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『水のかたち』 宮本輝さん

東京の下町を舞台に

 大阪を代表する作家の新刊は意外にも、東京の下町、門前仲町が舞台だ。「向こう三軒両隣といった気質が残るところにひかれて」

 富岡八幡宮、清澄通り、永代橋……。個人の商店や飲食店を多く残す街を歩くうち、物語が膨らんだ。

 志乃子は、3人の子供を抱えた主婦。50歳の誕生日に、近所の喫茶店で古い文机(ふづくえ)茶碗(ちゃわん)などをもらう。その骨董品が思わぬ人々との縁を、一本の水の流れのようにつないでゆく――。

 「肉体や人生の節目を迎えた50代の女性が、心根のきれいな人のつながりによって幸運や飛躍のきっかけを得る。『良き人の連帯』が大事なテーマでした」

 作中には、著者が偶然出合った手記をもとに、朝鮮半島の38度線を越えて戦後に帰国した人物の話を挟んだ。「戦場にいる人間は、好きでドンパチやるわけではない。戦争を遂行する人間が、安全地帯で号令を出すと父に言われて育った。戦争の傷は書いておきたいんです」

 1947年生まれ。心に触れる作品を書き続ける原点は、父が事業で失敗し、母がお酒に溺れた中学の時、押し入れで読みふけり、救われた井上靖の『あすなろ物語』だった。大阪の人間と風土が漂う『泥の河』『道頓堀川』など初期作品は、「自分の生きる根底にある残さなければならないものだった」と振り返る。

 だが、戦後を生き抜いた人間たちを描く『骸骨ビルの庭』や本作を執筆する今、心境は変化してきた。「歳月が作る重みを考えるようになった。僕は毎日、小説を書いてきました。それはきっと、どこかに投影されている。作家だけでなく、大工さん、職人さん、サラリーマンも、目で見えないものが大切なんです。そんな風に世の中を見てゆきたいと思っています」

 円熟の表情を浮かべた。(集英社、上下各1600円)(待田晋哉)

◆次回は『団地の空間政治学』(NHKブックス、1200円)の著者、原武史さん

2012年10月23日  読売新聞)

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