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書評

  • 『熊野神と仏』

    植島啓司
    出版社:原書房
    発行:2009年9月
    ISBN:9784562045136
    価格:¥2100 (本体¥2000+税)
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神や仏の「いま」伝える

 紀伊半島の熊野三山、吉野・大峯、それに高野山は、神道、修験道、仏教(真言密教)という異なる宗教の聖地である。網の目のような参詣道で結ばれていて、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を形成する。本書は宗教人類学者が問題を提起し、全国に約4000社ある熊野神社の中心である熊野本宮大社の神職と、いまだに厳しい修験の現場で活躍する金峯山(きんぷせん)の僧侶が存分に語る。

 西欧の科学につよく影響される私たちは、宗教を哲学としてとらえ、傑出した宗教者の教えを抜き出しては、科学的な分析を試みてきた。だが、本来の宗教は難解なものではなく、人々に癒やしや心のよりどころを与えてくれる。神と仏とが手を携えて参拝者を迎えていた明治維新までの紀伊半島は、まさに人々の心を救う聖地であった。ところが明治維新政府は西欧への対抗を意識し、神仏をむりやり分離して、一神教に似た国家神道を作りだした。太平洋戦争の敗戦によってそれもまた否定され、その結果、日本人の宗教観はずたずたに切りきざまれてしまった。私たちは明治より以前に回帰し、おおらかな神仏の救いを取り戻さねばならない、との提言がなされる。

 歴史認識は妥当か、とか、近代化を受容する中で信仰だけがあと戻りできるのか、とか尋ねたいことはいくつかあるが、一つだけ。神と仏は等しくあがめられ、信ずべき存在として1450年が経過した。だから「神か、仏か」という問いは愚かしい、という。果たしてそうなのだろうか。スピリチュアルのすがたを借りたトンデモや、カネもうけのために神や仏の名をかたるデタラメがあらわれた現代、神とは何か、仏とは何かを見つめなければ、「ニセモノ」を見きわめる目も養うことはできまい。自らが選び取る、というふるまいを経なければ、本当の宗教心は生まれないように思うのだが。

 神や仏の「いま」を宗教者自身がどう認識しているか良く伝わるという意味で、ぜひにも読みたい一冊。

 ◇うえしま・けいじ=宗教人類学者◇くき・いえたか=熊野本宮大社宮司◇たなか・りてん=金峯山寺執行長。

原書房 2000円

評・本郷和人(日本中世史家)

(2009年11月16日  読売新聞)