成長つづける若者に興味
女性の観点 より深く
村上春樹氏の新作『1Q84』は、「400字詰め原稿用紙に換算すると、1984枚」(新潮社出版部)にのぼる重厚な長編。登場人物、ストーリーは、どのように出来上がったのだろう。(尾崎真理子)
交互に配す展開
――スポーツクラブに勤める独身女性「青豆(あおまめ)」と、小説家志望の予備校教師「天吾」。二人を主人公にした話が1、2巻それぞれ24章ずつ交互に進む。一方、ストーリー展開はヤナーチェックの「シンフォニエッタ」のようにきわめて独創的だ。
村上(以下M) バッハの平均律クラビーア曲集のフォーマットに則(のっと)って、長調と短調、青豆と天吾の話を交互に書こう、と決めていた。その前にまず名前が必要だったが、ある時「あ、青豆いいな」とひらめいた。居酒屋のメニューにあった「青豆とうふ」から連想して。天吾という名前も一緒にぽっと出てきて、「あ、これでもう小説はできたな」。2年間書き続ける間、完成への確信は一度も揺らがなかった。
10歳で出会って離れ離れになった30歳の男女が、互いを探し求める話にしよう、そんな単純な話をできるだけ長く複雑にしてやろうと。2006年秋、ハワイに滞在中に書き始めた時点で頭にあったのはそれだけ。僕の場合は筋書きを考えるとうまくいかない。こういうことが起こりそうだという、小さなポイントみたいなイメージは浮かぶが、あとは成り行きまかせ。筋のわかっている話を2年もかけて書きたくない。
年齢と作品
――長編初の三人称の語り。しかし「僕」の語りに近い、村上作品独特の親密さは保たれ、若者たちは傷つきやすく、美しい。30年間書き続けられてなお、村上作品は青春の文学だと再認識した。
M 作家はふつう、年を取ればその年代をうまく書く。読者も作家と共に年を重ねる。でも、僕は現在を生きて成長しつづけている若い人に、より興味がある。今の20代と付き合いもないし、ケータイ小説やアニメ作品はほとんど知らない。けれど、アクチュアルな物語を書くというのはそういうのとはあまり関係のないことだと思う。
30歳の頃は30歳の自分のことしかうまく書けなかったが、『海辺のカフカ』では15歳の少年を、『アフターダーク』では19歳の女の子を自分のこととして書けた。今回は10歳の青豆の気持ちから話を始めてみたかった。とくに今回の作品では、女性の感じ方や考え方をより突っ込んで書いてみたかった。
長い期間、毎日書いていると、作中人物と一緒に暮らしてるみたいになって、「そうか、こういう人だったんだ」とわかってくる。何度も書き直して造形を調整していく。描写の言葉一つ、一行の文章の差し替えで、人物が立ち上がることもある。
暴力と性
――天吾を魅了していく、カルト教団を脱走した少女「ふかえり」。彼女も青豆も、性的には大胆な一面を持つ。幼女レイプや家庭内暴力の挿話は、今日的な問題でもある。
M 『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』には出てこなかった暴力と性が、作品を重ねるにつれて僕にとって大事な問題になってきている。この二つは人の魂の奥に迫るための大事な扉と言っていい。『ねじまき鳥クロニクル』では人間の皮を剥いだり、『海辺のカフカ』では猫の首をはねたり。そこまで残酷な描写は今回ないが、セクシャルな場面はかなり出てくる。嫌がる人もいるかもしれないが、物語にとっては必要なことだ。
――2巻は9月で終わる。続編を期待する声も上がるが。
M どうなんだろう。この後どうするかということは、ゆっくり考えて行きたい。
村上春樹氏の主な小説作品 『風の歌を聴け』(1979年) 『1973年のピンボール』(80年) 『羊をめぐる冒険』(82年) 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(85年) 『ノルウェイの森』(87年) 『ダンス・ダンス・ダンス』(88年) 『国境の南、太陽の西』(92年) 『ねじまき鳥クロニクル』(94、95年) 『スプートニクの恋人』(99年) 『神の子どもたちはみな踊る』(2000年) 『海辺のカフカ』(02年) 『アフターダーク』(04年)
| シンフォニエッタ |
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| モラビア(チェコ東部)出身の作曲家レオシュ・ヤナーチェック(1854〜1928年)が1926年に完成させた管弦楽作品。民俗音楽の影響を受けた特異な旋律が特徴。長編の冒頭、「青豆」がタクシーの中でこの曲を聴く。 |
(2009年6月17日 読売新聞)
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