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    世界史と日本史を融合した新しい近現代史を物語風に紹介します。

    <幕末の動乱と明治維新>第7回~「最後の将軍」最後の選択

    徳川慶喜の巻き返し

    • フランスの軍服姿の徳川慶喜
      フランスの軍服姿の徳川慶喜

     徳川第15代将軍・慶喜(よしのぶ)は、1866年9月、長州藩と休戦協定を結んだ直後、兵器・軍艦など軍需品購入のため、フランスとの借款(600万ドル)契約を成立させます。

     慶喜は、永井尚志(なおむね)若年寄(わかどしより)(老中に次ぐ重職)に任命するなど抜擢(ばってき)人事で周辺を固める一方、内政改革、とりわけ軍制改革を進めました。

     フランス公使・ロッシュとも相談し、フランスから陸軍教官を招いて歩兵、騎兵、砲兵などの常備軍を創設します。老中たちに陸軍、海軍、会計、外務など事務分担制(内閣制)を敷きます。留学帰りの津田真道や西(あまね)には、国際法に関する翻訳や、行政機構近代化のための二院制的会議体構想などを提出させました。

     ロッシュは、天皇の許可を得なければ、何もできないというような現状を遺憾とし、「少年天皇を教育して天下統治の任は幕府にあることを知らせるべきだ」と、慶喜に進言したといわれます。

     外交団から慶喜は「私がこれまで見た日本人の中で最も貴族的な容貌をそなえた立派な紳士」(イギリス公使館通訳のアーネスト・サトウ)と見られ、イギリス公使のパークスも慶喜を評価、期待感を抱きます。

     幕府権力の強化を図る慶喜について、岩倉具視は「軽視すべからざる強敵」と受け止め、木戸孝允も「じつに家康の再生を見るようである」と、その剛腕ぶりを警戒します。

     ただ、フランスの軍服に身を包んだ写真が残されているように、慶喜のフランス傾斜ぶりには、日本の半植民地化をもたらしかねないとの批判もありました。もっとも、フランス本国では、外相の交代によって対日政策が軌道修正され、ロッシュの内政干渉的政策が問題視される中、その影響力は次第に低下していきました。

    兵庫開港でも暗闘

     67年当時の政治争点は、これまで見送られてきた兵庫開港の勅許と長州処分案でした。

     慶喜は4月9日、兵庫開港の勅許を求めます。朝廷は、孝明天皇が存命中、拒み続けていた政策であるとして拒否。同26日、重ねて天皇の裁可を請いましたが、認められませんでした。岩倉具視や薩摩藩の大久保利通らが背後で勅許しないように働きかけていたといわれます。

     これに対して慶喜は5月2日、大坂城でパークスやロッシュらと会見し、兵庫の開港を約束します。外交権は幕府にあることを改めてアピールしたのです。

     6月25日、島津久光、松平春嶽、山内容堂、伊達宗城(むねなり)(伊予宇和島藩主)の4侯らが出席した朝議の席上、慶喜は、朝敵の長州藩に対する寛大な措置と、勅許による兵庫開港を求めました。慶喜は威嚇も交えつつ、朝廷側の抵抗をねじ伏せ、26日、兵庫開港の勅許に持ち込みます。

     慶喜の勝利でしたが、その強引な手法と四侯会議の決裂は、反発を招き、薩摩、長州による武力倒幕の機運を高めることになります。

    「船中八策」とデモクラシー

    • 船中八策覚書
      船中八策覚書

     こうした中、将軍から朝廷に政権を奉還させる「大政奉還」の動きが本格化します。

     67年7月、暗殺される前の坂本龍馬が編み出した「船中八策(せんちゅうはっさく)」が、その出発点でした。龍馬は京都に向かう船中で、土佐藩参政の後藤象二郎(しょうじろう)に、この新しい国家構想を示したのです。それは次のようなものです。

    • 後藤象二郎
      後藤象二郎

     一、天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より()づべき事
     一、上下議政局を設け、議員を置き、万機を参賛せしめ、万機よろしく公論に決すべき事
     一、有材の公卿(くぎょう)・諸侯および天下の人材を顧問に備へ、官爵(かんしゃく)(たま)ひ、よろしく従来有名無実の官を除くべき事
     一、外国の交際広く公議をとり、新に至当(しとう)の規約を立つべき事
     一、古来の律令を折衷し、新に無窮(むきゅう)の大典(憲法)を撰定すべき事
     一、海軍よろしく拡張すべき事
     一、御親兵を置き、帝都を守衛せしむべき事
     一、金銀物価よろしく外国と平均の法を設くべき事

