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『メイスン&ディクスン』 (上)
トマス・ピンチョン 柴田元幸
出版社:新潮社
価格:¥3780 (本体¥3600+税)
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『メイスン&ディクスン』 (下)
トマス・ピンチョン 柴田元幸
出版社:新潮社
価格:¥3780 (本体¥3600+税)
独立前夜 アメリカ膝栗毛
旅に出よう。天文学者のメイスンと、測量士のディクスンも一緒だ。耳を澄ませば二人の歌声が聞こえてくる。
「サァ行かん印度へ、東の地へ 御伽(おとぎ)の国よ、宴(うたげ)の里よ、 土耳古(トルコ)人の住む地で 奴隷の如く這い蹲(つくば)って 我ら天文観測士 仕事と云われりゃ何でもやりまっせ!」
まさに「亜米利加道中膝栗毛」である。時は十八世紀後半、場所は独立寸前のアメリカ。そのころペンシルベニアとメリーランドという二つの植民地が境界でもめていた。そこでイギリスから呼ばれたこの二人が地面に引いた長大な線こそ、かのメイスン―ディクスン線である。奴隷制を認める南部とそうでない北部を分け、ついには南北戦争の舞台ともなった、アメリカ史でも最重要な境界線だ。
と、ここまではただの史実である。だが現代アメリカを代表する作家ピンチョンはこの旅を、もう一つの、誰も見たことのないアメリカ史へ書き換えてしまう。彼は一九三七年生まれ、コーネル大学ではナボコフに師事し、アメリカ軍を経てボーイング社でも働いていた。一九六三年に大作『V.』でデビューして以来、彼は常にアメリカ文学の中心にいる。現代において、彼の作品との格闘なしにアメリカで作家になる者はいない、と言えばピンチョンの偉大さはわかってもらえるだろうか。
極端に多い登場人物と複雑なプロット、歌謡曲から量子力学まで、幅広い知識を膨大に詰めこむスタイルなど、主要な特徴は早くも巨編『重力の虹』(一九七三)で極点を迎える。アメリカの軍産複合体とヒッピーの全面戦争、というファニーな現代小説『ヴァインランド』(一九九〇)のあと、ピンチョンが本書で挑戦したのは、アメリカ合衆国の起源そのものだ。
歴史小説といえども、ピンチョンの技は本書でもいかんなく発揮されている。史実に冗談や奇想、妄想が混ぜ合わされ、物語はえんえん脱線を繰り返す。たとえば主人公の二人がアメリカで出会うのは、ワシントンやフランクリンなど実在の人物だけではない。しゃべる犬、人造鴨(かも)、謎の風水師といった面々も大活躍するのだ。
しかも語り口調も人を食っている。たとえば費府石鹸(フィラデルフィア・ソープ)についてはこうだ。「水が触れた途端、否、湿った空気が触れただけで何とも不快な粘液と化し、そっと握ろうががっちり握ろうが如何なる握りにも捕えられることを拒み、使用前より物が汚くなることもしばしばで、――石鹸と云うより、正しくは反石鹸」。こんな感じで千ページ以上続くのだから恐れ入る。
自身が測量士の息子であるピンチョンは、この怪作全編をじつに二十年かけて、十八世紀の英語で書き上げた。綴(つづ)りも文法もすべてである。怯(おび)えるなかれ。これまた翻訳の怪人、柴田元幸が十年かけて、笑える日本語にしっかりと置き換えてくれたのだから。これから二年ほどで、ピンチョンの全小説が新訳、あるいは改訳されるらしい。難解との評判ばかりが先行して、実際に読破した人の少ないピンチョンの各作品に、ようやく日本語でも親しめるようになるのは嬉(うれ)しい。
訳知り顔の犬が二人に禅の悟りの境地を教える、といった不可思議な挿話に満ちた本書は、とにかく抜群に面白い。だが、そのテーマは実は限りなく重い。フランス啓蒙(けいもう)思想に学び、理性に基づいて作られたはずの国家アメリカで、なぜ苛烈(かれつ)な人種差別が続くのか。こうした二人の問いを通じて、ピンチョンは読者に、近代世界を根底から考え直させようとしている。笑いとストレートな倫理の融合こそがピンチョンの魅力だろう。
新潮社 上・下各3600円
評・都甲幸治(とこう・こうじ) 1969年生まれ。早稲田大学准教授(アメリカ文学)。著書に『偽アメリカ文学の誕生』、訳書に『ヴァーノン・ゴッド・リトル』など。
(2010年7月5日 読売新聞)
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