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様変わりした科学者らの広報戦略

科学部デスク 保坂直紀

 科学記者を始めた20年ほど前、記者の訪問を歓迎しない科学者は、けっして珍しくなかった。「新聞記者との付き合いには何のメリットもなく、時間の無駄。記者と親しい科学者は、同僚からうさんくさい目で見られる。真理の探究に没頭する科学者が、記者なんていう世俗を相手にしては沽券(こけん)にかかわる」というわけだ。それが今は、まったく違う。科学者も、研究に税金を使うからには自分の仕事を積極的に世間に説明するのが当然だとみなされ、大学や研究所はメディア戦略を練るまでになった。変われば変わるものだ。

 4月の半ばに東京大学で、素粒子物理の研究所で働く3人の広報担当者を話題提供者に招いてシンポジウムが開かれた。米国のフェルミ国立加速器研究所、欧州原子核研究機関(CERN=セルン)、それに日本の高エネルギー加速器研究機構という世界一級の組織で広報戦略を担う人たちだ。

 とくにCERNでは、この世のあらゆる物質が質量(重さ)をもつという、いわば当たり前のような事実の真の理由を解明する大実験が始まろうとしている。これは現代科学の根幹にかかわる注目の実験なのだが、その周辺部もちょっと騒がしい。

 ひとつは、実験装置の中で小さなブラックホールができて極めて危険なことになるという、SFのようなうわさ。もうひとつは、間もなく封切られるトム・ハンクス主演の映画「天使と悪魔」で、そこでは宗教と対立する科学の象徴としてCERNが実名で登場する。この映画では、現実に科学研究の対象になっている「反物質」が、科学的にはありえない筋書きながら重要な小道具として使われる。

 さて、こんなとき広報担当者はどうするか。むかしなら「バカバカしい」と一蹴しただろうが、いまは違う。絶好のチャンスとばかりに打って出たのだ。シンポジウムでCERNのジェームズ・ギリスさんは、考えられる戦略として、(1)科学の真実をゆがめたとして作者を非難する(2)無視する(3)「映画ではこうだけれども……」と逆に科学を広める――の三つを挙げた。そしてCERNは(3)を選んだ。映画の内容と科学にズレがあることを承知のうえで、映画の監督や出演者を研究所に招きいれ、積極的に施設を見せた。映画を宣伝する記者会見まで一緒に開いた。この映画を、科学的に誤ったことが広まる脅威ではなく、世界に「反物質」やCERNが認知されることで本当の科学を広めやすくなる好機ととらえたのだという。

 たしかに時代は変わったのかもしれない。米国の科学論文専門誌「サイエンス」に昨年7月、科学者はメディアとの接触をどう感じているかを調べた結果が載った。フランス、ドイツ、日本、英国、米国の科学者を調査対象としたその論文によると、自分の研究がメディアで紹介された直近の経験が「おおむね満足」だった研究者は半数を超えていた。

 そして、メディアに協力する意義として、「社会に科学の価値を正しく認めてもらうこと」「科学により好意的になってもらうこと」「一般市民の科学的素養を高めること」をそれぞれ全体の9割以上の人が挙げた。いまや少なからぬ科学者たちが、メディアとの接触に積極的な姿勢をみせているのだ。

 だが、この調査をした研究者たちは、昨年12月の別の論文でこうも指摘している。これがはたして、科学者とジャーナリズムの望ましい関係なのだろうか。当然ながら、科学ジャーナリズムは科学者集団に奉仕するのが仕事ではないから、科学者が満足することは、それが良質なジャーナリズムであることを意味しない。科学者側の広報が巧みになればなるほど、科学ジャーナリズムは科学者集団のたんなる宣伝係で仕事をした気になってしまう恐れがある。

 「サイエンス」や英国の「ネイチャー」に載る科学者の論文を、どの新聞も毎週のように記事にして紹介している。その多くが、これらの論文誌の巧みな広報資料や研究者の記者発表をもとにしているのだが、これなどまさに、何を社会に伝えるかは自分で決めるというジャーナリズムの要を、科学者集団側になかば預けてしまっているのではないか。

 自分でネタ探しをするよりも、このほうがたしかに効率的なのだ。

 米国の科学ジャーナリズムの教科書には、科学者たちはマスメディアを自分たちの広報機関のようにとらえるものだと書いてある。科学ジャーナリズムは、広報戦略に長けてきた科学者たちとどう付き合っていくべきか。その哲学と戦略を、こちら側も改めて肝に銘じておかなければならない時代になった。

2009年5月13日  読売新聞)

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