     この二番目にある「議政局」は、今日のような代議制の議会ではありません。幕府が朝廷に政権を委ねても、朝廷には政権担当能力がありませんから、新しい政権の受け皿として、諸侯会議に類似した「公議政体」を提案したわけです。ここでの「万機公論に決すべし」に、日本におけるデモクラシーの先駆的な思考を読みとる論者は少なくありません。

    『竜馬がゆく』

    • 高知市の桂浜に立つ坂本龍馬像
      高知市の桂浜に立つ坂本龍馬像

     さて、作家・司馬遼太郎氏のベストセラーに『竜馬がゆく』(文春文庫)があります。

     司馬氏はこの小説の中で、この「船中八策」について、マリアス・ジャンセン著『坂本龍馬と明治維新』(平尾道雄・浜田亀吉訳)から以下の部分を引用しています。

     <坂本の草案には以後、二十年にわたり日本を風靡(ふうび)する近代的な諸観念がすべて盛りこまれていた。老いくちた愚劣な諸制度の一掃、統治形態と商業組織の合理的再編成、国防軍の創設などである。(中略)それは武力を要せずして幕府転覆を可能ならしめようとする方策であった>

     <明治維新の綱領が、ほとんどそっくりこの坂本の綱領中に含まれている。その用語はやがて一八六八年の『御誓文』にそのままこだまするし、その公約は、一八七四年に板垣、後藤が民選議員設立運動を始めるときの請願の論拠となる>

     船中八策は、このように明治の国家構想に生かされていくわけですが、この局面では、挙兵倒幕を抑止し、平和裏の政権交代を促す名案だったのです。

    土佐と薩摩の盟約

     土佐藩は67年7月23日、倒幕の武力計画を練り始めた薩摩藩と会合を開きます。土佐藩から後藤や福岡孝弟(たかちか)ら4人、薩摩藩から小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通が出席。会談を周旋した龍馬と中岡慎太郎も同席し、ここで生まれたのが「薩土盟約」です。

     これは「船中八策」がベースになっていました。

     <王政復古の要は論ずるまでもない。国に二帝はありえず、家に二主はありえない>と明確に打ち出したうえでこう続きます。

     <天下の大政を議定する全権は朝廷にあり、皇国の諸規則・制度は、上下両院からなる議事院で決する。議事官は、上公卿から下陪臣まで公正廉直のものを選挙し、封建諸侯は上院の任にあてる。将軍職を廃止して将軍は封建諸侯の列に復せしめる>

     慶喜から政権を朝廷に返させ、徳川は一大名になり、朝廷の下に新たな上下両院を置くというものです。つまり、王政復古と公議政体の考え方がないまぜになっていました。土佐藩には徳川武力討伐の考えはありませんでした。逆に薩摩藩は、幕府打倒・慶喜追放を目ざしており、土佐藩を倒幕クーデターに巻き込むことが盟約の狙いだったようです。

    龍馬の知恵袋

    • 横井小楠
      横井小楠

     小説『竜馬がゆく』の中で、「船中八策」の内容に後藤が驚嘆し、「竜馬、おぬしはどこでその智恵がついた?」と尋ね、龍馬が「いろいろさ」と答えるシーンがあります。小説では、龍馬は勝海舟を知ったあと、外国の憲法に興味をもち、「勝の友人である大久保一翁(忠寛)や横井小楠(しょうなん)などにはしつこいほどきいた」とあります。

     ここで龍馬の「知恵袋」を探ってみましょう。

     まず、同郷のジョン万次郎から情報を仕入れていたという土佐の画家・河田小龍(しょうりょう)に海外事情を聞き、勝海舟からは「海軍」を学びます。幕政返上論と公議会制度については、大久保忠寛に教えられたようです。また、勝がその思想性の高さに感服したという横井小楠からも多くの知識を得ました。

     小楠は、開明的な経世家として知られ、『国是三論』が代表的著作です。三論とは富国論・強兵論・士道を指しますが、小楠はこの中で、幕府は「御一家の私事を経営するのみ」と批判し、いわゆる「公論」にもとづく政治の重要性を強調していました。

     龍馬の国家構想には、「アメリカ彦蔵」こと浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)が絡んでいた可能性も指摘されています。乗っていた船が遠州灘を漂流中、アメリカ船に助けられ、アメリカで教育を受けた浜田は、帰国して米駐日公使ハリスの通訳になります。リンカーン大統領にも謁見したという逸話をもつ彦蔵は、アメリカ合衆国憲法をベースにした統一国家構想を幕府に提出しています。

     政治家・龍馬は、幅広い人脈で仕入れた欧米思想や国家構想のエッセンスを「船中八策」の中に盛り込んだといえそうです。

    慶喜の大政奉還

    • 木戸孝允(1869年撮影)
      木戸孝允(1869年撮影)

