2つの「言語」交流させた
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首都高、タクシー、非常階段。「1Q84」の世界は、ここから始まる(東京都内で)=吉川綾美撮影
小説 より力強く立体的に
『風の歌を聴け』で村上春樹氏が群像新人文学賞を受賞したのは1979年6月。30年間のうちに、作家と時代はどう変化したか。(尾崎真理子)
米小説と「距離」
――1000ページもの長編は強靱な文体がなければ成立しない。チャンドラーの文章を「緻密な仮説ディテイルの注意深い集積」と村上さんは評されたが、『1Q84』の文章もまさにそうだ。
村上(以下M) 7年前の『海辺のカフカ』以降、古典の新訳を次々とこなした。チャンドラーの『ロング・グッドバイ』、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、それから『ティファニーで朝食を』『グレート・ギャツビー』……どれも素晴らしい英語の文章。それをどのように日本語に移していくか、翻訳家として責務を負える力がついたと判断してとりかかり、何とか乗り越えた。その代わり、同時代のアメリカ小説から遠ざかることになった。よそから新しい何かを学ぶというより、自分で考えてやっていくしかないということなのだろう。
『ノルウェイの森』でリアリズムの小説に一度挑戦し、あれで楽になった。『アンダーグラウンド』で徹底的に人の話を聞いて文章にしたのも、『シドニー!』で連日、オリンピックを見て30〜40枚書いたのもいい修業になった。書きたいのに技術的に書けない、というものはずいぶん少なくなってきたと思う。
独創は途絶えぬ
――ビジュアルな表現が優勢になった現在、言葉の力で新たな表現を開拓するのは、以前に増して困難ではないのか。
M 一作ごとに僕なりの新しい言語システムを開発してきた。今回三人称で書いたのも、この大きい小説で新しい表現方法を試したかったから。結果として世界が広がったと感じるし、それは嬉しかった。
言語とは、誰が読んでも論理的でコミュニケート可能な「客観的言語」と、言語で説明のつかない「私的言語」とによって成立していると、ウィトゲンシュタインが定義している。私的言語の領域に両足をつけ、そこからメッセージを取り出し、物語にしていくのが小説家だと考えてきた。でもある時、私的言語を客観的言語とうまく交流させることで、小説の言葉はより強い力を持ち、物語は立体的になると気がついた。プロ野球のセ・パ交流戦のように(笑)。
――読者の側も言語能力を養うのは難しい時代だ。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)の計算士。彼の住んでいたあの閉じられた不自由な世界は、現在の社会を予見していたと思う。
M コンピューターの発展は新たな階級社会を生み出そうとしている。便利だが、その背後でプログラミングする大勢の知的労働者が必要。そういう専門化の中で健全な創造性が囲い込みを受け、世界がオーウェルの描いた『1984』化していく恐れがある。
インターネットが発展して共通言語としての英語なしではやっていけないが、一方で様々な国が文化的特異性を発信するシステムも必要とされるだろう。どんな時代でも、コアな知的仕事をする人が全体の5%は必ずいて、どれだけコピーやペーストが横行しても、芸術的な関心やオリジナルなスタイルも途絶えることはないと信じているが。
自由さ追求する
――世界的な経済恐慌以来、アメリカ文化の威信も揺らぐ。
M 僕はアメリカの新聞や雑誌に非常に敬意を持っていたが、イラク戦争以降、極端な論調に揺れ動き、あの国のメディアは急速に力を落としている。出版社も元気がない。これからはアメリカとヨーロッパ、東アジア間の差が縮まり、文化的なやりとりは一層さかんになるし、より等価的になると思う。『ノルウェイの森』を今度映画化するのはトラン・アン・ユン監督。ベトナム出身でフランスに拠点を置く彼だからこそ撮れるという面もあるだろう。アジア発信の映画になればと期待する。
――世界中に村上さんの読者はすでに大勢いる。日本や日本人をどう意識しているか。
M 日本人というくくり方をするより、この日本という場所に住んでいる人々が、どう生きていくのが一番いいだろうと考えている。日本人論みたいなことはあまり好きではない。日本語ひとつとっても、まだまだそこには新しい可能性が秘められている。ひとつに決めつけるよりは、自由さを追求したい。
海外メディアの取材にわりと応じるのも、日本で育ち、日本語で生きてきた特殊性を超えて、僕が日本から発信できるメッセージが必ずあると思うから。そこからまた、新しい創造の可能性が生まれるのではないかと考えている。
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表情に30年の充実感 ◎取材を終えて
正式なインタビューは『ねじまき鳥クロニクル』が読売文学賞を受賞した1996年以来。それでも「お久しぶりです」と気さくに迎えられ、冒頭からオウム裁判、9.11、ネット社会……ためらうことなく話は進んだ。
林泰男死刑囚に深く関心を寄せ、半日に及ぶ審理でもずっとメモをとっていた。法廷で事件の詳細を見届けた上で、死刑囚の心境を想像し続けたという。作家が自ら歩み出て引き受けたその苦役が、この美しい、長い物語に結晶した――そう考えると、あらためて「小説」の不思議さを思う。
一方で、この作品の軽やかで多彩な面白さがいかに自然に湧(わ)いてきたか。的確な文章にするため、表現の技術をどんなふうに鍛えたか。30年を振り返って語る表情は充実していた。
どんな質問にも、率直な答えが必ず戻ってきた。日焼けしてラフな普段着なのにすっかり風格を増した、世界中に愛される作家、村上春樹がそこにいた。
(2009年6月18日 読売新聞)
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