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    信長育てた尾張の「喫茶文化」

    信長の父<1>

     下克上で戦国時代を駆け上がり、全国統一にあと一歩まで近づいた織田信長。その立身出世の道は一代で成し遂げられたものではない。父・信秀と祖父・信定の「織田三代の物語」に詳しい、愛知県愛西市の佐織公民館館長の石田泰弘さん(53)(尾張地域史)から話を聞き、尾張での織田一族の歴史を振り返った。

     もともと信長の家は大名となるにはほど遠い家柄だった。尾張のトップには守護の斯波しば氏がおり、守護代の織田氏が支えていた。しかし、同じ織田一族でも、官職名から「弾正忠だんじょうのじょう」織田氏と呼ばれる信長の家系は、本流(嫡流)の「伊勢守」織田氏や支流(庶流)の「大和守やまとのかみ」織田氏と比べ、身分は相当離れていた。

     織田一族を遡れば、出身は越前(福井県)。その越前の守護・斯波氏に仕える家臣だったが、斯波氏が1400年、戦功により尾張の守護も兼ねたのを機に、織田氏は尾張の守護代となった。

     戦国時代の幕をあけた応仁の乱(1467~77年)は、尾張にも飛び火して織田一族は分裂。庶流だった大和守織田氏が、伊勢守織田氏から守護代職を奪い、守護所(尾張国の中心)を下津城(愛知県稲沢市)から清須城(同県清須市)へと移した。新たな一族のトップとなった大和守織田氏を支えた三奉行の一人が信長の祖父・信定であり、後に父・信秀が継いだ。

     つまり信長の父の代までは、守護と守護代という二つの格上が存在していたのである。

     下克上は信長の祖父から始まる。

     11年に及ぶ応仁の乱は、京都の町が破壊されたことで、安全を求めて公家や商人たちが全国に散り、逆に地方の交易や文化を盛んにした側面もあった。例えば、美濃の中心だった革手かわて城(岐阜市)には、数多くの公家らが移り住み、都風の文化が花開いた。

     交易も盛んになり、伊勢湾に近い津島(愛知県津島市)は、港町として栄えた。力をつけた商人たちは、同じような経緯で成長した大阪湾の堺と同様に、武士から支配されない自治都市を築いた。

     商人側の資料では、信長の祖父・信定が娘を津島で最大の商人に嫁がせたことが見て取れるという。津島から近い勝幡しょばた城(愛西・稲沢市)を本拠とする信定には、商人らを守る役割が求められたのだろう。「この婚姻関係により、津島の莫大ばくだいな経済力を手に入れたのです」と石田さん。信長の父・信秀は、三奉行のまま、武力と資金力で守護代をしのぐ尾張最強の武将となっていく。その一方で、文化人としての素養も強調してみせたようだ。

     京都の著名な文化人である公家の山科言継やましなときつぐが、勝幡城を1533年に訪れた際のことを日記に書き残している。信秀が新築した豪華な館などを称賛、特に部下の屋敷にあった茶室(数寄の座敷)には「一段と感動した」という。

     堺が千利休を生んだように、津島にも茶の湯が根付いたというのが石田さんの見立てだ。

     茶器を褒美に与えるなど、後に信長が茶道を政治に生かす原点は、「大うつけ」や「かぶきもの」と呼ばれながらも、信長が幼い頃から茶を学び親しんだことにあったのではないか、とも推し量る。

     さらに石田さんは意外な話を続けた。「勝幡城や津島で育まれた茶の文化は、現代のモーニングを代表とする尾張の喫茶文化につながっているのでは」

     津島など尾張西部ではその後、茶の文化が根付き、田んぼのあぜで抹茶をたててみんなで飲むという風習が、愛西市などで近年までみられたという。

     希代の英雄、織田信長が生まれた秘密は、喫茶店で飲む一杯に隠されているのかもしれない。

    (岡本公樹)

    東海百城ガイド 35

    信長命名前の「岐」 革手城/岐阜市光樹町 (旧・厚見村)

     応仁の乱で京都が荒廃した後、日本で「3大都市」と言われたのは、鎌倉(神奈川県)、山口(山口県)と革手だったという。

     美濃守護・土岐とき氏が14世紀から16世紀にかけて本拠とし、当時は木曽川の本流だった境川沿いにある平城だった。

     応仁の乱の一因となった足利将軍の後継争いに敗れた足利義視よしみが、乱が終結した1477年から89年まで身を寄せるなど、多くの人が京都から移り住み、水墨画の雪舟ら多くの文化人も訪れた。「厚見郷土史」によると、革手は別名「岐陽」と呼ばれた。信長が「岐阜」と名付けるよりも前に「岐」は美濃の中心の地名でもあったのだ。

     土岐氏の内紛や木曽川の大洪水などで城は歴史から消えた。近くの加納城(岐阜市)築城時に石や土などが使われたためにほとんど痕跡がないが、地籍図からは約200メートル四方と推定される。

     JR岐阜駅から徒歩約30分。名鉄・岐南駅から徒歩約10分。城の北にあった正法寺跡に立つ済美高校に隣接する公園に、革手城の説明板がある。

    2017年03月13日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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