     土佐、越前などの公議政体派の攻勢に対し、薩摩、長州の対幕府強硬派は戦争準備を加速させます。

     67年10月15日、長州を訪問した薩摩の大久保利通らは、長州藩主や木戸孝允らと会談。大久保は京都での「政変決行」ため、長州藩兵の派遣を要請。さらに芸州(げいしゅう)(現広島県の西部)藩とも協議し、薩長芸出兵協定を結びます。

     他方、木戸はこのころ、<上方(かみかた)の「芝居」はそろそろ始まるのでしょうか。このたびの「狂言」は是非ともうまく成功させなければなりません。そのためには、「乾(板垣退助)頭取」と「西吉(西郷)座元」がよくよく打ちあわせて手順を決めることが急務かとおもいます>と、大政変を「芝居」にたとえ、軍事作戦も含めて態勢固めを急ぐよう、手紙で龍馬に訴えていました。

     ところが、ここで慶喜がアッと驚く決断を下します。大政奉還です。

     慶喜は、土佐藩主・山内容堂による大政奉還建白書(10月29日)を受けると、政権を朝廷に返上する意向を固めたのです。勝海舟や永井尚志らも建白書の趣旨に賛成していました。

     慶喜は67年11月8日(慶応3年10月13日)、二条城二の丸御殿の大広間に在京40藩の大名や重臣を集め、「最後の将軍」としてこの「決断」を伝えます。

     慶喜はいったいなぜ、大政奉還に踏み切ったのでしょうか。

     統治能力に限界のきた幕府は退場し、天皇を頂点とする新しい政府にすっかり道を譲るべき時だと考えたのでしょうか。

     それとも、薩摩、長州の画策の機先を制して政権を返上し、「倒幕」の大義名分を奪い、薩長政権を阻もうとしたのでしょうか。

     あるいは、将軍職を手放したとしても、土佐藩のいう公議政体の下、徳川の大領地と伝統的権威によって権力中枢の座は維持できると踏んだのでしょうか。慶喜は、後年の回顧録『昔夢会筆記(せきむかいひっき)』で、これを強く否定していますが、この言葉はどこまで信じられるでしょうか。

    • 慶喜が大政奉還を発表した二条城二の丸御殿の大広間(京都市元離宮二条城事務所提供)
      慶喜が大政奉還を発表した二条城二の丸御殿の大広間(京都市元離宮二条城事務所提供)

     慶喜が朝廷に提出した大政奉還の上表文にはこうありました。

     <当今、外国の交際、日に盛んになるにより、いよいよ朝権(朝廷の権力・権威)一途に出でずしては紀綱(きこう)(国家の統治)立ち難きをもって、従来の旧習を改め、政権を朝廷に()したてまつり、広く天下の公議を尽し、聖断を仰ぎ、同心・協力、共に皇国を保護せば、必ず海外万国と並立するを得ん>

     「公議」の尊重と「皇国の保護」、「万国との並立」がキーワードで、当時の政治諸勢力のコンセンサスといえる内容ですが、結局、誰がこの変革を推し進めるかをめぐって、激しい権力闘争―内戦が引き起こされることになります。

    【主な参考・引用文献】
    ▽マリアス・ジャンセン『坂本龍馬と明治維新』(時事通信社)▽佐々木克『幕末史』(ちくま新書)▽石井孝『明治維新の舞台裏』(岩波新書)▽井上勝生『幕末・維新』(同)▽松浦玲『徳川慶喜』(中公新書)▽池田敬正『坂本龍馬』(同)▽野口武彦『鳥羽伏見の戦い』(同)▽飛鳥井雅道『坂本龍馬』(講談社学術文庫)▽小西四郎『開国と攘夷』(中公文庫)▽『日本の名著30 佐久間象山・横井小楠』(中央公論社)▽松浦玲『横井小楠』(朝日選書)▽田中彰『明治維新』(講談社学術文庫)▽田中彰校注『日本近代思想体系1 開国』(岩波書店)

     筆者の浅海伸夫氏による講座「もう一度学ぶ『昭和時代』」は、次のテーマを「敗戦まで その検証」とし、1月から3月まで計5回にわたり、よみうりカルチャー荻窪(東京都杉並区)で開かれる(途中受講も可能)。読売新聞の連載「昭和時代」の紙面をテキストに「昭和戦争」を振り返る。詳しくはこちら

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    2017年03月01日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    プロフィル
    浅海 伸夫 (あさうみ・のぶお
    1982年から18年間、読売新聞の政治部記者。その間に政治コラム「まつりごと考」連載。世論調査部長、解説部長を経て論説副委員長。読売新聞戦争責任検証委員会の責任者、長期連載「昭和時代」プロジェクトチームの代表をつとめた。現在は調査研究本部主任研究員。
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