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生まれ育った日本橋への熱い思いを一冊の本にまとめた白石孝・慶大名誉教授
日本橋堀留町の織物問屋に生まれた慶応義塾大学名誉教授の白石孝さんが、その街並みと人情をつづった「読んで歩いて日本橋 街と人のドラマ」を出版した。慶大商学部長、日本経済学会連合理事長を歴任した白石さんが、専門の国際経済学を離れ、日本橋の商業史の研究をライフワークにして数年。古里への愛情を本にした。表通りにはチンチン電車が走り、路地に入ると格子戸に三味線の音。そんな懐かしい風情が目に浮かぶ一冊だ。
白石さんは今年米寿。それを記念し、数年前から月刊のタウン誌「日本橋」に執筆してきた内容をまとめた。幼い頃、祖母にかわいがられた、いわゆるおばあさん子だった。ひざの上にのせて童話を読んでくれた祖母。怖い話などで泣きべそをかくと、「男の子は泣くなら部屋の真ん中で大声でお泣き」。そして、お定まりの文句が「なにをしているんだい。しっかりおしよ」だった。
一家は関東大震災の数年後、麻布に引っ越すが、祖母は「お屋敷町はいやだね」とこぼし、亡くなる直前に「孝、どこに引っ越しても、日本橋の戸籍を動かすんじゃないよ」と言い残したという。祖母の思い出と重なるこの街に、白石さんも特別な思いを寄せる。
路地に入ると、格子戸の外に植木鉢が並び、奥から子供をしかるおかみさんの声。食事時にはまな板の上で野菜を刻む音が聞こえてきたり、みそ汁のにおいがしてきたり。
そんな懐かしさを求めて、今の街を歩くと、子供が走り抜けることもなく、音も、においもしない静かな路地裏になっていた。
すっかり景色は変わってしまったものの、「昔はどんな街並みだったのだろう」と考えながら歩くと、いろいろ懐かしいものが見えてくるという。
日本橋南詰め、寝具の西川。かつては、「食堂もあって、私もそこで子供ランチなるものを食べさせてもらったことがある。それはランチなるものとの初めての出会いだった」と著書に記した。
東京駅が立つ周辺の明治時代の風景については、「驚いたことに監獄――今でいう刑務所が置かれた。その故もあってか、(中略)、差入宿(さしいれやど)のようなものが数軒あったという」と記している。
日本橋堀留町周辺については以下のように書いている。「日本橋川から引きこまれた東西二本のU字型の入堀があった」「この入堀は、江戸城下町の構築の際に、上流の川を埋めて水路に開削されたもので、先の方がゆきどまりになっていることからそこらを堀留と名づけられたものである」「(その辺りを歩くと)ふとむかしの街のざわめきと共に、よく叱(しか)られた祖母の声が聞こえてくるように思えた」
現在、体調を崩して都内の病院に入院中の白石さんは、「日本橋は、江戸からの長い歴史の中で培われた伝統と、ここならではの気風をもつ。昔と今の地図を何枚も入れた。この本を手に、日本橋を散策して、街の魅力を再発見してもらえれば」と話している。
慶応義塾大学出版会から2000円(税別)。
(2009年11月4日 読売新聞)
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