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書評

  • 『働くということ』

    ロナルド・フィリップ・ド−ア
    出版社:中央公論新社
    発行:2005年4月
    ISBN:4121017935
    価格:¥735 (本体¥700+税)
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市場個人主義を憂う

 半世紀におよぶ戦後日本経済の観察者であり、よき理解者であったイギリスの労働社会学者ドーアの新著。その長いキャリアの果てに彼の目に映る今日の経済の姿は、きわめてペシミスティックなものだ。かつてケインズは、社会が豊かになれば、効率性の追求は二の次となり、労働時間は短縮され、労働の意味や生活の質へと関心が移るだろうと予言した。しかし、実際には、80年代以降、先進国ではのきなみ労働時間は増加し、業績主義が導入され、不平等は拡大し、労働強化の方向をたどってゆく。

 原因は何か。それは80年代以降の競争激化である。競争の激化は二つの要因を伴っていた。ひとつは従業員中心の経営から株主中心の経営への経営マインドの変化、もうひとつはグローバル化のなかで、各国が国際的な競争力を強化するための政策を採用したこと。後者によって、雇用や生活の安定や福祉政策よりも、グローバルな金融市場へのアクセスを中心とする市場競争政策への転換がおこなわれた。

 本書の核心は、そこに「市場個人主義」という新しいイデオロギーをよみ、それはアメリカの文化的覇権と不可分だという主張にある。この新しい考えによって「社会的規範」が変化した。個人主義とともに所得の不平等は問題ではなくなり、株主の利益こそが重視され、人々の共同体的な連帯は無視される。グローバル化によって、不平等や失業などの国内問題に関心をもたない「コスモクラット」(世界をまたにかけるエリート)が跋扈(ばっこ)し、経済政策を動かすようになった。そして彼らはいわばアメリカ経済学の産物なのである。

 ドーアは、このアメリカ型のグローバルな経済に対して激高するわけではなく、憂いを含んだ疑問を差し出す。絶望ではないがペシミズムが深くただよう。私も同感である。本書の論点をもっと深く追求したいと思う箇所(かしょ)もあるが、ともかくもコンパクトながら内容のたっぷりつまった有意義な書物である。石塚雅彦訳。

 ◇R・ドーア=1925年、イギリス生まれ。

中公新書 700円

評者・佐伯 啓思(京都大学教授)

(2005年5月23日  読売新聞)