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津軽の大地に生きた俳人で元読売俳壇選者、成田千空さん(1921〜2007年)の三回忌を17日に迎える。俳壇を担当した間、かすれたファクスで届く、心温かな選句の評を読むのが好きだった。
「牛飼いは年中、牛と暮らしている。生甲斐(いきがい)はと問われれば『牛』とこたえるしかない。頬被(ほおかむ)りは寒さをしのぐかむりものだが、牛飼いの顔を包んで存在感がある」
一昨年2月、<生甲斐は牛とこたへて頬被>の句に対する評だ。素朴な十七音に寄り添いながら、「牛」の言葉を「俳句」に変えれば、千空さん自身の人生のようだ。その在りし日のエッセーを集めた『俳句は歓(よろこ)びの文学』(角川学芸出版)=写真=が刊行された。
作句を始めたのは、20歳だった。就職で上京して肺を病み、帰郷したころだ。
<綿虫や母あるかぎり死は難し>
肺病で体を横たえる息子に母は三食、はしで口に食べ物を運び、代わりに自作の句を聞かせたという。人間探求派と呼ばれた中村草田男の叙情的な句に引かれ1946年、新聞広告で見た俳誌「萬緑」の創刊から参加し、師を生涯慕った。
俳句仲間から再上京を勧められても、断ってとどまり続けた青森・五所川原の家を一昨年7月、訪ねた。俳句雑誌に埋もれるように千空さんは妻の市子さんと並んで座り、金木にある太宰治の生家「斜陽館」へ案内してくれた。
郷土出身の作家にあこがれ、疎開中の太宰に会おうと20代のころ家の前まで訪ねたという。しかし、大邸宅を眺めるうち「ブルジョアめ」と腹が立ち、レンガ塀をたたいて引き返した。
<侫武多(ねぶた)みな何を怒りて北の闇>
<おむすびは心のかたち雪の国>
思ったまま行動することに照れ、言葉をためらい、その詰まることが、地吹雪のように野太く、小春のように穏やかな句を生んだ。まさしく津軽の男だった。
「不思議なものです。若い頃と違い、86歳になった今、句がいくらでもわいて来るんだ」。あの日、リンゴ酒に顔を赤らめた千空さんは言った。窓から見える岩木山の稜線(りょうせん)が、濃く延びていた。(待田晋哉)
(2009年11月6日 読売新聞)
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