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繊細な心の揺らぎを、慈しみに満ちた世界観で包み込むファンタジー小説で、ファンの多い梨木香歩さん(46)。その新刊『沼地のある森を抜けて』(新潮社)は、声をあげてうめく不思議なぬか床を起点に、生命の連なりを支えるきずなとは、生殖の根源とは何かに迫る長編小説だ。4年をかけて物語を醸成させたという梨木さんに聞いた。(西田朋子記者)
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やさしいけれど硬質な文章で、生命の美しさを紡ぐ梨木作品
企業の研究所で働く久美は、急死した叔母から、先祖伝来のぬか床を受け継いだ。ある日、つぼの底に二つの卵が出現、一つは少年に、一つは中年女性に姿を変えた。この怪現象が自分の両親の死にも関係していたと知った久美は、科学的に真相を調べようとする……。
「自宅のぬか床に唐辛子を入れたりビールを足したりして菌を育てるうちに『この中のミクロの世界で、何が起こっているんだろう』と不思議に思ったのがきっかけです」
自然科学に真正面から取り組んだのは、初めての経験という。秋田・白神山地の原生林に住まう酵母菌や乳酸菌を集め、発酵食品作りに役立てている研究者を訪ね、微生物の世界への理解を深めた。細胞の仕組みや発酵、無性生殖、さらには生命現象、進化へと思索の幅は広がった。
昨年刊行された3作品、明治の知識人と自然の「気」の交流を描いた幻想小説『家守綺譚』、エッセー集『ぐるりのこと』(いずれも新潮社)、一世紀前の日本人留学生のトルコ滞在記『村田エフェンディ滞土録』(角川書店)にも、壮大な生命観は底流する。
「作者のイメージにとらわれず、自由な発想で読んでほしい」とインタビューや写真をほとんど公開してこなかったが、「今のぎりぎりまで書き尽くした今回は特別です」。
小学生にしてドストエフスキーに耽溺(たんでき)したが、高校時代は「文学では、自分の求めるものの核心は得られない」との思いにとらわれたという。シュタイナー教育を学ぶため英国留学した下宿先の女主人が児童文学者だった縁で、やはり物語を書き始めた。
『西の魔女が死んだ』(新潮文庫)で94年デビュー、『裏庭』(同)で児童文学ファンタジー大賞を受けた。「この不思議な世の中と、私は1個の生命体として、どうかかわっていけばいいのか。今は物語という形態で表現できるものの深さにひかれています」
科学技術と生命倫理のせめぎ合いがかつてなく顕在化する今の時代、「私たち一人一人が本能を大事にし、かつそれを疑いながら、自分で物事を考える道筋を見つけていかなければ。私にとっては、言葉をいつも使える状態に研ぎ澄ませておくことが、その最も有効な手段なのです」と、小説を書く動機を明かす。
ミステリアスな「沼地―」で後半、ぬか床を返すべく曽祖父母の故郷の島を訪ねた久美は、先祖の秘密を知り、同時にぬか床がはらんでいた真の意味――変容してやまない生物の根源、太古の昔たったひとつ生まれた生命の夢――に触れる体験をする。
「有性生殖の本当の意味を掘り下げることは、暴力によらない新たな精神文化の可能性の考察にもなりえるのではないでしょうか。自分が今この場にある不思議を深い感覚をもってとらえる契機に、してもらえたらうれしい」
目に見えない世界で繰り広げられる営みに気づき、形を変えても伝わっていく何かを思うと、豊かな気持ちに満たされる。「もっと続きを」と頼んでみたが、「何しろぬか床が母胎ですから。どんな発酵をとげるかわからなくて」。にっこり笑ってかわされた。
(2005年9月7日 読売新聞)
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