐に立ち向かう姿は、未曽有の高齢化社会を迎えつつある人々への、一つのヒントになるはずだ。
近くこの作品の続編を発表するが、その後はニートや国家をテーマにした作品など新展開を温めている。
「小説の禁じ手や自分の型を破ろうと常に考えている。自分が60代になったら何を書いているか、楽しみですね」。53歳。自らを「白蛇教」の信者にたとえる作家は、読者の予想の枠をするりと抜け出し、変わり続ける。
(2005年5月24日 読売新聞)
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